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天外の隣国  作者: 小春日和
安定していないこと。それこそが世界がここにこうして存在するときの定まった形なのだ。
7/38

 東武日光駅を降りると、空は雨が降りそうな気配になっていた。

 三角屋根が特徴の駅舎を背にして、オレたちは、西へ向かう観光客の流れとは逆方向に足を向ける。

「太陽が出てなくてよかったなあ」

貴さんの大荷物を担ぎ、すでに汗びっしょりになっている風汰が、そうこぼす。

 貴さんは、なんだか疲れた様子で、黙って先を歩いていた。


 国道から県道に移ると、人の数はますます減った。あの有名な日光のわりには駅周辺もぜんぜん開発されていない田舎の雰囲気なんだけど、県道はもっと寂れている。

 はるか前方に見える山の上のほうに、綺麗に整地されたグリーンを見つけた。

「あそこが地図にあったゴルフ場?」

オレが確認すると、

「オレたち、あの裏手のほうまで歩くのかあ」

と、風汰はますます億劫がった。

「疲れたら荷物は英士くんに任せていいよ」

貴さんが勝手に決めるので、

「せめてオレのは貴さんが持ってくださいよ」

財布ぐらいしか入ってないディバッグをちらつかせる。

 やっと、ちょっと会話が弾むようになった。


 ……そうか。

 みんな、口にはしないけど、それなりに緊張しているんだな……。


 山に差しかかると、風景は一段と心細くなった。

 スマホのストリートビューで見たとおり、民家なんて一軒もない。道幅はまだ広いけど、歩道もない車用の山道は、徒歩のオレたちには場違いな空間でしかなかった。

 さらに、少し行くと、

「ああ、始まったね」

と貴さんがつぶやいたとおり、いよいよ路肩もなくなるほどの狭い道が目の前に迫った。両脇には鬱蒼とした木々。圧迫感が半端ない。

 左手に広がる林の中に、道路と平行して流れる清流を見て、風汰が、

「泳ぎてー!」

と喚いた。

 風汰のシャツは汗でびしょ濡れになっている。無理もない。


 そこからしばらく進んだところで、風汰は、唐突に道路の真ん中に荷物を置いて走りだした。

「あとはよろしく!」

と、俄然元気になった様子で、どんどんオレたちを置いていく。

「……マジで馬鹿野郎……」

荷役を押しつけられたオレは、恨みのこもった目を、風汰ではなく貴さんに向けながら、しかたなく電池でふくれたリュックを背に乗せた。

「僕、持とうか?」

一応、申し訳なさそうに右手を差し出す貴さんだったけど、もう一方の手は、腹の立つことに、治療痕のある大腿骨のあたりを痛そうにさすっている。

「……いい」

内心ではムカつきながらも、オレはこう言うしかなかった。

「できないことをさせる気はないから、オレが持ちます」

 貴さんは……これも貴さん流の策略だとはわかっているんだけど、オレの不満を吹き飛ばすほどのすごく素直な表情と口調で、

「ありがとう」

と喜んだ。

 ……はあ。

 ……風汰のことは言えない。オレも貴さんにコントロールされすぎだっつーの。


 肩バンドが食い込む痛みに、だんだんと顔を上げられなくなってきた。

 うつむいた視界に入る路面が濃い翳の色に染まっている。雨雲が厚みを増したみたいだ。ただでさえ木立に上空を遮られて暗いのに、太陽の気配がますます遠ざかっている。

 ちょっと前に一軒の古民家の横を通り過ぎた。三〇〇メートルほど後方のことだ。貴さんによると、

「桂さんはこの家を目印にして脇道を探せって言ってた。近くに廃村への入り口が見つかるはずだからって」

とのことだった。だからいまは、息を切らしながら歩くハンデ持ちのオレの前方を、風汰と貴さんが、それぞれ左右に広がる藪をつつきながら先導している。

「脇道なんてないぞー」

右側を担当していた風汰が、左の貴さんにそう伝えた。

「けもの道だから隠れちゃってるのかもしれないよ。草の生え方までよく見て」

貴さんの指示が飛ぶ。


 武内宿禰の神社のある廃村。

 正直言えば、ここに来るまで、オレは、見つけても見つからなくてもいいや、ぐらいに考えていた。貴さんもそこまで必死なニュアンスじゃなかったし。

 でもいま、この重労働をこの行程のために強いられているのだと思ったら、無駄足で帰るなんて考えは吹っ飛んでいる。

「さっさと入り口探してくれよ。早く廃村まで辿り着かないと、山の中で夜になっちまうぞ」

あえて不機嫌にそう急かすと、風汰から、

「マジになってやんの、松田のやつ」

と冷やかされた。

 ああ、大真面目に武内宿禰に会いに行く気だよ、オレは。

 悪いか!

