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天外の隣国  作者: 小春日和
われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する。
36/38

 空気が肺まで入ってこない。口の中だけで逃げていく。

 息ができない。

 苦しい。


 窒息でブラックアウトしそうになる。

 まだ……まだダメだ。ふんばらなきゃ……。

「……う……うう……」

無理やり仰向けの体をひねると、湿った感じの呻き声が出た。

 ……泣くなよ、オレ……。……泣くぐらいなら、もっと動けよ……。


 死にたくはない……。

 でも辛い。こんなことの連続する生が、辛い……。

 ウズメさんを守るとか……貴さんとか……風汰とか……ミニ姫とか……。

 オレには荷が重い……。もう逃げだしたい……。


 遠くなりかけた意識の中に、急に切迫した声が侵入してきた。

「待って! 待ってください!」

 貴さんだ……。いつもはこんなふうに取り乱すことないのに……。

「村に入ってはいけないというのなら、僕たちはここで引きかえします。だから英士くんには手をかけないでください」

 ぼんやりと声のほうを見ると、貴さんが、可哀想なぐらい細い体で、必死に大男を押しとどめていた……。


「スクナぁ放っちゃおけねえ」

大男の殺気立った言葉が続いた。

「そいつの腹ぁさばいてでもひんぬかねえと、悪さぁ収まらねえ」

やつの手には、さっきまで丸腰だったくせに、いまは二〇センチぐらいの刃渡りの小刀が握られていた。


 ……腹をさばく……? ……オレの……?


 貴さんのかかとが浮く。

「あぅ……」

苦しそうなつぶやきとともに、貴さんの体がどんどん上に持ちあがった。

「おめえを先にしてもいいがぁ」

大男が貴さんの襟元をつかんでぶらさげている。しかも片手で。

「人取りにでも売りゃあ値がつく。るにゃあもったいねえ」

完全に中空に浮いた貴さんから、ひどく荒い呼吸が聞こえた。


 自然に腕が伸びた。貴さんのほうに。

 激痛が背中に走る。痛い。痛い。……けど……。


 熱に火照る体は、妙に冷静に周囲の音を拾う。

 届いたのは、ウズメさんのかすかな嗚咽だった。


 見なくてもわかる。

 風汰はきっと、オレたちの様子に絶望的な気分になってる。


 やる気をなくした心と、役に立たない肉体が、何かを越えようとしているのを。

 ……感じた。


 ウズメさんとか……貴さんとか……風汰とか……ミニ姫とか……。

 オレ、知ってたじゃん……。重い存在だって……。大事な人たちだって……。

 知ってて、それでもこの世界で、みんなで生き抜いてやろうって、決めたはずじゃんか……。


 這いよって、貴さんの足首をつかもうと、した。でも、苦しくてこわばった貴さんは、小さくだけど暴れていて、触れられなかった。

 だから、大男のすねに、組みついた。

「おじ……いっ……てて……お、おじさんさあ」

 声を出したら、気道から肺に、激痛が走った。あ、はは。も、もう知ったことか。

 オレの動きに、意表を突かれた、らしい。大男は、慌てて、オレを、ふりはらおうと、した。


 だから、言う。

 スクナの力をものすごく怖がっているやつにだから、言う。

「貴さんを、放してくれなかったら、オレ、おじさんと一緒に、転移しちゃうよ」

って。


 貴さんの体がオレの上に降ってきた。

「でっ!?」

 よ……よりによって、オレに落とさなくてもいいだろうに……。

 そのまま地面に転げた貴さんは、オレの背後で盛大な咳をしはじめた。

 よかった。無事だった。

 大男にしがみついたまま、できるだけ首を巡らせて、聞く。

「大丈夫?」

 激しい咳のあいだに、小さな返事がまざった。

「うん」


 貴さんの細い指先の感触が、背中をう。

 励まし、とか、感謝、とかの意味なのかな、と思ったんだけど、その動きは変に規則性を持っていた。

 ……文字?

「……なにか書いた?」

って控えめに聞くと、

「うん」

って、また、たえだえな息のすきまから答えた。

 こんなにそばにいるのに、わざわざ筆談にするなんて……。

 大男に聞かれたくない言葉、ってこと、だよね……?


