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天外の隣国  作者: 小春日和
安定していないこと。それこそが世界がここにこうして存在するときの定まった形なのだ。
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 全身、真っ白な剛毛で覆われた巨体。

 二足歩行が板についている姿勢は、動物というより、雪男のようなUMAを思わせた。

 猿は、まだ、いた。風汰はこちらに背を向けて立っていたと言ったけど、いまのやつは、地面に座り込んで、何やら木片のようなものを転がしていた。


「……ほんとだ。でかい」

真ん中の貴さんをはさんだ形で、最前列の風汰と最後尾のオレはひそひそと作戦を練る。


 オレたちがいることなんかにまったく気づかず、完全にリラックスしている様子の猿。カリカリと、手につかんでいる木切れを指でこすりながら、ときたま頭を掻いたりする。


「大きな音を立てたら、そのまま逃げたりしないかな」

オレが提案すると、

「逆に向かってきたらどうすんだよ? こんな狭いとこに隠れてたら、応戦なんかできないぜ」

と風汰が口を尖らせた。

 オレたちは、風汰が切り拓いたけもの道から一歩外れた藪の中に身を潜めていた。


 猿ってどんな習性があったっけ? 様子見の間、オレは記憶をフル回転させて、目の前のボス猿の弱点を探った。

 たしか、猿の最大の武器は身軽さだったと思う。発達した手足の筋肉。特に握力は体重の三倍はあったはず。

「あいつの体重ってどれぐらいだと思う?」

風汰に囁くと、

「知らん」

と素っ気ない答えが返ってきた。代わりに貴さんが、

「七、八〇キロってとこじゃないかな。筋肉は贅肉より重いから。人間より小さくても体重はあると思うよ」

と返事をしてくれる。

 ……ってことは、あいつの握力は二〇〇キロを超えてるってことか。捕まったら骨ぐらい砕けるな……。


 オレは斧を握って、貴さんを追い越し、風汰の前ににじりでた。

「お、おい……」

慌てた風汰が、オレの肩を抑える。

「何する気だよ? いきなり攻撃しようったって、あいつはまだ川の向こうなんだぞ。斧なんかの射程で届くかよ」

「威嚇だよ」

オレは風汰の手をはがしながら説明した。

「猿は鋭い牙や爪を持っているわけじゃない。完全に捕まったりしなきゃ、こっちに深刻な被害はないんだ。だから、あいつとの距離が開いている間に、こっちの有利を見せつけるんだよ。知能が発達してる動物なんだから、刃物を怖がるかもしれないだろ」

と。

 それには油断しているいまが一番好機な気がした。向こうが臨戦態勢に入っちまったら、下手な挑発はそれこそ逆効果になる。しかも、幸い、いまなら万一反撃してきたとしても、あいつが川を渡っている間に、こっちもなんとか手は打てる。

 風汰は複雑な表情を見せたけど、

「……まあ、オレらは二人もいるんだし、武器もあるしなあ……。やってみようか……」

と最終的には賛同した。

 その後ろで貴さんが、

「……三人……」

と小さく訂正したのは無視した。


 藪から川の縁に下り立ったのはオレ一人だった。風汰にはぎりぎりまで貴さんの身辺を守ってもらう約束になっている。

 猿は、丸見えになったオレに、まだ気づかないようだった。ひどく集中して手元の木製品をいじっている。

 ……そうなんだ。隠れながら見ていたその木切れは、そのときはただの木片に感じたけど、こうやって近くに寄って観察すると、何か……人の手で細工した箱のようにも見受けられる。

 猿はその箱のふたの部分をはがそうとしているみたいだった。ごつい指をかけ、意外と慎重に、少しずつ隙間を開けていく。

 細工に釘が使われているんだろうか。ぎっぎっという木材と何かが擦れるようなきしみが、渓流の他に音のないこの場に響いている。


 オレは斧を握って、猿の様子がよりわかる位置まで動いてみた。猿が何をやっているのか、少し興味が湧いたから。

 もしかしたら、この猿はあの箱の中身を見たいためにここに留まっているのかもしれない。箱が無事に開いたら、そのままおとなしく場所を移動するのかもしれない。そんな期待を持てるほど、猿の関心は箱一筋だったんだ。

