一章 一話 精霊と契約しよう
彼が本当の意味でメリアドールとなったその黄昏から、託された知識の中からすぐに試せそうなことを選ぶ。
もらった知識を全てを試そうとすると何日掛かっても終わりそうにない。それほどの莫大な知識が与えられたのだった。
この世界のあり方や文字や言語、風習や文化(これらはあくまで先代が生きていた時代のものだが)……そして奇跡の業。
どうもこの世界には魔法というものがあり、それも一種類ではなくいくつかの体系が存在するのだそうだ。
その中でも特に特殊な道具も、訓練も必要ではない魔法を試そうと思い至る。
「僕が今すぐ試してみたいのはこれなんだよね……」
あーあー、っとメリアドールは喉の調子を確かめた。
これから行うのは精霊魔法と呼ばれる魔法の初歩の初歩に当たる……精霊の召喚である。
この世界は数多の精霊が万物に宿っているという。水には水の精霊が、焚き火といった火には火の精霊といった具合にである。
それだけでなく、精神──喜びや狂気といったものを司る精霊等もいて、それらが複雑に作用してこの世界の物理の一端を担っている。
気が触れるというのは、この世界では制御されていない狂気を司る精霊に取り付かれているから起きるというわけだ。
精霊を呼ぶという行為はまず彼らが聞こえる言葉を発する必要がある。精霊はこちらとは少しだけズレた精霊界に存在し、互いのことは見えても声が伝わらない。もちろん触ることもできない
。干渉するためには調整をしなければならない。
元の世界でいうなら、ラジオ等の周波数を調整するものだなとメリアドールはその仕組みから理解する。
この世界に住む精霊魔法の担い手たらんとする存在は、この精霊に声を届けることができるかで篩を掛けられるのだ。
先代のメリアドールは召喚だけでなく、その上のレベルの契約を結ぶという段階に達してたそうなので、同じ肉体を用いる以上召喚はできるはずだ。
「ん、確かこのまま、意思を込めて発声すればいいんだっけ」
記録された記憶を参照し、すぅっと静かに息を吸う。そしてお腹に力を込めるイメージを描きながら、空に向かって”声”を発した
──おいで!
肉声ではそれほど大きな声を出していない。内心あれ?と小首をかしげた。
本当であれば即座に一番近くにいる精霊がやってくるはずなのだが……。
暫しの静寂。内心失敗したのかなとメリアドールは焦る。おかしいなぁっと呟こうとして、
それを打ち砕く変化が瞬く間に発生した。
すごい勢いで空からやってくる、半透明の少年のような影が。
メリアドールの立っている地面から飛び出してくる、ずんぐりむっくりとした人型が。
こぽこぽと空中から水分を伴って出現する、水色の半裸の女性が。
木々かた浮き出てくる、緑色の肌をした美しい少女が。
続々と、殺到してくる精霊界の住人らがメリアドールの周囲を囲っていく。
一部の好奇心旺盛な精霊は構って欲しくてメリアドールの頭に乗っかったり、スカートの裾を掴んだりと好き放題だ。
といっても基本的に物理に干渉できない精霊であるから、重量を感じることもなければスカートが捲られることもないだが。
──よんだ?
──何なに? 用事?
──私が一番最初にきたんだから
──あそぼー?
「わ、わ、なんかたくさん出てきたっ」
えっと、えっとと言葉を詰まらせる。生前でもこんなに多数の人間に集られる経験はなかった。
それも雰囲気的に好感を持った触れ合い。
ドキドキする心を深呼吸で宥め、未だに集まってくる彼らに訪ねた。
──どうしてそんなに集まったの?
──何故って、あんな声で呼ばれたからだよ?
──おねーさんの声、よく響くし なんというか、聞き惚れるんだよね
──だーねー
精霊らにはメリアドールが発したあの”声”はとても魅力的なのだそうだ。
そして先程のは重大なミスを犯していたようだ。目的とする精霊を指定していなかったのだ。
その結果、どんな精霊を呼んでいるのかわからなかったので、聞こえた精霊らが自分じゃないかな?と思って来てくれた結果らしい。
──ごめんね。僕が用事があったのは樹精霊さんなんだ。
──えー、そんなぁ
──私じゃなかったのね……
多くの落胆の声を発する精霊らに、ああごめんよぉっと精霊らに謝罪しながら。
目的とする樹精霊を呼び寄せる。
見た目は緑色の肌をしている少女で、体の大半が蔓や花で覆われている愛らしい姿をしている。
──なーに?おねーさん。
──えっとね。お花を咲かせて欲しいの
──どの子を咲かせるの?
