友達のマリア
「小さなマリア! あなたは透明で本当に小さいからどこにでも隠れていられるわね。でも今日は許さない! 出てきなさいよ、小さなマリア!」
マリーのもとに2番目の友達が現れたのは、マリーがある程度自律的にものを考えるようになってからのことである。ビショップがマリーの召使であり様々な物事の代償であったのに対し、小さなマリアは存在であり対等な友人であった。マリーは彼女を社会化させるために小さなマリアという名前を与えいつもその呼び名を使った。
小さなマリアは宇宙からやって来た。遠く手の届かないところであれば何処でもよかった。小さなマリアは、マリーの知らないことに理解を与えようとする積極的ヴィジョンであり理不尽な物事に理解を与えるために存在した。
彼女との対話は内的なものである事が多く、それがはっきりと分る形で現れる事は滅多になかった。
マリー自身もその不可解さを自覚しており、リオンに対してその理解を得ようと骨を折ることはなかった。
「今日という今日は許さない! 小さなマリア!」
マリーは大声でその名を口にした。それから考え、落ち着きを取り戻す。
「ごめんなさい、小さなマリア。あなたが悪いってわけじゃない……」
マリーの頭の中には葛藤があった。ある程度の学習を終え、記憶に基づく思考が複雑化すると一つの事柄に対して様々なものの見方が生まれて対立を生む。
対立は迷いとなって、記憶の底からのイメージであるタブーや直感が渦巻いた。理性を捨ててしまいたい欲求にマリーは苦しんだ。
*
「反抗期だってね」
通路を抜けたガラス張りの広いラウンジの中で、リオンは声を掛けられた。そこには白衣を着てレポートを小脇に抱えた研究員の一人。空間エネルギー部門で研究を行う知人のアイゼル・グラマンが人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
「まあ、新しい進展だが。だからといってそれが君達を喜ばせるような事ではないのが残念だ」リオンは自虐的な笑みを浮かべるとすぐに目を逸らせた。
グラマンは眉を上げながらにこりと笑うと何も言わずに彼の隣に立った。広いラウンジを取り囲むドーム状の透明なシールドの向こうは今『夜』を表している。煌く星ぼしと深い宇宙、その真ん中に地球が見える。青いやわらかな色彩を湛え、白い吐息を思わせる雲の帯。あの青を見ていると人類を始めとする全ての生命があそこで生まれたという政府広報のメッセージにも納得できる。
フィルターのかかったシールドには、偽善的なまでに穏やかで作為的にすら感じる美しい光景を映し出してはいるが、その向こうに見える真実の姿を映してはいない。今、月面のその部分は、現実には太陽の照りつける灼熱の光線が目を焼く真昼間であるはずだった。
「全く無駄な事でもない」ふいにリオンがつぶやくように言った。
「え? 何が?」グラマンはシールドの向こうの風景からふいに引き戻された。
「……この映像さ。罪のない嘘だ」
グラマンはにこりと笑いもう一度青い地球を眺めた「そうさ、あれは実際にある。でも地球は遠いなあ、いろんな意味でさ」
それを聞いてリオンも笑った。
「何と言うか。あそこを飛び出してしまった孤独じゃなく……むしろ取り残されてしまったような気分だ」
「分るよ」グラマンは親しげにリオンの背中を叩く「何でもないことさ。最後は自分自身がどう思うかだ」
リオンは頷き大きく息を吸った「さて、もう行かないと。お前と違っておれは細々とした研究成果をお情けで買ってもらっている身だからな。娘も待っているし……ありがとう」
グラマンは軽く笑って応えた。そのまま近くのベンチに腰かけてリオンを見送る。凝った肩をとんとんと叩き深く息をついた。ラウンジ内に設置されたセンタービジョンを見上げると四角い枠の中に映し出されていた音楽番組が地球の映像に変わり臨時ニュースを流した。ニュースは、連邦当局が制定したアンドロイド法案を手土産に連邦使節団が月面に到着したと報じた。