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朝から雨が降っていた。空には重い雲の厚いカーテンがかかっており、しとしとと滴を落とす。虹也は百円のビニール傘をさして学校から帰っていた。スニーカーは水分を含んでぐしょぐしょになっていて、歩く度に水分の排出と吸収を繰り返している。早く帰ってびしょ濡れの靴下を脱いで洗濯したかった。
児童公園の前を通り過ぎて、虹也はふと足を止めると道を戻る。ジャングルジムの頂上に長い黒髪の少女が腰掛けていたのが見えた気がしたからだ。
「――秋羽さんっ」
驚いて虹也は駆け出す。アスファルトではない公園の地面はあちこち水たまりができてぬかるんでおり、虹也が駆けて行く度に泥を跳ね散らかしたが、虹也は制服が汚れようと構わなかった。
「何してるの、秋羽さんっ。風邪ひくよ!」
ジャングルジムの下から虹也は声を張って呼びかける。雨の時の外は静かだが、むしろ音というものはその静寂に吸い込まれるものだ。虹也の声も例外ではなく、声を張ったつもりでもあまり響きはしなかった。
傘もささずに頭から爪先までぐっしょりと濡れている秋羽は天を仰いでいたが、センターで分けた前髪を額に、頬に張りつけながらゆっくりと虹也を見下ろす。
「こんにちは」
「こんにちはじゃないよ、びしょ濡れじゃないか」
慌てている虹也に反して、当の秋羽はのんびりと笑う。ジャングルジムの頂上で足をぶらぶらさせながら秋羽はまた天を仰ぐ。
「降りて、風邪ひくよ」
虹也が言っても秋羽は動かない。
「秋羽さん」
秋羽は虹也の方を見もしない。虹也は鞄と傘を地面に置くと、錆びたジャングルジムを登り始めた。ぐしょぐしょのスニーカーと濡れたジャングルジムは滑りやすく、虹也はズルッと足を踏み外し、右膝を打った。骨に響く苦痛に呻き、顔を歪めたが、それでも秋羽は虹也に興味を失ったように座っている。虹也はジャングルジムを登り、秋羽の所まで辿り着いた。
「風邪ひくって、秋羽さん。行くよ」
虹也が声をかけても秋羽は動かない。その間にも秋雨は二人の体を濡らし、冷やしていく。痺れを切らした虹也は秋羽の手首を掴んだ。掴んだ自分の肌の色と対比して秋羽の色白さと手首の細さに虹也は驚いたが、行動を起こした手前それに怯んで止めることはできなかった。
半ば無理矢理ジャングルジムから秋羽を降ろすと、ほとんど意味はないと思われたが傘をさして虹也は歩き出す。秋羽にこの数日あったような意志の力を感じられず、虹也は彼女の手首を掴んだままだ。
「虹也……?」
虹也は自分の家の鍵を開けてぐっしょり濡れたスニーカーを脱いで上がると、浴槽に湯を入れ、秋羽を浴室に押し込んだ。タオルと着替えは用意するから、と呟き浴室のドアを閉める。
そのすべてをして、虹也は大きく息をついた。
まず、びしょ濡れの制服を脱いで洗濯籠に放り込み、虹也は私服に着替える。それから一人暮らしを始めた姉の部屋へ行き、姉が置いていった服の中から体型を選ばないワンピースを取り出して、バスタオルと一緒にそっと浴室の前に置いた。
数十分後、温まった様子の秋羽が出てきたが、虹也は彼女を見てまた息をつく。小柄な秋羽は黒地の胸元に赤いワンポイントが入ったワンピースをゆったりと着こなしていた。ただ、髪の毛がびちゃびちゃだ。
「おいで」
秋羽からバスタオルを受け取り、虹也は秋羽の長い黒髪から余分な水分をバスタオルで挟むようにして吸い取る。ぺたんと座らせると虹也は秋羽の髪の毛にドライヤーをかけた。秋羽は素直に温風をあてられている。
「虹也……怒ってる?」