マリアの記憶
「上出来だ」リオンは静かにつぶやいた。かすかに目を開け、またすぐに眠ってしまったアンドロイドをそのままにして研究室の片付けを始めた。
工作機械の装置を取り外しながら、果たしてこれを再び使用する事などあるのだろうかと考えた。
届いたロボットの全身梱包も処分する。彼女はもうロボットというモノではない。目を覚ませば自分で歩けるように手を貸すし、眠っているならば抱えて運べばいい。
全ての整理を終え、眠っているアンドロイドを見る。「……抱えていくか」リオンはこれを完成させるために財産のほぼ全てを使い果たした。
両親が遺した、何一つ不自由なく暮らしてゆけるほどの分不相応な財産は彼を金に無頓着な性格に変えてしまった。贅沢こそしていなかったが、散財してしまった現状に関して危機感を持つことがなかった。
リオンは眠っているアンドロイドを抱えて研究室を出た。大昔のロボットに比べれば非常に軽量な素材を使っているのだが、作動時の重量バランス設計もあり結局人間と同じぐらいの重さになる。横抱きにして廊下を進み、居住エリアへ向かうささやかな階段を降りる頃には体が悲鳴を上げて今にも倒れ込んでしまいそうになった。
リオンは歯を食いしばって運んだ。途中すれ違った夜勤明けの職員は怪訝な表情でその様子を見送った。
自宅のエントランスを抜ける時に、もう夜が明け始めている時間帯だと気付く。
自室にアンドロイドを運び込んだリオンはそのまま倒れるように眠り、昼過ぎに目を覚ました。飛び起きて自分のベッドを見る……そこには昨夜から未明にかけて彼が苦労しながらやっとの思いで運び込んだアンドロイドが、寝顔とも取れる表情で静かに横たわっていた。
リオンはしばらくその美しく均整の取れた成人女性を模した形状を眺め、静かにアンドロイドの置かれている自分の寝室を離れた。そのままダイニングに行き簡単な食事を摂り、長い間起動させた記憶のないテレビモニターのスイッチを入れた。
番組のニュース映像が流れる。ついこの間まで無法地帯だと思っていた火星のコロニーで、大統領を決めるための選挙が住民の投票によって行われるのだという。聞いたこともない名前の宇宙ステーションで反乱が起こっているという。月面コロニーへの補助金が削減され、増税へと進む政策に月面住民達の反感が高まり富裕層の移住が止められないという。何もかもが自分とは関係ない遠い世界での出来事のようにリオンは感じていた。
「それよりも……」リオンは考えていた。名前はどうしようか? 彼女を何と呼ぼうか。
『マリア』記憶の彼方で声が聞こえた。彼女の母親が発したあの女性の名前。そう、あれはマリアだったと思い出す。
あの頃の記憶を、想いを辿る。きっと魅了されていたのだと思う。その幻想は、あの頃の自分には遠すぎて、眩しすぎた。だからこそ、そこに光を見出したのではなかったか。
マリアがもたらした光。その光を浴びながらここまでやって来た。マリア、あの頃からずっと一緒だった。そう考えると、とても幸せな気持ちになった。
テレビモニターのスイッチを切ると寝室で物音がした。リオンは青白く痩せこけたその顔いっぱいに笑みを浮かべると立ち上がり寝室へ小走りに向かった。