転がり込んできた非日常
――ベルエムシティ――
両親の都合で移り住んだ多国籍の街。
日本から大分離れた位置、太平洋の真ん中に浮かぶ離島――モーレン島の北部にその街はある。
国籍は無い。そもそも国家ではない。自治州なのだ。議会の話し合いによって政治が決められる。しかも議員は自分の富しか考えてない。
全世界から集まるのは、“いわくつき”の人物や、悪どい事業を企む組織。具体的には国際指名手配、外国逃亡、麻薬密売、武器密輸である。
腐った議員の息が吹きかかる警察もまともな仕事をせず、ずさんな取り締まり…………いや、取り締まりすら出来ていないかもしれない。
治安もなにもあったもんじゃないこのクソッタレな街で月雲由斗(元高校一年生※現在十七歳)は静かに暮らしていた。
「もしもし、え? 明日急遽仕事休みになった? ………………え、えぇ…………はい。わかりました。わざわざお電話ありがとうございます」
上司からの電話が切れる。
月雲は一人、ボロアパートの一室のテーブルに携帯を置き、簡素なベッドに腰掛けた。
(明日休みか…………なにしよう………………)
月雲はベッドに仰向けで倒れこみ、腕を目元の辺りに置いた。
壁の時計は定間隔のリズムを刻む。
時刻は二十二時をまわったあたりだ。
月雲は立ち上がってキッチンへ向かい、中型冷蔵庫(中古)を開く。
「明日は買い物でも行こうかな…………」
翌日の方針を決めたところでベッドへと歩を勧めた。
「もう、寝ようかな」
今日も工事系の仕事が疲れたのでもう寝ることにした。
ベッドへと向かう途中、ベランダから見える景色に足を止めた。
「こんな綺麗な光だけど、裏では色んな事やってんだろうな」
日本人――この街では珍しくない――に多く見られる黒髪を掻きつつ、激しいドンパチを想像してしまい身震いした。
「誰かが変えてくれねぇかな」
視線をベランダからの景色(二階)からベッドに移した直後だった。
――ガシャン!! バリバリバリ…………――
ガラスが砕ける音がした。後ろからだ。
嫌な予感をしつつ振り返る月雲、その顔は引きつっている。
そこに(土足で)立っていたのは一人の少女だった。
透き通るようなコバルトブルーの瞳はややツリ目、白い肌に幼さの残る整った顔立ち。流れるような金髪はポニーテールでまとめてある。
白いシャツの上に黒のジャケットを羽織り、茶色いブーツはすねの中ぐらい。ブーツから伸びる黒のハイソックスと黒い短めのプリーツスカートの間から白く滑らかな肌が露出している。
どこにでもいるような―ただしこの街で―女子高生だった。しかしその手に握られているものが女子高生の華やかなイメージを一瞬にして拭い去る。
重そうに黒光りするソレは………………………………………
「マシン………ガン?」
正確には『UZI』対人を主目的とするサブマシンガンの一種だ。銃機器に疎い日本人らしい間違いである。
「済まない。窓、割ってしまった」
少女の口から出た声は鈴のように澄んでいた。可憐な声だったのだが、その雰囲気を物騒な火器から立ち上る煙が台無しにしていた。
「………………きっ……君は?」
月雲の喉からやっと声が出た。
続く少女の返答は質問に答えていなかった。
「話は後、奴らが来る。銃は使えるよね?」
短いスカートに隠れる太ももの付け根辺りからピストルを取り出し月雲に手渡す。その後、月雲の腕をがっしりと捕み、走りだす少女。連れられるまま月雲も急いでバッシュ――昔バスケをかじっていて、その靴をそのまま使っている――を履いて走る。
その時、カタカタカタと断続的な音が聞こえた。後ろの方―ベランダの辺りからだ。
月雲由斗は走る。先を走る少女に付いて行く形で夜の街を疾走していた。
「それで!! 君はなんで追われてるんだよ!!」
声を大にして叫ぶ。少女は軽く振り向いて言った。
「逃げ切った後で話す!!」
曲がるたびに、走るたびに揺れるポニーテールを追いかける月雲だったが、後ろから銃声が聞こえた事で走る速さを速める。そして思わず振り向いた。
黒ずくめのスーツの男が数人、こちらへ段々と距離を詰めてきていた。
「逃げ切るなんて無理だ!! 降参すれば奴らだって…………」
月雲の提案を遮ったのは少女の冷徹な言葉だった。
「掴まれれば殺される。だから逃げる事に集中して」
――殺される――
頭の中にその一言が反響する。
的確な恐怖となってジリジリと頭を侵食してきた言葉を止めたのは、またしても少女の言葉だった。
「大丈夫、きっと逃げきれるから」
なんの根拠も無い言葉。しかし今はその言葉が嬉しかった。
裏路地に入って数回曲がった辺り、月雲が蹴飛ばしたのはガソリン缶。そして近くには数台の車。
(この辺りは火事になっても人がほとんどいない?)
