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エリア・グレッグスン

 その道の一端を修めはしたが、すっかり時代遅れとなっている人工頭脳――少なくとも産業界はそう捉えている――を再び学習するためにリオンは出来る限りの参考文献や関連資料をかき集め自分の部屋に閉じこもる日々が続いた。アカデミーには研究生として残ったが、時折思い出したように研究室に足を運ぶ以外にはほとんど外との接触を取ることが無くなっていた。

 数少ない例外が、地球に住むエリア・グレッグスン博士――リオンに必要な知識を授け、人工頭脳タイプワンの設計者でもある人物――であった。

 彼はタイプワンの開発成功によって皮肉にも人工頭脳における有用性の限界という認識を広く知らしめる事となってしまったのだが、その後も人工頭脳分野の研究を牽引し第一人者と称されるほどの功績を残している。しかしその評価の実情は、彼を錬金術師同様に捉える大多数の人間と、そうは考えていないごくわずかの同志によってもたらされているものであった。事実上、彼の科学者としての地位はほとんど失われてしまっている言っても過言ではなかった。いうなれば、リオンは数少ない弟子であり同志の一人である。


「電子頭脳では――」ある時、地球と月の間を結ぶ星間通話の中でグレッグスン博士が言った。

「――個々の記憶体を電子上の立体処理で合成し、それらが有機結合されていると見做す。つまりコンピュータグラフィックスの立体画像のようなものだ。その立体は概念上の擬似立体であるというのは自明のことではあるな。つまり立体でやろうとしてる事を平面で代用しているに過ぎない。これまで、そこに注目する者はおらんかった。そうとも! これまでは概念上の記憶体から実際上の記憶体、つまりメモリーディスクやシリコンチップなどのハードウェアへと置き換える作業こそが人工頭脳製造の要であるという間違った捉え方をされておったわけだよ。その間違った考え方においては、ハードとのやり取りに関わる処理の速さだけが問題とされていた。もちろん、そこが改善されたところでスポンサーのお眼鏡に合うアンドロイドなんて作れるわけないがな。だがそこは置いてだな、その速さだが。実際上の立体処理においては、遅い速いは実は大した問題ではないのだよ」

「……と言いますと?」リオンは首を傾げると尋ねた。


 はるか遠く、地球にいる相手がまるで目の前にいるような感覚を受ける鮮明な画像と高速の通信手段。そのテクノロジーを介して届く博士の声の調子には無条件に人を信頼させる気安さがあった。リオンは博士のカリスマ性がこの分野に限って悪い方向へ作用しているのではないだろうかと考えていた。そんなリオンの考えを知ってか知らずか、博士は息をつきしばしの間リオンを眺めた。そしてまた話し出す。

「これまでのように処理速度をいくら追い求めたところで、外部から次々に入ってくる膨大な情報に対してはいずれ打つ手はなくなってしまうだろう。人工頭脳の性能を上げようとすればするほど、搭載されるされる機能が多ければ多いほど、それらに比例するように人工頭脳はさらに途方も無い情報量と対峙する羽目に陥ってしまうのだ。いたちごっこだよ。だからといって人工頭脳の性能をある程度で止めてしまえばいいのか? それもまた違う、それでは人工頭脳としての意味も無い、ただの機械だ。リオン・オカザキ君。受動的な情報処理装置に過ぎない機械を、自ら思考し決定し反応する、自律的思考を行う頭脳として成長させるのに必要な要素をひとつ挙げるとすれば何があるだろうね」

「……それは初期設定を踏まえた思考アルゴリズムを経て決定されるよう仕向けられたプログラムの構築ではないのですか?」

「まあそれも間違っていない、機械製造に関してはな。だが私の考える要素はもっと簡単だ。それは一つの単語で表現できる」

「何でしょう。想像もつきませんが……」

「自律的成長や行動に必要な要素、それは忘却だ」50万キロメートル彼方からの返事が届く。

「忘却?」リオンは聞き返した。

「そうとも、忘却だ!」グレッグスン博士は声を強めた。

「記憶力の良すぎる所が電子頭脳の欠点だったのだ。これまでは有機結合された記憶を辿る場合、優先順位による処理がなされていた。しかし、その優先は上位から下位へ……下段からさらにその下へ。途中をすっぽかして飛べという命令の行があったにしても、そこへ到達するまでには全ての行を参照するしかない。つまり立体の記憶に対して思考は直列的だったわけだ、それならば速さだけが要求されるのも致し方なかろう。知っているかね? 思考をやめたり堂々めぐりを繰り返したり、はたまた脈絡のない行動を取り続けるアンドロイドのことを」

 リオンは思い起こす。プログラムのエラーやハードウェアの故障として報告される数々の事例。

「勿論知っているとは思う。ではその欠陥はどこにあるのだろうね? つまりはこうだ、思考の有機的結合は成功した。しかし処理は依然として機械的だった。柔軟で繊細な思考活動は、作業を完成させる途上で機械によって強い制限を受けていた。全てを漏らさず受け止めねばならないという機械的使命によって。そうなれば頭脳にはとてつもない負荷が掛かる。その結果がそう……発狂だ。理性と本能が対等に過ぎてジレンマの限界に達したものは全てそうなってしまう。しかしそのバランスを取る事は出来ない。いたちごっこなのだ。理性に傾けば単なる機械であるし、本能に傾けばそれはもはや知性体とは呼べん」

