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天外の隣国  作者: 小春日和
われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する。
35/38

 目をつけられた……。

 背中の右側を引きつるような感覚がっていった。

 この大男に、オレ、狙われた……。

 けばだった鳥肌が全身に広がって、痛いぐらいに皮膚がふくれる。


 なんだよ、これ……。

 なんでこんな予想外のやつが出てくんだよ……。


 こんな凶悪そうなやつがいるなんて、思ってもいなかった。

 だって、この村の守護神はキスケだろ? こいつがいるのに、なんではるかに弱そうなキスケが守り本尊なんかしてんだよ?

 無理だよ、こんなの……。

 どうやってりあえって言うんだよ……。


 気づくと刀を取り落としそうになっていた。

 慌てて握り直して……。

 あ……………………。


 …………。

 ……………………。


 いや……。

 大丈夫、だと、思った。


 体が怖気づいているのに、握力はしっかりと残っている。

 重い刀を、むしろ軽く感じるぐらい、オレ……。

 わくわくしていた。


 オレの前に立ちはだかっている風汰の首筋をふと見ると、オレと同じように総毛立っていた。風汰にもこいつの怖さがわかるんだ。

 威圧感が半端じゃない上に、顔つきが狂気じみている。大振りな目も鼻も口も、正常な表情とは明らかに違う形を作っているんだ。

 そのくせ……なんだろ……。なんか妙に油断するっていうか……。人懐っこい雰囲気も感じるっていうか……。


 大男がオレから目を離した。

「おめえは?」

そう尋ねたのは貴さんにだった。細身の貴さんより二回りは大きな巨体が、一歩、貴さんに向かって迫る。


 オレは刀を構えながら飛びだしかけた。

 大男と比較した貴さんは、いつにも増して華奢に見える。あいつに手なんか出されたらひとたまりもない。


 でも。

「まだだよ」

硬い声で伝える風汰が、右腕を広げてオレの行動を制した。

「なんで!?」

苛立ったオレは、声量は抑えたけど、風汰に突っかかった。

「貴史から言われてるから」

オレをまた自分の背後に押しやりながら、風汰は、すでに顔が青白くなっていた。


 行動するなら僕の合図を待って。

 さっき貴さんに言われた言葉を、このときになってやっと思い出す。


「……ごめん」

先走ろうとしたことを謝ると、風汰はちらっと視線を送って、

「いいけど」

って、それだけ答えた。

 ものすごく緊張しているんだ……。

 こういう場、苦手だって言ってたもんな……。


「僕たちは……」

貴さんの声で、オレはいったん風汰に移した意識を、また貴さんに戻した。

 そして、

「……っ!」

思わず声を上げそうになった。

 大男が背中を丸めて、非常識なほど至近距離から貴さんの顔を覗きこんでいたからだ。


 後ろのオレですら覚える強烈な害意。貴さんだって感じていないはずはない。

 でも貴さんには、ふらつくとか後じさるとかいう様子は見られなかった。

 ……怖くないのかな。

 ……………………。

 …………そんなわけ、なかった。

 一見、自然に脇に垂らした貴さんの手が、よく見ると、色が変わるほど強く握りこまれていたから。


 貴さんの肩がわずかに上がって、また下りた。

 かすかだったけど、深呼吸の音も聞こえた。

「僕たちはサルヒコを退治してきました」

落ち着いた声音で、貴さんが説明を再開する。

「キスケさんは残念ながらサルヒコの被害に遭って亡くなりました。ウズメさんを保護したので、村の人たちに報告をと思って、ここに来たんです」


 オレから貴さんの顔は見えなかったけど、大男の表情が貴さんを凝視したままくるくると変わるのを見て、想像がついた。貴さんはやつの迫力に負けていないんだ。

「僕たちを村に入れてください」

声を張りあげているわけでもないのに、貴さんの言葉は堂々としていて、とても頼もしかった。

「僕たちは村の人とも面識があります。あなたを存じあげていないのは申しわけがなかったけれど、まったくの他人というわけではありません」

二歳しか違わない、同じ高校生のはずなのに、貴さんがとても大人に見えた。


 大男がかがめていた背を元に戻した。

 それから、……なんだかとぼけた態度で空を仰いで、針金みたいに固い短髪をぼりぼりとかきはじめる。

 ……わかったのかなあ、こいつ……。いまの貴さんの説明。

 ……なんか、いちいち仕草が動物っぽいんだよな……。人間って言うより、サルヒコに近い感じがする……。


 …………。

 ……まさか……。


 もしこいつが、サルヒコやミニ姫のように、人外の生き物だったんなら……。

 オレはそっとウズメさんを盗み見た。

 ウズメさんはこいつを知っているんだろうか。さっきからずっと動きのないウズメさんの背中からは、この大男への態度は読み取れない。

 もしこいつが人外だったとすれば……。


 …………。

 ……………………。

 …………いや…………。


 もしこいつが人外だったとしても、……サルヒコのように言葉が通じないわけじゃないんだ……。ミニ姫のように友好的になれるかもしれない。

 ああ、でも……!