──私の周囲の、かな。ほら代価
精霊らに何かを使役させる為に、その報酬となるものがいる。
それが魔法力と呼ばれるものだ。
万物に宿るエネルギーであり、肉体のスペックだけでなくその時の精神状態に増減する。大気中にも魔法力があるが、特殊な場所を除いて希薄なのが普通である。
生命体が宿す魔法力が、同じ生命であればよりスペックの高いものであるほど──そして意思を持って動く者であればあるほど魔法力の質と量が高まる傾向にある。
精霊らはその魔法力を糧に生きる存在であり、使役するものはお願いを聞いてくれた精霊に対して魔法力を提供することで報酬とする。
一方で魔法力を多く得た精霊は成長する。成長することでより高次元の力を得るようになり、より大規模に世界に干渉することができるようになるのだ。
精霊らが召喚者の声に応じるのは質の良い魔法力を得ることができるからなのである。
樹精霊はいいよーと答えながらふわふわと空中を漂い、メリアドールの周囲を回っていく。
するとどうだろうか、ただ草しか生えてなかった場所から別の植物がすごい速度で育っていく。植物はその身に互い違いに蕾を無数に備え、ぱぁっと一斉に花を開いていった。白から桃色に色
の変化した5つのハートのような形の花弁を持った、こちらの世界には見覚えのないもの。
メリアドールの知識によると、この花を煎じることで生じた雫を冷ませば人間用の治療薬となる。傷に直接振りかけることで自然治癒力を高め、程度にもよるが切り傷であるなら数十分で完治
する。残念ながら夜の民の体には体質的に効果がない。
本来であれば周囲に他の植物が生えている環境では育たず、種のまま数年から十数年もの長きに渡って眠り続けては適切な環境になり次第生える希少な植物なのだ。
そのためこの花を用いた治療薬は非常に高価となっている。
──このぐらいでいい?
──うん、十分十分。ありがとうね!
メリアドールが感謝の言葉を告げるのと同時に、体からふわっと熱が抜けていくといった感覚が巡る。これが魔法力の喪失というものらしい。
魔法力が枯渇すると疲労感や眠気といった症状が現れるらしいのだが、体感的に同じことをあと100回頼んでも寝込むといったことはなさそうだ。
一度魔法力の枯渇の限界を知っておくべきなんだろうなぁ、とメリアドールは独りごちる。
知識で知っているのと、実際に経験したことはその情報量が格段に違うのだから。
樹精霊は魔法力を受け取って去っていく。……かに見えたが、それでもまだふよふよとメリアドールの傍に浮いていた。
──契約しないの?
契約とは精霊に常時魔法力を提供するかわりに使役し続けるものだ。利点としては魔法力供給による進化を促すことでより強力な個体になりやすいことであり、欠点は言うまでもなく常に魔法
力を精霊に供給し続けないといけないこと。
自分の実力以上の精霊とは契約できないのだが、この場合メリアドールは十二分に魔法力を供給することができる。
目の前にいる樹精霊ぐらいなら、数十体同時に契約しても破綻しない程度のスペックを有するからだ。
問題は契約するにはもっと面倒な手続きや寄り代となる道具が必要だという点なのだが、極まれに精霊側から契約をお願いされるといったケースがある。
その際は複雑な手続き等は必要がない。前者は無理やりこちらからお願いすることで、後者は
──いいの? 僕は願ったりだけど
──だって、あなたの傍にいるだけで気持ちいいから
──どういうこと?
──気づいていないの? あなたの周囲は力強い魔法力で満ち溢れているわ。
言われて初めて気づいたのだが、どうもメリアドールは無意識に魔法力が漏れているらしい。
それがかえって精霊らにとって居心地のよい空間となっているようだった。
そういえば先程呼んでしまった子らの半数は未だにどこか行かずに傍にいることをメリアドールは気づいた。
その光景にどこか和んでしまうメリアドール。
──ボクらも契約したいっ
──私もー
わらわらと集ってはオネダリしてくる精霊らに彼女は迷った。
しかし好意からくるそれらを無碍にできない。かといって全員と契約なんてできない。
結局メリアドールはその中から数体だけを選んで契約させてもらうことにした。
樹精霊に地精霊、水精霊に風精霊、最後に火精霊の五体だ。
早速契約を交わした地精霊にお願いして地中からガラス──精霊の力を借りれば複雑な化学反応をすっ飛ばして目的の物体を高純度で得られる──の瓶を同じ材質の蓋と一緒に作って
もらう。
精霊と契約を結ぶことでより高度で複雑なお願いをすることが可能になったからこそできる芸当である。
大きさはジャム瓶とほぼ同じぐらいで、その中に先程咲かせてもらった花を詰め込んでいく。
メリアドールは採取した花から治療薬を作り、それを売ることでお金を稼ぐつもりなのだ。