「なるほど、良く分ります。しかしそれがどうして忘却と繋がるのでしょうか?」リオンは尋ねた。

「そう、忘却だ」博士は静かに答えた「我々は他人の名前を間違えたり思い出せない事があっても、自分の名前を忘れる事はないだろう。ましてや食事や排泄や睡眠を忘れる事はない。ところでオカザキ君、今日のこの会話を今ここで全て忠実に再現してくれたまえ」

「え……?」

「無理だろう、そもそもそんな事は大体の人間には無理だ。だが話の大筋は掴めていると思う」

 リオンは静かに頷いた。

「君はおそらく今日の会話の記録を日記として大まかに記すことが出来る。忠実に記録する必要はない、今日の新しい発見や学んだ内容の要点を記せばそれで足りる。今日、君が聞いた忘却と言う概念はこれまで君が接してきた辞書や言葉や出来事にそのまま当て嵌めるには少しばかり内容が違う。これは私が主張する人工頭脳理論に関する忘却であり、これを理解しないものには不可解な謎であり続けるだろう」

「……はい」

「人工頭脳はそれをやる。いや、そうなるように設計する」博士はため息とも取れるような細い息を吐いた「実際問題、現状の記憶の分量を意識しない人間の頭脳のようなものには合理的整合性は必要でないのだ。片や、人工頭脳だ。これを機械的思考をなぞるように設計してしまうと、情報を集め、貯蔵し、必要なときにありったけを陳列し、それでも足りなければ再び情報を集め、そのうちに管理しきれないほどのジレンマを抱えてがんじがらめになる……そう、機械は正確すぎる。アンドロイドに正確すぎる記憶力は不要なのだ。しかしながら、忘却を我々の手で設定することは出来ない。これまでの人工頭脳は素材的な限界を抱えていたのだよ……」


 素材的な限界を克服する新素材としてエリア・グレッグスン博士が開発し、当初は産業界にも注目され現在のロボットにも使用され始めたスポンジのような外見を持つ立体型情報処理基盤は、糸状の情報伝達ラインが立体的に編まれるように構成されている。立体的に構成される過程で、編み込まれる糸は上下左右に枝分かれして多方向に繋がりを持つ。その縦横に繋がる糸がバイパスとして機能している。

 バイパスの集合体がスポンジ球のように構成されたこの脳素材は、情報処理基盤としての機能を見た場合、球の中心――下層――へ行くほど強い規制を促す初期設定基盤。上層へ行くほど記憶・復習、いわゆる学習的な真似ごとなどを促す追加設定基盤として機能する。

 下層に設定されるものほど絶対的な優先性――プライオリティ――があり、逆に上層へ行くほど思考などの意識的行動にプライオリティを持つ。

『意志』の源となる電流は、下層、いわゆる球の中心から上層、いわゆる外側へ向かってバイパスを流れる。流れた電流は外側の表層、つまり上層へ行くほど滞留時間が長い。

 上層へ流れた電流はバイパスの各所に設置された記銘セクションを刺激し、記憶される。記憶は、バイパスの連結によって下層との関係性を保つ。

 この記憶処理において、忘却が発生する仕組みをグレッグスン博士は構築した。電気を遮断するブレーカー、もしくは流量を制限するバルブのようなものを各記銘セクションに組み込んだのである。その機能によってバイパス間の関係性が断たれるか、極めて希薄になるとそのセクションが刺激されなくなりその記憶は参照されなくなってしまうのだ。これが自己防衛のための規制機能として極めて重要である。この機能が設定される以前の段階では様々な人工頭脳たちが永遠のループを繰り返したり、葛藤の末にノイローゼを発症する。いわゆるエラーやクラッシュに陥った。


 忘却機能を持つ人工頭脳は『夢』を見るのだと、博士は言った。それは本能的な原設定を司る下層脳体から流れてくる『無意識の声』が上層に滞留したものであると。


 グレッグスン型人工頭脳は、自己を守るための防衛機制として『眠り』を設定する。それは忘却を促すための機能であり、人工の生理現象とも言える。

 そうする事によって、人工頭脳は自己のオーバーワークを防ぐのである。眠っている間、相互関係性の希薄な記憶の一部は通電を失い忘却される。

しかし忘却は『消去』では無い。繋がりが希薄なために関係性が切り離されただけであって、記憶は消されずに残っている。そのため『思い出し』が発生する事もある。

 覚醒時は思い出す事によってバイパス間の相互作用が活性化して再び強く記憶されることもあるが、睡眠時は意識的な相互作用がうまく働かずに関係性のない記憶たちを通過した電流はそのまま表層へと向かう。

 それがアンドロイドの見る夢である、とエリア・グレッグスン博士は言った。


 リオンは新素材人工頭脳の製作と、そこに記憶させる原設定の内容や焼き付ける位置を来る日も来る日も考え続けた。開発支援用プログラムを作成するとそれを使いさらに膨大なマスタープログラムを作成した。

 新聞の片隅で『エリア・グレッグスン博士の自殺』が控えめに報じられたのは、この通信から数ヶ月経ったある寒い日――季節が冬に設定されている期間――の事であった。


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