 箱は、二〇センチ四方ぐらいの、ややいびつな正方形だった。自然公園なんかでよく見る、野鳥用の巣箱みたいだ。

「あ、そうか」

ある可能性に思い至って、オレは小さく声を上げた。

 あれが巣箱だとしたら、中には鳥の卵かひながいる可能性がある。猿はそれを食おうとしているのかな。


 風汰が猿のことを『肉食獣系』と表現した意味は、オレにも充分に実感できた。目の前の白髪猿は、やっぱり、雑食のふつうのサルとは雰囲気が違う。凶暴そうなんだ。

 だから鳥を餌にすることも自然に考えついた。むしろ餌がいいからここまででかく成長したと納得できる。

「……ひなが食われるのは見たくないなあ……」

自然の摂理とはいえ、小さなものが捕食されるのは、あんまり気分のいいものじゃない。

「いま大声を上げたら、あの猿、巣箱を置いて逃げてくれないかな……」

オレは威嚇のタイミングを見計らった。


 ひときわ長く気味の悪い軋み音が、ぎいいい、と鳴った。

 続いて、箱の蓋が完全に取り去られた。

 猿は、そのままごつい人差し指を差し入れて、箱の中をかき回すような仕草をする。


 オレは意を決して、

「こらあっ!!!」

と怒鳴りながら大岩の上を渡った。足下の渓流を砕けた飛沫が飛び跳ねる。

 猿は、本当にこのとき初めてオレに気づいた様子で、人間のようにびくっと肩を震わせて顔を上げた。

 背後から風汰の、

「あ、一人で渡っちまいやがった!」

と非難する声が聞こえる。

 猿の手から箱が転げ落ちて、見通しのよくなった中に留まる肌色の物体が見えた。


 …………。

 …………あれは…………?


「鳥じゃ……ない」

オレは思わずそう口に出していた。

「だって……え? ……あれって……」

想像できる姿を、自分自身で何度も打ち消す。だって……ありえないだろ……こんなもの……。

 猿が、ショックから立ち直ったのか、また箱を手にした。今度はかなり乱暴に中身を引き抜こうとする。

「そっそんなことしたら死んじゃうだろ!」

オレはとっさに斧の向きを持ち替えた。刃先を向けないようにし、思いっきり白髪猿の利き手の上腕に叩きつける。


 猿は甲高い悲鳴を上げて箱を落とした。

 反射的にそれを拾おうとしたオレの顔面に、暴れた猿の手の甲が偶然飛んできた。意図的じゃなかったにしろ、巨体の野生動物の裏拳は、一瞬、脳震盪を起こすほどの威力だった。記憶が飛んで、次に覚醒したとき、オレは箱を抱え込む形で地面にうずくまっていた。

 背中の上のほうから生臭い動物臭が降りかかる。猿の呼気の中に定期的に金属を響かせたような歯ぎしりが混ざる。怒ってる。相当に怒ってるんだ。

 オレは身を固くして、ますます縮こまった。それ以外の対処は思いつかなかった。手にはまだ斧がある。でも反撃するきっかけがつかめない


 猿の怒気が接近したのを感じた。

 と同時に、右の脇腹にやつの指が何本か食い込んだ。激痛に思わず体を浮かせると、今度は背中のほうにもショックが走る。猿が、握力二〇〇と想像した手で、オレの胴を鷲掴みにしたんだ。

 数回こみ上げてきた吐き気。そしてブラックアウト。

 ほとんど無意識だったけど、オレは、オレの下に隠していた箱を左手で払って遠くに飛ばした。……乱暴にしてごめん。


 虫の羽音のような耳障りな音を感知した気がした。

 でも、実際にはよくわからなかった。


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