第4ミッション 見守ってくれている人に顔を向けて挨拶を 前編
3回目のミッションを終えてから2週間がたっていた。その間いつもと変わらないネットゲームと部屋で過ごす日常に少しだけ困惑していた。
1年前に不変である事を求め、ずっと部屋に籠り続けたが、たった数回のよくわからない自称゛神様゛からのミッションを行った事で自分の中で少しずつだが何が変わり始めていた。そして思う。
たかが少しの変化で、不変を求めていた自分がこんなにも心が揺らぎ、満たされないものかと。誰とも分からないハッカーにいいように遊ばれただけなのではないか?僕がベランダに出たことに満足したか、それとも何処からかベランダに出た僕の姿を見て笑いものにしたのか?
そんな気分から自分の事がネットに掲載されていないか調べたくなるが、別件ですでにネットに自分が掲載されている事を知っている。たぶん、自分の名前で検索をかけるとアクセス数でそのサイトがトップに上がってくるはずと、もし今回の件とは間違って、そこにたどり着いた場合、古傷が甦ってくるに違いない。少し考えただけで、あいつらの笑い顔を思いだして恐怖で手が震える。
「まだあいつらに蝕まれているのか・・・」
口から漏れた言葉は、無心から出た言葉でそんな事を口にするなんて自分ですら驚いていた。
こんな気分でネット仲間に会いたくないと、今日はパソコンすら起動をするのを、やめようと思っていると、急にパソコンの電源が入り、立ち上がっていく。
「え?な、何?どういう事?」
心の整理がつかず驚いてはいるが、こんな事が出来るのは゛神様゛しかいないと、待ち望んでいたかのように前のめりになりながら、パソコンの前に移動し、何処か期待の混じった顔でパソコンを見つめる。
立ち上がった画面は、゛神様゛からのミッションを受ける際の、いつもの黒画面で左上にカーソルが点滅している。
30秒ほど待ったぐらいでようやく画面に文字がゆっくりと入力されていく。
゛見守ってくれている人に顔を向けて挨拶を゛
たったこの一文で誰に挨拶をするのかを悟る。
パソコンはそのまま、デスクトップ画面に切り替わり、何事もなかったようにマウスカーソルが真ん中に表示されていた。
左下、時間が表示されている部分に゛ミッション゛というアイコンがあった。
アイコンをマウスでクリックすると、先ほど見た゛神様゛からのミッション内容だけ。
・・何が足りない。
そうこのミッションに対する期限がどこにもないのである。
そして考える。
まず一番に思い描いたのは、このまま、このミッションは放置でもいいのではと言う事だった。
今までは、パソコンが潰れてしまうかもと、焦り、恐怖からミッションをクリアーしてきた。
今回のミッションはそういったパソコンが破壊されるなどのペナルティが、記載されていない。
やる必要は何処にもない。はずだった。
だけど僕は、思わずパソコンデスクを叩く。
「なんて…なんて、ミッションなんだ」
パソコンが潰れてしまうこと。それは僕にとって゛外゛との繋がりを完全に断ち切ること。本当に誰とも関わりを持ちたくなければ゛オンライン゛でゲームをする必要がない。さらに言うとRPGである必要もない。オンラインを楽しむのであったとしても、何処かのブラウザゲームでオセロ、将棋といったボードゲームなどで、相手の名前がシステムに決められた初期値で遊んでいるような、相手が誰ともわからない゛会話をしなくても良いゲーム゛でもいいのではないか?
では何故、MMORPGでないといけないのか?
゛楽しいから゛
では何故楽しいのか?テレビゲームではなぜ満足できないのか?
