序章 1話 この体の謎
泉を覗いてたのをやめた彼はその場にへたり込むように座る。
彼としては男性らしく座ったつもりだったのだが、正座を崩したような女の子らしい座り方になっていることに気づいた。
どうやら体に染みついた習慣というものが根強く残っているようだ。
「仮にこれがネットにたくさん転がっているような転生というものだったとしたら、この肉体は誰のものだったんだろうか。それ以前にこの肉体は何なんだろうか」
まず判っているのはこの体は類まれな容姿を持つ少女であることだ。
夜中の、かつ泉に映った像であるから詳細は不明だが……現実世界で100人の男性が彼女を見てほぼ全員が可愛いまたは美しいと答えるのではないだろうかと考える。
時々弄ってみる髪にしても、男性の頃の硬い感触ではなくしなやかで滑らかなもの。指で軽く梳いてみればつるりと流れていく。
次に少なくとも視力……夜目が優れていること。
灯なしで夜の森を問題なく歩けるという時点で可笑しいのだ。
「考えられるのはこの体は特殊な訓練を受けているのか、そもそも人ではないのか」
後者は考えづらいのだが……そもそも転生自体摩訶不思議なことだ。
この世界は実は小説だのゲームだので度々題材にされるようなファンタジーな世界なのかもしれない……彼は今のところそうだと確信できそうな事象に出会ってないけども、とにかく保留とした。
まずは手がかりが残されていると思しき物体……棺を調べてみようと思い至り、元来た道を戻っていく。
薄暗い森の中、落ち葉にまぎれて見えなくなっている枝葉。
思わず踏んでしまったことで発する落ち枝の折れる音をする度に、何故か痛くないことに戸惑いを覚える。
明かに逆立った箇所や、尖った箇所を踏みつけているにも関わらず、足の裏の皮膚を貫いている様子がない。
かといって足の裏を撫でてみても……柔らかい感触が返ってくるだけだ。少なくとも尖った箇所が止まりそうな様子がない。
人間の体はその習慣に合わせて変化していく。職人の手が一般的な人とは大きく異なる様相を呈するのも其の為だ。
仮に裸足で歩く習慣があったとするなら……足の裏はもっと頑丈な皮膚に覆われてて、硬いことになってて然るべきである。
鍛えているから痛くない、というわけではなさそうだ。
彼は心のメモにこの体が人外説が濃厚と記した。
そして棺のあった場所に戻った。
暗い最中でじっくりと見ることがなかったが、柩の周囲は蕾になった花の影がある。日中は太陽の光を浴びてきっと綺麗な花を咲かせることだろう。
蓋にあたる木の板は黒塗りで、十字架を根幹に据えた細やかな金色の装飾が施されているのをみる。十字架に絡みつく茨、とも見えそうだ。
そういえばこの体になる前に、あの空間で見たのも薔薇であり、茨だ。この体と何等かの関わりがあるのかもしれない。
中央部分の刻みに気づいたのはそんなことを考えた矢先、金色の装飾を指でなぞっている時だった。
西洋の筆記体に近い、未知の言語だ。
未知の言語といえるのは彼の記憶上このような文字を使う国を知らなかっただけだ。アルファベットでもキリル文字でもない。まして日本語といったアジアの言葉や、イスラム圏の筆記体とも
異なるもの。柩に刻んでいるのだから、もしかしたらこの体の名前じゃないだろうか?
ただ、指でなぞっているうちに、ふと言葉が浮かんだ。
彼は知らずとも、宿った肉体は自分の名前を憶えていたのだろうか?
いやまだ、結論は早い……が、一考の余地はありそうだと彼は浮かんだ言葉を呟いた。
「……メリアドール」
それが何を示すのかわからないが、人物の名前、それも女の子らしい響き。
本当のことがわかるまで……メリアドールと名乗るほうがいいだろう。名無しでは不便すぎる。
こうして彼はメリアドールという少女となった。
蓋を閉じた柩の上に腰掛けて、次の問題に着手する。
この体についてだ。
柩に収まってたところを見ると、葬られたとするのが自然ではある。
しかし柩をこのまま森に放置するのは不自然ではなかろうか。
メリアドールの視線はそのまま自分の胸元に向き、スカートの裾をつまんでは持ち上げてみる。持ち上げた裾からはふわりとフリルが覗いた。
見た感じ、このゴシックドレスだけでも一財産は築けるのではないか?
