漏水検査官
その晩も、私は仕事のために深夜の住宅街を歩いていた。こう書くといかがわしい職業のように思われるかもしれないが、私はれっきとした公務員である。
市の水道局の保安検査官を務めて、もう二十年近くになる。仕事のお供は右手に携えている長さ1mほどの金属棒だ。こいつの先端をコンクリートの地面に当て、伝わって来る水道管の漏水の音を検知する。それなりの熟練が必要だが、慣れれば人に気を使うことの少ない気楽な仕事である。
交差点に差し掛かり、通行が無いことを確認する。マンホールの近くに金属棒を当てて聴音を始める。ここも異常は無いだろうか。…いや、微かに雑音らしきものが聞こえてくる。聴覚を研ぎ澄ませ、雑音の正体を探る。ぽっ、ぽっ。ぽっ…どうやら、水漏れの音のようだ。
水漏れの箇所を突き止めるため、少しずつ位置をずらしながら検査を行う。一番音が大きく聞こえる場所が、漏水個所の真上である。そこを突き止め、地図に印をつける。翌日には修理が行われる、というわけだ。
音の大きくなる方に向かうと、一軒の神社に突き当たった。水漏れ箇所はどうやらここの境内のようである。本堂はひどく寂れており、長らく人の手は入っていない様子だ。夜が深いこともあり、実に薄気味が悪い。しかし、仕事は仕事である。私は金属棒を握りしめ、鳥居を潜り抜けた。
神社の裏手にある古井戸―そこが、漏水音の発生源のようであった。なあんだ、無駄足ではないか。井戸の中に滴り落ちる水の音が、私をこの廃神社に迷い込ませたのである。やれやれ、と思いながら踵を返す。
ぽっ、ぽっ、ぽっ。背後で水の滴る音が響いている。それは次第に大きくなり、私の耳元に迫って来る。瞬間、背筋が凍りつく。これは水の音などではない―背後に異形の気配を察知したとき、私は全てが罠であったことを悟ったのである。