 ますます鼻息の荒くなったオレに、貴さんが、

「本気になった英士くんも魅力的だよ」

と気の抜ける一言をかけた。

 ……もういいから、早くオレを楽にしてくれよ……。


 上を仰ぐと、枝葉の間から漏れのぞく空の色は、すでに、暗いというより、黒い。

 雨はともかく、こんな電導率のよさそうなところで落雷を受けるのは勘弁してほしい。オレが焦っているのはそういう理由もあった。

 遠くからはかすかに水の音がしていた。いったん離れていったさっきの清流が、また近くを流れているんだろう。

 ……この辺り、熊の出没は大丈夫なんだろうか……。山の動物は渓流のそばに集まるっていうし……。

 ………………。


 ほんの数百メートル戻れば民家があることを思い出して、オレは不安を打ち消した。一軒だけの離れ家だったけど、庭先には軽トラックもあったし、いざとなったら駅まで送ってもらうことも可能だろう。

 ジーンズのポケットに手を入れると、カサっと画用紙の感触が伝わった。

 ……椿がちゃんとついてきてくれていることに、ほっとする。

 大丈夫。慣れない山道でナーバスになっているだけだ。この押し潰すような心細さは、きっとオレの気のせいだ。


 そのとき、貴さんが、

「見つけた……かも」

とつぶやいた。

 駆け寄った風汰が、貴さんと二、三言会話したあと、今度はオレの元に走ってくる。

「わかりにくいけど、道らしいもんがあったぜ」

嬉しそうに興奮した顔が、そのままオレの背中のリュックに向けられる。

「でも、いまの状態じゃあちょっと歩けそうにないんだ。だから鎌で下草を刈りながら入る」

そう説明した。


 わけがわからないながら、促されるままにリュックを下ろした。すると、こっちも戻ってきた貴さんが、

「このへんに……」

と言いながら、リュックから折りたたみ式の鎌を取り出す。

「どんだけ用意がいいんだよ」

オレは呆れてだったが、風汰は感心して、同じ言葉を貴さんにかけた。

「よし。オレが道を切り拓いてやるぜ!」

変なノリをまといながら、風汰が鎌を片手に藪の中に突っ込んでいった。


 数十メートルほど先から、風汰の、

「川の音がする!」

と怒鳴る声が聞こえる。

 大荷物のオレと足の悪い貴さんは、とりあえず開拓が済むまで、県道上で待つことになっていた。

「風汰、ちゃんとけもの道の跡に沿って草刈ってんだろうな……」

勢いでルートを無視しそうな風汰を、疲れから半ば路上に寝っ転がった形で、オレは心配する。

「下藪が繁殖してると言っても、背丈を覆うほどの高さではないし。周囲を見ながら進めば大丈夫なんじゃない?」

こっちも完全に腰を落とした貴さんが、楽天的にそう言った。


 暑さは街のそれとは比較にならないほど涼しい。こうやって休憩していると、一気に汗が引いていくのがわかる。

 でも貴さんの血色は優れなかった。三角に立てた膝の中に顔を埋め、ときどき深い吐息を吐いている。

「……具合でも悪いの?」

聞くと、貴さんは顔を上げて弱く笑い、首を横に振る。

 ……なんかおかしい。


 ……そもそも……。

 オレは自分の横に転がした貴さんのリュックに目を向けた。

 ……日帰りの旅行でこの荷物ってのが、そもそも異常じゃないか……? 


 貴さんはここに来て……それから何をやろうとしたんだろう。ラジコンヘリに乾電池、鎌、他にもちらっと見えたロープや食器類はサバイバルのためのグッズだろ?

 山の中で寝泊まりする気か……?