 最後の一文字は、の、だろうと当たりをつけた瞬間、今度はオレの体が持ちあがった。

 油断したつもりはないのに、圧倒的な力量差で大男の腕に絡めとられていた。逆さまの姿勢で腰をホールドされて、すぐに頭に血がのぼる。

「放せ、こら!」

手の届く範囲で抵抗したけど、ぜんぜん無駄っぽかった。万力みたいだ。やっぱり人間の力じゃない、こいつ。

 しかも……。

 左腕一本でオレを拘束したやつの右手。そこには、オレたちが動物の解体用に使っているサバイバルナイフばりに刃の鋭い小刀が、あった。


 腹をさばく。

 さっき、やつはそう言った。

 オレの腹の中からスクナを抜きとる、って。


 慌てて胃をかばった。

 でも遅かった。

 オレの手のすきまを抜けて、細固い感触が内蔵をこじ開けていった。

 口と鼻から甘苦い液体があふれて、地面に赤茶の染みを作った。


 こんなにあっけなく?

 もっともっと、キスケのようにもっと最期はしぶといもんだと、イメージしていた。


 穿孔せんこうの強烈なショックで嘔吐が止まらない。

 食道を次々に生あったかい液体が逆流してくる。

 寒い。力が抜ける。吐くのが辛い。


「いねえなあ」

大男の声の振動すら、不快に響いた。

「スクナぁ、溶けちまったのけえ?」

オレの吐瀉物を足でよりわける仕草が、また吐き気を誘う。


「英士くん。英士くん!」

貴さんの叱責が頭のすぐそばで聞こえた。

「しっかりして。刺されたわけじゃないから。柄で突かれただけだよ」

厳しいけど優しい声と手が、震えが止まらない体を包んでくれた。


 なんだか、もう、わけが、わからない。

 大男が、オレを、殺さないのは、なんで?

 乗りきったと、思っても、次々に、つき落とされるのは、どうして?


 神さまは、オレを、オレたちを。

 助けたいの? 見捨てたいの?


 ほしの。

 唐突に、さっき貴さんがオレの背中に書いた文字の意味がわかった。

 星野。

 風汰のことだ。


 目を乱暴にこすると、涙でゆがんだ視界がクリアになった。

 一〇メートルほど先の草むらに、あいかわらず座りこんでいる風汰が、はっきりと見える。

 風汰と視線が合った。不安そうな、悔しそうな、複雑な表情をしている。

 それから、一瞬だけ、風汰はそばの茂みに目を落とした。

 左手でゆっくりと、旺盛おうせいな背丈を誇る夏草をひき倒していく。


 その中に、黒い小さな頭が、揺れた。


 …………。

 ……ミニ姫が起きてる……。


『今回は、松田を飛ばしたあとにちょっとだけ起きてたんだぜ』って、今朝の風汰のセリフが頭を巡った。

 心臓がどきどきしはじめた。

 もう一度、転移、行ける? いまなら確実に大男を道連れにできる。


 勝てる。

 終われる。この辛い状況を。


 渾身こんしんの力をこめて上半身を持ちあげた。すかさず貴さんも下から押しあげてくれた。

 オレの吐き散らした血混じりの胃液に気を取られていた大男は、ほぼ無防備だった。右手の小刀をもぎとってほうり投げるまで、ほとんど反応しなかった。

 そのままやつの太い右腕に両手でとりつく。

「ミニ姫、いまだ!」

叫ぶと、やっと状況を把握したのか、大男はオレの体をはがしにかかった。

 転移の兆候が遅いことに、一瞬、ひやっとしたけど、すぐに空間がゆがみはじめる。

「貴さん、離れて!」

自分でも声が嬉々としているのがわかった。


 眠いー。


「寝るな!」

ミニ姫のぼやきに喝を入れて、異空間に突入する。


 すでに慣れた浮遊感の中で、とまどっているだろう大男の右腕から手を離した。

 あとはオレの腰を抑えこんでいるやつの拘束を解けば、オレたちは自由になれる。

 足で大男の顔を蹴りつけた。手応えはあった。

 でも締めつける力が緩まない。

 もう一度、もっと勢いをつけて、あごを狙った。

 けど今度は当たらなかった。

 こんなコントロールしにくい世界の中で、ちゃんと自分の動きを管理できるんだ、こいつ……。


 …………。

 …………。

 なんだろう……。

 なんかオレ……、大男のこと……、尊敬しはじめちまったかもしれない。


「手ぇ離せよ! しがみついてんのなんて、おじさんにしてはみっともないよ!」

 大男に感情移入したくなくて、そう怒鳴る。

 そしたらやつは、低い声で笑った。

「神さあはおっかねえんでなあ」

って。


 出口の穴が、見えた。

 村じゃないみたいだった。もっと山の中の感じがする。

 ……貴さんたちが逃げる距離は稼げたよな……。

 気が抜けて、吸いだされるまま、穴の外に大男と向かった。

 ごめん、貴さん、風汰。

 って思う。


 オレ、やっぱり、人殺しになりたくない。

 このおじさんのこと、敵って憎むんじゃなくってさ。

 最後は理解できたらって、なんでか思ってしまうんだ。


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