 ミニ姫だって、体が小さいから脅威とはならないだけで、あの転移能力を気ままに使う性格は、考えようによってはとても厄介なんだ。この大男も、オレたちの予想もつかない行動をいきなり取るとなったら、それは充分に警戒するレベルなんじゃないか?

 どう考えればいいんだ、こいつのこと。貴さんに任せちまっていいのか?

 オレ、なんでこんなに苛ついてるんだ?

 なんでこんなに、この大男と戦りあわなきゃならない、なんて思い込んでるんだよ?


 ぼけっと口を開けて上空を見上げていた大男が、ふいに唇を引き結んで、顔の位置を元に戻した。

 そして、右手がのそっと持ち上がる。

 その指先が、まず貴さんを指さし、それからウズメさんに標準を合わせる。


 そのとたん、ウズメさんの体が震えはじめた。


 オレよりも先に、風汰がウズメさんを庇おうと手を伸ばした。

 でもすぐにひっこめる。

 ウズメさんが、悲鳴みたいな甲高い声をあげたからだ。

「ちゃおう……。それは駄目だ……。私だけが村に戻るから、それは駄目だ……」

って……。


 読みにくかった大男の表情に、今度は明らかに人間的な……サド系を思わせる笑顔が浮かんだ。

 そして、ウズメさんをロックオンしたまま指先をいやらしく回して。

 手を下ろす。


 ウズメさんが脱力したようにへたり込んだ。

 状況がよくわからないオレと風汰は、ウズメさんと大男を交互に見比べるしかできなくて、呆然と立ち尽くす。


 大男がゆっくりと前進した。一応、貴さんが止めようとしてくれたんだけど、巨大な掌に肩を押されて、よろけながら脇に追いやられた。

「わしゃ、よお。キスケが戻ってくるまでは、ここで代わりをやれって言われてんだよお。だからよそもんを村に入れるわけにはいかねえ」

あいかわらず耳障りな大声を響かせながら、やつは、地面に崩れているウズメさんには目をくれず、オレと風汰にまっすぐに近づいてきた。

「でもよお。ウズメにいとわれるのもせんないけえ。半分は残してやろうかねえ」

なんだかよくわからない言葉を続けて、……そこでいったん足を止める。


 ……半分残す、って……。


 立ち止まったやつは、一度、振り返り、また貴さんを指さした。

 そして言う。

「イル」

 それからウズメさんに向かっても、

「イる」

と繰り返す。

 そのあと。

 オレと風汰に対しては、言葉を変えて、明確に、こう告げた。

「要らん」


「キスケさんはもう死んでいます!」

貴さんの強い抗議が飛んだ。

 でもオレにはそれに同調する余裕はなかった。硬直した風汰をひっぱって逃げだすのが精一杯で。

 すぐ後ろを、大男の豪腕が起こしたらしい風圧が飛ぶ。恐怖で頭がしびれた。でも体は動く。オレは何も命令してないのに、勝手に最短距離で大男から離れていく。

 サルヒコとの命がけの追いかけっこで、ぬるい回路が切り替わってくれたみたいだ。肉体が自動的に生き残る方法を選んでいるのを感じる。オレ、なんか、すごくない? こんなに短時間で、こんなにこの時代に適応するなんて。

 ミニ姫が放りこまれた草むらのそばに風汰を投げだすと、オレはすぐに、大男からの距離を保ったまま、風汰とは反対方向に走りだした。なんとなくだけど、あいつはオレのほうを追ってくるような気がしたんだ。

 案の定。

 大男はオレに向かって大股で近づいてきた。突進ってほどのスピードはないけど、もともと足のリーチが長いから、すぐに距離が詰められる。


 ……いいよ。大丈夫。もっと来ていいよ。

 隙を見せてやつを誘う一方で、オレは頭の中でミニ姫に念じた。

 オレがあいつを捕まえたら一緒に異空間に転移して、って。


 さっき、大男にロックオンされたウズメさんに向かって、風汰と一緒に手を伸ばしかけて……思いだしたんだ。昨夜、ウズメさんと一緒に飛ばされたときのこと。

 あのとき、ウズメさんはオレが捕まえていなければどこかに弾かれてしまいそうだった。転移中の世界は、ミニ姫が転移させた相手、つまりオレにしかコントロールできない特徴がある。

 大男をあの空間に連れていって置き去りにしてやれば、自力では戻ってこれない。殺したも同然になるんだ。


 ズキン、って心臓が痛んだ。

 オレ、本当に人殺しになるんだ、って……。

 ……でも!


 目の前に立つやつに向かって、刀を構える。

 オレに他に何ができる? オレと風汰を簡単に『要らない』って切り捨てた相手なんだ。報復して何が悪い?

 大男の動きが止まる。一応、警戒したみたいだ。でもすぐにバカにした顔で、唇をなめる。

 見るからにわかるよ。オレや風汰なんかぜったいに敵わない。だからなおさら、オレにためらう理由なんかない。

 オレにとってこいつは、この世にいていい人間じゃないんだ!