 妙な胸騒ぎがオレの鼓動を早くした。

 骨肉腫の再発を恐れている貴さん。そんな貴さんがここに誘ったオレは、日々のプレッシャーに大きな不満を持っていて、できれば現実から逃げたいと思っている。

 死期を間近にした病人は、自ら死を選ぶこともあるという。


 ……まさか、貴さんは、オレを道連れにして、ここに死にに来たんだろうか……。


「なあ貴さん」

オレは、自分の中に芽生えた貴さんへの疑惑に気づかれないように、口調をごくふつうにごまかして、聞いた。

「貴さんの病気ってさ、その……再発したりはしてないんだろ?」

「……いつ再発するかっていう恐怖心はあるけどね。はっきりとは診断されてない」

貴さんは、妙に曖昧な答えを返した。

「診断されてないってことは……癌じゃないってことなんだろ?」

あえて確認すると、貴さんは、目を逸らして、

「受診、さぼったんだ。もう二回」

と伝える。


 やっぱり!

 オレは確信した。

 貴さんは癌が再発するのをとても怖がっているんだ。だから、はっきりさせたくなくて、病院の検査も受けてないんだ。

「気持ちはわかるけど、受診はするべきだよ。再発したって助からないって決まるわけじゃないだろ。むしろ、貴さんは再発した癌を克服してきたんじゃないか。後ろ向きに考えるのはやめようぜ」

やや声を荒げながら説得するオレに、貴さんは、困ったような、でも何か思いつめたような表情を向ける。

「だって……受診して再発だって言われたら、その瞬間の恐怖って、僕、耐えられないような気がするんだよ。だから、それぐらいなら、再発を知らないまま死んだほうがマシだとも思うんだ」


 イラッとした。

 癌の告知があってからなら、オレだってまだ理解できる。待つだけの死よりも自ら受け入れる死のほうが、楽に感じることもあるだろう。

 でも貴さんは治っているんだ。いま心配することは何もないんだよ。

 オレと違って!

 オレがなにもかもを投げ出したくなるのはわかるけど、貴さんは何も捨てる必要はないんだ。こんなとこでオレと心中する理由なんかないんだよ。


 オレは不愉快な感情に任せて、貴さんの荷物からロープを引き抜いた。

「これで何をするつもりだったんだよ? こんなもん、本当は必要なかったはずじゃないか。なんでこんなもん持ってきたんだよ!?」

詰問すると、貴さんはうつむいて黙り込んだ。

 さらに追及を続ける。

「乾電池だってこんなには要らないじゃないか! オレたちは日帰りで帰るんだろ? こんなとこに長居する準備なんか、なんでしてくるんだよ?」

強い言葉を投げつけながら、オレは、またリュックから手当たり次第に荷物を取り出して、貴さんの前に並べた。


 ラジコンヘリの他に出てきたのは、大量の単三電池と単四電池。それにサバイバルナイフ。アウトドア用の鍋や皿。ガスバーナーコンロ。タオルや服の替え。市販薬各種。複数の懐中電灯。

 その上、底のほうをさばくると、小型の斧まで出てきた。山に住む気かよ、この人。

 最後に小さなポーチを引っ張りだしたとき、それまでずっと無反応だった貴さんが、

「あ。それは……」

と開封を止めようとした。

 かまわずファスナーを全開する。


 ………。

 ………………。


 最初は何だかよくわからなかった。

 三センチ四方ぐらいのアルミ箔の包み。厚みはほとんどなく、真ん中がわずかに円形にふくらんでいる。

 それが、一二個。

 どっかで見覚えのあるそれを目の前に掲げたとき、……オレは、やっとこれらが何であるか思い出した。


 そして。

「うわ……」

と上ずった声を上げて放り投げた。


「だからやめたほうがいいって言ったのに」

平然と言ってのけた貴さんは、オレの手からポーチを取り上げて、何事もなかったように、また口を封じる。


 リュックに入っていたのは、ロープ。

 それにサバイバルナイフ。

 それに効能のわからない薬たち。

 それに……コン○ーム……。


「僕は用意周到な質だから」

と言いながら、それらをまたリュックに詰め始めた貴さん。

 ……オレは、恐る恐る、聞いた。

「……何の用意をしてきたって……?」

 貴さんは、逆に不思議そうに、

「こんな山の中に君を誘った意味がわかってなかったのかい?」

と聞き返してきた。


 ……勘弁してくれよ……。


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