゛人と関わる事が楽しい゛
そう。矛盾している。人と関わりを捨てる為に引きこもりを始めたのに、ゲームを通じて人と関わりをもち、しかもそれを楽しいというのである。
僕は、大馬鹿者である。
その事に気がついてはいたが、今回のミッションで再認識させられた事に憤りでデスクを叩いてしまったのだ。
手がジンジンと痛む。
次に考えたのは、どうやってこのミッションを成功させればいいのか?と言う事だった。
ミッションをやらないと言う解決方法もあるが、やると言う解決方法もある。そして、気持ちが落ち着いてきた、今なら憤りを感じた原因は矛盾だけではない事に気がつく。
僕が一年も、こんな状態になって何も言わず見守ってくれているお母さんに何をどういえば許してもらえるのか?そればかり考えるようになり、言葉を交わすこともなく、ただ引きこもるしかできず、今になりこのミッションをやる勇気が湧いて来ない。
「どうすればいい?」
また、無意識に口から漏れた言葉に驚く。゛どうすれば゛の言葉の中に解決を放棄するは含まれていなかったからである。
僕はこのミッションを成功させるつもりでいる。僕が゛外゛に出て、お母さんを安心させてあげたいと思う気持ちもある。
だけど、心の中ではそんな綺麗事が理由ではないと言っている。
゛お前はミッションをクリアーする事で満足感を獲たいだけ、これもお前にとってはゲーム゛なのだと。
そうであるならば、納得もいく。僕はただのゲーマーだと。始めは簡単なクエストから、クリアーする事で得意気に次、また次と順番にクリアーする。
そして今、少し難しい難易度のクエストフラグがたったのだ。今までクリアーしてきた経験が積み重なり、自信をつけた事で発生したに違いない。神様は僕の自信を数値化し、今回のミッションをクリアー出来ると判断したのだろう。
歯を食い縛る。
そんなわけがない。世の中において自分を数値化出来る物差しはテストだけだ。努力した分、数値は上がる。
しかし、だからといって人生における自信値、ラッキー値は勉強で上がる事がないのを僕は知っている。
゛神様゛がいくらパソコンに詳しくても、所詮は人間なはずだ。僕の人間パラメーター表を作って、能力値を見て判断しているはずがない。
いくら考えても、分からない。
初めて゛ミッション゛をしたときの不安な気持ちが蘇る。
時計を見る。現在13時。お母さんが帰ってくるのが21時ぐらいか。
後8時間ほどある。多分今日、このミッションを解決しないと、次に気持ちが立つのはずっと先だろう。
何かきっかけがないと、お母さんに話をするのはかなり難易度が高い。
ここは夕飯でも作って、会話を出来る雰囲気にしておかないと。僕自身、後8時間もテンションが保てるか、分からない。
早速リビングに行くために、部屋の扉のノブに手をかける。しかし違和感を感じてノブを握る手を見ると、ものすごく手汗をかいていることに気がつく。
「何これ?」
いつも部屋を出るのに、こんな事はなかった。初めての経験で自分の体の状態がどんな事になっているかわかっていない。体からものすごい汗が出ていると言う事はなく、手だけが異常に汗をかいている。心臓のドクンドクンという跳ねるような音を感じて緊張しているんだと気がつく。その時、僕は緊張していることすら分かっていなかったのだ。
(相当、テンパっている)
現状を冷静に自分を分析する僕と、テンパってどうしていいのかわからない僕がいる。夕飯を作るのに、こんな状態では包丁を握る事すら危ない。けど何かきっかけがないと、まずは冷蔵庫を見て判断しないと。
ノブを握ったまま、べったりとする手汗に不快感を持ちながら考えていた時間は3秒もないだろう。
気を取り直す為に、息を吐きノブを回す為に手に力を入れる。
が回らない。
いや゛回せていない゛のだ。
(ぇ?!)
その事に対する驚愕に目を見開く。まるで、自分の体のじゃないみたいだ。誰に体を操られて手が動かないようになったのか?