「おっかねえ」

大男がそうつぶやいて、一歩、後退した。

 …………。

 一瞬、オレの考えが読まれたのかと思った。

 でもそうじゃない……っぽい。

 やつの表情には優位を疑っている感じはない。あいかわらずニヤけたままだ。

 むしろ、怖がったふりをしてオレをからかっているように、見える。


 あーもう……っ!

 ぐずぐずした動作に苛ついてキレそうになった。

 いっそこっちから大男に向かっていってやろうか……!


 …………。

 けど……。


 ……ダメだ。それをやったらまずかわされる。確信がある。

 こいつ、でかいけど、サルヒコみたいにぐずじゃない。わざと鈍い動作をしているだけで、目線はずっとオレたちの動きについてきている。


 なにか……。

 こっそりと大男越しに貴さんを見た。

 貴さんは少し離れた位置に立っている。七、八メートルってとこか。

 貴さんがスリングショットで気を逸らしてくれれば、大男に組みつけるかもしれない。弾が当たれば、たぶんこいつは標的を貴さんに変えるけど、この距離があれば、オレが強制転移に引きずりこむほうが早い。

 視点を大男に戻しながら、貴さんに祈った。悟られないように撃って、って。オレ、貴さんに危害が行かないように、ぜったいに守ってみせるから。怖がらずに協力して、って。


 ビイン、と、ゴムというよりバネの伸びたような音がした。

 と同時に、オレは大男に走り寄った。

 貴さんの腕ならスリングショットは確実に命中する。それもきっと、一番効果が高いだろう部位に。頭か首か? どっちにしても大男の注意は、胸下に突っこんでいくオレからは逸れる。


 はずだけどっ!?


 大男で遮られていた視界が、なぜか一気に開けた。

 え? 消えた? まさか!?

 やつまでスクナの能力を使ったのか、って考えがちらっとかすめた。でも深く追及する間もなかった。

 オレの頭上すれすれを金属片が飛んでいく。パチンコ玉にしては大きく見えたけど、あれは貴さんが撃ったものだ。しまった。空振ったんだ。

 どこに……と大男の行方に視線を巡らせたオレに、風汰が忠告を飛ばした。

「上だよ、上! 貴史の上だ!」


 姿を捉えるより先に、着地の地響きが耳を伝った。

 ……こ、こんな跳躍力、ありえねーだろ……。

 オレの視界から消えるほど高くて、貴さんまでの距離を一気に詰めるほど遠くまで跳ぶなんて。

 ありなの、これ? 人間なの、こいつ?


「松田! 貴史が!」

焦れた風汰の怒鳴り声で我に返った。

「あ、ミ、ミニ姫……」

驚きと恐怖で作戦がすっとんだオレは、とにかく貴さんに近づかないと、と焦って、スクナに呼びかけちまった。

 空気が歪む。ミニ姫の、場にそぐわないまぬけな質問が聞こえた。


 いまでいいのー?


「やっぱなし!」

大慌てで訂正したけど遅かった。

 景色がかすんで、体が浮く。


 浮遊空間に放りだされたオレは、すぐさま出口の穴を探した。

 しくじった……! ここで転移を使ったら、あと四時間、ミニ姫は起きてくれない。スクナに頼れないのなら、大男からは逃げるしかない。

 いや、でも。

 ほとんど無意識につかんでいた長刀を、力を込めて握りなおす。

 サルヒコのときと同じ手段が使えないだろうか。この異空間から飛びだすと同時に、あいつの脳天に切っ先を突き通す。

 あいつは常人離れした動きをするけど、テレポート能力を持っているわけじゃなさそうだ。オレとスクナの攻撃方法を予測するなんてことは、さすがに……。


 穴の外に貴さんの後ろ姿が現れた。オレは貴さんのすぐ背後の上空にいるらしかった。

 貴さんの対面には景色いっぱいに大男の図体がある。

 もう少しやつのほうに寄らないと……。

 視点を、いまは見切れている大男の顔のほうに向ける。穴の位置が上にずれていく。もうちょっと高いとこに出たい。こいつの頭の上に行かないと……。

 穴がごつい顎を映した。それからゆるいスピードで口、鼻へと上がっていく。

 緊張で手がすべった。柄に置いた両手を交互に離し、袖で汗を拭きとる。

 大男の目、たぶん貴さんを見ているんだろう、伏し気味に降ろされたまぶたが、穴の外に現れる。


 その瞬間。


 やつの視線がこっちを向いた。

 そして、信じられないことに、太い腕がこの異空間に侵入してきた。


「ぅわ!」

胸ぐらをつかまれて強制的に現実空間に引きずりだされたオレの体は、オレ自身が何がなんだかわからないうちに、地面に叩きつけられていた。

 背骨から肋骨に疼痛が抜けたあと、気づく。

 ……呼吸いき、できない……。


「スクナかあ」

抑揚のない大声が上から降ってきた。

「おっかねえなあ。スクナの力ぁ、使うとはよお」

のんきな口調に反して、大男の声は固い。

 ……オレのこと、警戒してるんだ……。

 ……このまま殺されるんだ、オレ……。


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