この世界──あくまでこの世界を異世界だと考えるならば──の物価はわからないものの、現代みたいにミシンだのがあるか不明だ。
仮にミシンみたいな裁縫道具がない世界なら、これらは全て手作業で製作されたことになる。
飾りリボン一つにしても、細やかな装飾が金色の糸によって為されているのだ。
下手に汚したり破ったりしないように心がけないと……と、胸に手を当てる。
ふにょん、と服越しに感じる柔らかさ。
「やっぱりあるんだ……胸」
誰も見てないことをいいことに、両手で自分の体となった少女の身体を確かめる。
触り慣れた男性特有のがっちりとした骨格と筋肉との逞しい感触とは真逆の、しなやかさと繊細な感触。
服の上から確かめる。流石に裸になって調べようとは羞恥心で考えたくはなかった。それでなくても、布擦れの音を妙に生々しく感じてるのだから。
恥ずかしさから感じる頬の熱が消えたのを皮切りに、緩んだ顔を引き締めながら考察を進める。
この体は前の世界のそれに比べて高スペックなのではなかろうかという事。
夜目が効くことといい、素足で森を進んでも平然とできたあたりで前の体以上なのは明白だ。
一体この体はどんなことができるのだろうか?という疑問が浮かぶ。
「よっと……とうっ っておわぁ!?」
柩から降り、足元を確認してから軽い気持ちで跳躍する。
片足だけで地面を踏み切ってのスキップ……のつもりで踏み出した一歩は、今の自分の身長を超えた高度を出した。
オリンピックの新体操選手も真っ青な跳躍に素っ頓狂な声を上げてしまったメリアドール。
「明らかに人類じゃない……これはとことん調べないと」
まずは両足を揃えての垂直飛びはメリアドールの身長の3倍ほどの高度に達した。
おもむろにスカートをたくしあげて自分の脚をみる。艶かしい曲線を描く脚にどきりとするものの……予想とは裏腹に筋肉のつき方はいたって普通だった。
日頃激しい運動をする脚は筋肉のつき方からして違うのだが、今見えている脚はモデルのように可憐なものだ。
「なんてエロ……じゃなくて。こんな筋肉で出せるはずがないんだけどなぁ」
ピョンピョンと飛んで、もしかしらできるんじゃないかなとメリアドールは妙な予想を立てて実行する。
その場で跳躍しては体を空中で逸らし、クルッと宙返りをする。スタッと見事に両足で着地に成功。
その次は調子をこいてムーンサルトに挑戦、やはり成功。
あれだけ体をグチャグチャに動かしても、決してブレないバランス感覚に戦く。
この体がオリンピックに出場すれば間違いなく金メダルを取れる。そんな癖にキュートでセクシーなチートボディ。
「人でない体、柩……」
明らかになっていく人外のスペックに、柩に収められた、高貴な身分を思わせる衣装に包まれた体。
前世はそれなりのヲタだったメリアドールの脳裏に過るのはあるモンスターだ。
──吸血鬼。
数多くの創作に使われ、人々に恐怖を与える血を啜る鬼。
日本の創作では割と美形な美女、ないし幼さを残す少女が吸血鬼になっているケースが多い、アレである。
「仮に、そう仮にこの体が吸血鬼だったとしよう……太陽は平気なんだろうか」
ブラム・ストーカー著のドラキュラは無理だった。RPG等にでてくる彼らは概ね苦手だった。
一部の創作では太陽を克服することができたものもいた。この体の場合は?
「迂闊に試してみたら灰になって死にました。は酷すぎる……」
他にも十字架に弱いだの、流水は越えられないだの、聖水といった聖別された品や銀に弱い……これらは作品毎に吸血鬼の弱点だったりそうではないこともある。
もっとも吸血鬼だという確証はないのだけど。
「うん。……とりあえず、ここは危ないな」
月や星の光が差し込んでくるということは、昼間は太陽が容赦なく照りつけてくることにほかならない。
朝日が昇る前に、安全そうな……洞窟か建造物を探すべきだろうと目標を定めたメリアドールは柩をみた。
「これって持ち上がるのかな? って、持ち上がったし」
ひょいと持ち上がった柩を両手で頭の上あたりで保持し、適当に歩み始めた。
早足という感じで足を動かせば、以前の体での全力疾走の速度が出る。柩の重さはあまり感じない。せいぜい10kgのお米の袋程度の印象だ。
木にぶつからない様にしながらも、体内時計で30分程度の移動を行った先に目標としてた物件に遭遇する。
隆起した地面の断面に穿たれた横穴だ。
内部はマンションの一室程度の空間があり、柩を安置しても狭さを感じないだろう。
「とりあえず、今日はこの辺にしよう……気疲れしたし。寝具はないし、流石に地べたで寝るわけにいかないよね……これを使おう」
残念ながらベッドの類はないので、柩の蓋をあけて中へと潜り込む。柩の内部はクッション材のおかげか、思ってた以上に快適だった。
この世界の吸血鬼は皆このようにして眠るのだろうか? 柩職人が儲かりそうな印象を受けた。
蓋を閉じてやってくる暗闇の中、メリアドールはゆっくりと瞼を閉じる。体は疲れてなかったが、精神はその疲労によって瞬く間に意識を眠りへと誘っていった。
ちょっと気まずいミス箇所をこっそり修正……