いや、誰かのせいにするのはやめよう。僕がこの部屋から出るのを‥いや、違うなお母さんに会うことを拒否しているんだ。
どうすればこの状況を変える事ができるのか?どうしていいのかわからず、どんどん自分を追い込んでいく過程で生じた恐怖にガタガタと体が震えだす。
(こ、怖い)
何に恐怖しているのか?自分でもよくわかっていない。
(何がこんなに怖いんだ?お母さんに顔を見せるだけじゃないか)
考えれば考えるほど重く圧し掛かってくるプレッシャーに、どうにもできず最悪の方法を思いつき実行する。
「‥もうお母さんに会わない」
口に出して音声が脳内に浸透したのか、体の震えが止まり簡単にドアノブを回す事ができた。呆然と立ち尽くす僕の頬を伝う雫の熱さを感じる。気がつくと、僕は泣いていた。
本当に僕は、大馬鹿者だ。
毎日リビングのテーブルには、゛行ってきます゛の置き手紙があって、それ以上の事は書かれていない。
それを見て、どうにもできない僕は手紙を捨てる事が出来ず、ただそのままにしておいた。次の朝、また違う紙を使って゛行ってきます゛。毎日、毎日。
お母さんの気持ちは、痛いほど分かる。毎日書かれた゛行ってきます゛の言葉は同じでも込められている思いは筆跡を見れば違う事がよくわかる。
ただ僕を信じて待ってくれているたった一人の肉親に向かって゛会わない゛と口に出来てしまう。
こんなにも僕は弱くなってしまった。守らないといけないものが人には必ずある。お母さんを全部まもるなんて傲慢な事は言わない。せめて、心配させずただ穏やかに過ごして欲しいだけなのに。僕から、僕自身を裏切ってしまった。
ネットゲームではみんなを守れる剣であり、盾にもなれるのに。ロディと僕は何処が違うのか?
何故こうも簡単に、現実から逃げれるのか?
゛一度泣いた闘犬は闘う事が出来ない゛
昔見たテレビのフレーズが脳内によぎる。僕も、もうずっとこのままなのだろうか?どうしようもない敗北感と、喪失感に空っぽの僕は立ち尽くす。
どれぐらい立ち尽くしていただろう。ふと、どこからか音が聞こえる。遠い意識の深層にいた僕を引き上げるような音。
それはただの固定電話のコール音だった。
いつもなら、気にする事もなかっただろう。しかもこんな気持ちが塞がった状態で電話のコール音に反応するなんてありえない。
だけどすごく嫌な予感がする。
部屋から出て1階の玄関にある電話の前までいく。いつ切れてもおかしくないコール音。
震える手で受話器を取る事ができない。
しかし、なぜだろう嫌な予感はコール音が募ると共にどんどん膨らんでいく。
「はい。もしもし」
「上杉様のお宅でしょうか?私は、真澄さんの上司で紅原と申します」
僕のボソボソ声に反応して、女性の声が受話器から聞こえてくる。がさっきとは違う人間恐怖に対する気持ちではなく、嫌な事を今から告げられそうだという緊張感から心臓がバクバクと跳ね上がっていく。
心臓音が受話器に聞こえないかという心配すらしてしまうほうどの跳ね上がりだったが、相手は気にした様子もなく、内容を伝えてくる。
「早速ですが、真澄さんが職場で急に意識を失われて、XXX病院に搬送されました。病室番号は・・・・・・・」
僕の体が泳ぐ。紅原がまだ何か言っているがほとんど耳に入ってこない。病院名から場所を脳内検索し、家から30分ほどの総合病院だと思い出す。
「ご連絡、ありがとうございます。今から向かいます」
気がつけば無心だった。玄関の鍵を閉め、自転車が置いてある場所まで走っていき、自転車を確認すると、ほこりや水垢で汚れたイス。
綺麗にするのも煩わしく、そのまま座るとタイヤに空気が入っていない。
クロックスに素足、パジャマとしても見て取れる灰色のジャージ姿。ボサボサの頭で目に汗が入ってもぬぐい、なみだ目になりながら疾走する僕の姿が町内にあった。
誰の目も気にしない。気にしている暇がない。
さぞ、周りの人には滑稽に見えただろう。けど関係ない。
息を切らし、横腹が痛くなっても走り続け病院に着く。ロビィに入り受付まで歩いていく。