建設業をやってる時の情報が頭の中でポンと出てきた。
「そうだ!!」
「何!?」
少女は振り向き、問う。月雲は構わず言った。
「このガソリン缶を使ってあの車を爆発させる。俺が細工するから君は見張っててくれ」
「う、うん」
ぎこちなく頷く少女。
細工している間、銃声が数発した程度で大きな変化は無かった。
(よく推理小説読んでいて良かった―――)
読書家だった母に感謝しつつ、少女に言った。
「準備は出来た。こっちにおびき寄せてくれ!!」
少女は頷き、建物の影から様子を伺っている。
「来たよ」
一言。月雲は、さっと物陰に隠れた。
少女は影から追手に向かって『UZI』というサブマシンガンを連射した。数秒の連射音の間に男の悲鳴が聞こえた。
――死――
具体的な現象が目の前で起き、身震いした。
少女は月雲の隠れてる方へ走った。
しかし、少女が月雲の方へ走るより、スーツの男たちの方が速かった。
「いたぞ!!」
男の野太い声が聞こえた。秒を同じく数人が揃った。
「クソッ!! 伏せろ!!」
月雲の声に合わせ、少女がこちらへ向かって体勢を低く跳んだ。
月雲は渡されたピストルを構える。狙うのは細工したタンク。
(当たれ!!)
強く念じた為か、はたまたただの強運か。射撃の素人である月雲は正確にタンクを撃ちぬいた。
瞬間、爆発。
耳が潰れるくらいの爆音の後には焼け残った数人の遺体。
車の所有者には心の中で謝罪し、少女の方へ振り返ろうとする。
そこで、
少女の悲鳴が聞こえた。
見ると、黒ずくめのスーツの男が至近距離で少女に銃口を突き付けていた。
「officio du functus」
月雲には分からなかったがどうやらフランス語のようだった。意味は『任務完了』
「あぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!!!」
無我夢中でピストルを向け、引き金を引いた。
射出された弾丸はまっすぐに男のこめかみに吸い込まれる。
柔らかく着弾し、男はハネるように横へ体が飛んだ。
「殺した。俺が、この手で……………」
ピストルを堅く握り締める両手を見た。ブルブルと震えていた。
少女を助ける為とはいえ、人を殺したのだ。実際にこの手で。
「済まない、助かったよ」
少女が体を起こし、月雲の方へ近づく。
「い、いや…………」
「私はアイリス・マクロウェル。アリスって呼んで」
差し出された手を震える手で握る月雲。
その震えを感じたアイリスはニコリと笑った。
「大丈夫、君のおかげで私が助かった。これは誇っていいと思う。それより君の名前は?」
「俺、月雲由斗」
月雲の名前を聞いたアイリスは驚きの表情を作った。
「ジャパニーズ!? それにしては英語が上手いな」
「生きていく為だからな。いちいち職場で日本語に合わせてくれるワケじゃないし」
「この歳で働いてるの!?」
またしても驚いた顔。
「この街じゃそんなもんだと思うけど…………それに、色々……あったから」
月雲の陰った表情から何かを見て取ったのか、アイリスはそれ以上聞かなかった。
「それよりユート、バーガーショップ行かない? 腰を落ち着ける場所が欲しいし」
月雲はコクリと頷いた。