親子の確執
口の中に高級な味が広がる。
月雲由斗は庶民だ。高いステーキと普通のステーキの味なんて分からない。
しかしコレは違った。庶民の月雲でも分かるくらいに繊細な味使い。
(今日は、幸福デーですか? お昼もおごってもらっちゃったし夜まで……)
「どうした? お口に合わないなら別の料理に変えてもらうが」
キョトンとした顔のフレドリクソン・マクロウェル。
月雲は慌てて首を振る。
「とんでもない!! つい余韻に浸ってしまって」
「そうか、楽しんでくれて嬉しいよ」
フレドリクソンはフォークで肉を口に運び、柔和な笑みを浮かべた。
月雲も、肉をひときれ口に入れた後アイリス・マクロウェルの方へ視線を移した。
彼女は、何かに耐えるような表情で目を瞑っていた。月雲が見てしばらくすると、その目を開いて、鋭い視線を自らの両親に向けた。続いて口も開く。
「これは、私の為なの?」
「何がだ?」
応じるフレドリクソンの顔から笑みが消える。
「この料理よ!! それにこのワインも!! 全部汚い金で買った物でしょ――」
「アイリス!」
冷たい一言が彼女を殴った。アイリスは口を閉ざしてしまう。
月雲は発言主――アイリスの母、ミレイユ・マクロウェルへ視線を向ける。彼女は射るような視線を実の娘であるアイリスへ向けていた。
「親のする事にいちいち口を出すものじゃないでしょ」
淡々と言葉が紡がれていくのを、月雲は見ていた。
「しっかりと稼いだお金で買ったなら私だって嬉しい!!」
言い切った後、アイリスは黙って俯いてしまう。しばしの沈黙の後、彼女の口からボソリと言葉が漏れた。
「でも、間違ってるよ……こんなこと」
その言葉に過剰に反応したのは父、フレドリクソンだった。
「間違ってる? 何が? 俺たちはアリスの幸せを願ってしているんだ。当然のことをしているんだぞ」
見ていられなかった。月雲はおもむろに立ち上がる。その拳は硬く握られている。
全員が月雲を見ている中、口を開いた。
「フレッドさんの言う“幸せ”ってなんだよ?」
「何だ? 部外者は黙ってろ」
カチンときた。ぐっと歯を噛み締め、自分の体を抑えつけ、もう一度問うた。
「だから、あんたが言う“幸せ”ってやつをアリスは感じてるのかって聞いてるんだよ!!」
半分声を荒げていた。
対してフレドリクソンは澄まし顔で告げた。
「当然だよ」
瞬間、月雲の何かがブチ切れた。
ぐっ、と歯を食いしばってフレドリクソンの方へ向かった。
そして、
硬く握られた右拳がフレドリクソンの右頬に突き刺さった。
椅子から転がり落ちるフレドリクソン。彼の目は驚愕に見開かれており、左手で頬を抑えている。痛みよりも驚きの方が大きいようだった。
月雲を見上げるフレドリクソンに言い放った。
「あんたが感じている“幸せ”をアリスに押し付けるな!! アリスの“幸せ”はアリス自身が掴む物だろ!!」
「な、何をするの!?」
遅れて駆け寄った母。その表情に浮かぶのは焦燥か。
「“幸せ”ってやつは自分自身で掴む物なんだよ……」
ソレを突如に失われる瞬間を経験している者が発する言葉の重みは、二人に重くのしかかった。
苦痛で僅かに顔を歪めた月雲だが、苦い表情で言葉を紡いだ。
「あんたたちはまだ時間があるんだ。アリスともちゃんと向き合ってやれよ」
一言告げ、月雲は数歩下がった。アイリスが隣に立つ。
その表情は複雑なものだった。何かに耐えるようだが、言いたいことを言ってもらえて嬉しいような表情だ。
「私たちはアイリスを毎日見てきた。妻だってアイリスの為にとお金を稼いでいる。とても間違ってるとは思えない」
続いた言葉に、月雲は溜め息をついた。
「まだ足りないのかよ。それはあんたの自己満足でしかないんじゃないのか? 聞いてみろよ、アリスに。『汚職で稼いだ金で贅沢して楽しいだろ?』って」
全員の視線がアイリスへ注がれる。
しかしアイリスは苦渋に満ちた顔で俯くばかりだった。
「そんな、私は一体何の為に?」
顔を抑えて跪くフレドリクソン。
そんな彼を見た月雲は優しい声音で言った。
「そう落ち込むなよ。さっきも言ったけど、まだ解り合える時間はあるんだ。やり直せると思うぜ」
顔を上げ、アイリスを見上げるフレドリクソン。彼を見たアイリスは勢い良く抱きついた。
「ワガママばかりの娘でごめんなさい」
涙に濡れたその声が嗚咽混じりに室内に響いた。
親子のわだかまりが解けたのを確認した月雲は踵を返し、部屋を出た。ここで割って入って「ごちそうさまでした」が言える程月雲の心は冷たくない。
(家、結構離れてたかな? 帰りどうしよう)
日は完全に落ちて、暗くなった外でふと考えた。
(タクシー拾って帰ろうかな。幸い、大通りまで少し歩けばって感じだし)
そこまで考えたところで後ろから声をかけられた。
見ると、ミレイユ・マクロウェルだった。
「良かったら送って行きましょうか」
「あ、ありがとうございます。助かります」
ワンボックスカーの後部座席に乗り込んだ月雲、軽いエンジン音が響く。
ゆっくりと車は動き出す。
沈黙が漂っていたが、口火を切ったのはミレイユだった。
「今日はありがとうございます。主人を正気に戻してくださり」
「言いたいこと言っただけですよ」
信号で止まる車、ミレイユの口が動く。
「私も間違ってると思ってました。あのこは本当に幸せなのだろうか? っていつも思ってました」
その割には主人を庇ったり、自分も汚職に手を染めていたんだよなぁ、とぼんやり思った。しかし答えはすぐに返ってきた。
「ですが、私もどこかで行動を正当化していたのです。あのこの為にって。だから、あの子の為に汚職でお金を稼いで、いい気になって」
「………そう……ですか」
再び、車内は月雲がナビをする声のみになった。
無言のまま、月雲のアパートに着いた。
扉を開けて降りる月雲。窓を開いたミレイユに言った。
「今日はありがとうございます。料理、とても美味しかったですよ」
「それは、どうも」
「帰ったら家族会議ですかね?」
「ふふ、そうなりそうです」
微笑むミレイユの表情は本当に嬉しそうだった。アイリスの話を真剣に聞く親の姿が容易に想像出来た。
「送っていただきありがとうございます」
「いえいえ。それではまた」
「はいっ」
そうしてワンボックスカーは走り去った。角を曲がり、見えなくなる。
(さて、寝るとしますか。やっぱり疲れたな)
二階の自分の部屋へ向かう途中、ぼんやり考えた。