「はぁはぁ。す、すみません」
「は、はい?」
受付のお姉さんが、驚いている。そのまま水を下さいといっても差し出してくれそうだ。
「今日、搬送されてきた上杉真澄の病室は?」
「・・・・君?」
名前を呼ばれて後ろを振り返る。そこにはスーツ姿の50歳ほどだろうか、それでも綺麗な顔立ちの女性が立っていた。
「はい。そうですけど」
「さきほど、電話させていただきました紅原です」
「どうも。それで母は?」
「こっちです」
紅原さんの後ろを、ついて行く。何だろう?病院ってこんなに緑っぽいイメージだったかな?廊下を歩いていると、そんな思いが生まれる。紅原さんが落ち着いている事から、お母さんはそこまで緊急性のある症状ではない事が分かる。
連れてこられた場所は、救急室ではなく普通の個室だった。
扉をノックする紅原に、あぁ!と声をかけそうになる。そう僕はここに来て急に怖くなったのだ。
しかし、僕のタイミングではなく紅原のタイミングで扉が開けられた事で、良かったのかもしれない。もしかしたらずっと扉の前で立ち尽くし、そのまま帰った可能性もある。
紅原さんの後ろに隠れて、部屋に入る。
綺麗に整理された、ベット以外に冷蔵庫すらない個室だった。
窓から白い光が差し込み、ベットに腰をかけるように座り窓の外を見ているお母さんがいた。
「あら、横になってなくて大丈夫なの?」
「ええ。もう大げさなのよ。少し疲れが溜まっていただけで救急車呼ぶなんて」
「そりゃ、びっくりするわよ。急にふらっと倒れるんだもん」
同僚と軽口を交わすお母さんの姿は初めて見る。何かすごく変な感じがした。僕の記憶にあるお母さんではない”上杉真澄”を見るのはこそばゆい感じがする。紅原さんの後ろにいる僕に気がついたのか、お母さんの目が大きく見開かれる。
「則道?!」
驚いたお母さんの声が病室に響く。
「ど、どうも」
顔をあわせたが、どうしていいのかわからない。出てきた言葉も気の効いたものではなく、情けないものだった。
互い顔をあわせて、何も言わない。時間だけが過ぎていく。
「私ちょっとお茶でも買ってくるわ。ゆっくりしてね」
「・・・えぇ。ありがとうね」
フリーズしていたお母さんが、紅原さんの言葉で現実に戻ってくる。二人だけの病室に頭を掻く事しかできずにいるとお母さんから声がかかる。
「何突っ立てるの?そこにイスあるから座りなさい」
「あぁ、うん」
立てかけてあった折りたたみのパイプイスをベットの横につけ腰をかける。
顔が見れず下を向く僕に、お母さんは急に笑い出す。
「ボサボサの頭ね~。切らないと」
「人に切ってもらうのは好きじゃないんだ」
「そんなんじゃ、彼女できないわよ」
「い、いらないよ!」
僕の焦った声に笑顔を浮かべるお母さん。
「来てくれてありがとう」
その言葉に僕の涙腺は決壊する。
「・・めん。ごめん。お母さん」
「なに謝ってるの。私は今日来てくれた事で満足だから」
お母さんのこんな簡単な言葉で許された気分になる。1年の心配を済ませてくれるお母さんに、なんていえばいいんだ。
たった一言今まで言いたかった事が脳裏に思い出される。
「・・・おかえりなさい」
「え?」
「ずっと”行って来ます”って書いててくれたから、言いたかったんだ。おかえりって」
「そう。じゃあただいま」
「それは、おかしいよ。病院から帰ってきてからじゃない?」
「じゃあ、おかえりもおかしいんじゃない?」
顔をつき合わせ、互いの主張を言い合うと、どちらかともなく笑いが起こる。
お母さんが両手を広げて、僕を待つ。こんな歳にもなってお母さんとハグするなんて恥ずかしかったけど、僕はそのお母さんの懐かしいにおいがする両手の中に飛び込み幸せを感じていた。
誰かに受け入れられる事、こんな幸せな事はない。
今回のミッションは自分から、起こしたアクションではなかったけど、本当に良かった。
しかし、まだこの時僕は気がついていなかった。
パソコンの左下に表示された”ミッション”のアイコンが消えていなかった事に。