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天外の隣国  作者: 小春日和
われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する。
33/38

 うっすらと残る藪の道筋。二日前の朝、日光東照宮を探して西へと進路を取っていたことが、なんだかひどく昔に感じられる。

 室の木のベースから離れたオレたちは、近くの根上がりの大木まで、村からは少し遠ざかるような進路を、いったん取った。この大樹の裏手から村への道らしいものが続いていたことを思い出したからだ。

 先頭を行く貴さんのうしろには、ほぼ横につき従うような形でウズメさんが同行していた。

「私は村から出してもらえなかったから、この道はよく知らない」

と言うウズメさんは、それでも、

「ここにあるのは、村のそばに茂る草とは違う。少し遠いかもしれない」

って役に立ちそうな助言をしてくれた。

「英士くんと星野くんが川沿いを帰ってきたときは、体感的に一時間……半刻、はかかってなかったそうです。だから、僕や貴女のような歩くことに達者じゃない人間がいたとしても、一刻もあれば到達するんじゃないかと予想してますが……」

ウズメさんに合わせて昔の時間の数え方で答えた貴さんは、足場の悪い藪に苦労しながら、額に浮いた汗をぬぐっていた。

 二人のすぐあとを追うオレはキスケの日本刀を、風汰はリュックを背負っている。ミニ姫は貴さんの胸ポケットの中だった。

「貴史が一番にバテそうだな。そしたら、松田、お前おぶってってやれよ」

風汰の言葉は冗談めかしてあったけど、オレはごくまじめに、

「うん」

と返した。

 そしたら、貴さんがちらっとふり返って、

「ありがとう」

と小さく言った。

 でもそのあと、

「あんまり見くびらないでくれる?」

って反論した。

 だから、オレと風汰は、思わず微笑う。


 三〇分は楽勝で歩いたと思う。

 悪路のせいであまり行程が進んだ感じはしなかったけど、周囲の雰囲気はそれなりに変わってきた。立ち木の間隔が狭まり、陽の光が入らなくなった。

 薄暗い林の中、ときどき下草の様子に目を落とすウズメさんは、ふと何かに思い当たったみたいで、前方に目を向けた。

 それから、まっすぐに腕を上げる。

「……村に戻った」

 ウズメさんの指し示した方向を見ると、大蛇のようなくずつるが大木に絡みついているのが、見えた。

「あれが目印だ」

そう続けながら……でも、ウズメさんの足はそこで止まってしまった。

「村の者はあそこから外に出てはいけないことになっている。村から出てしまった私は……帰ることが恐ろしい……」

って、最初は貴さんの顔を見上げ、それから順にオレたちを見回してから、……うつむく。


「……いったん休憩しましょうか」

ウズメさんのためらいに配慮したらしい貴さんが、ウズメさんと同じくその場に立ち止まって、それからゆっくりと腰を下ろした。

 風汰も荷物を地面に置き、でもすぐに、

「ちょっと偵察」

と目印の大樹に向かって走って行く。何をするのかと見ていたら、器用に蔓に足をかけて登り始めた。

 オレは刀を持ったまま、貴さんとウズメさんのそばに、さらに寄った。


 それなりに緊張しているとは、思う。

 でも……なんだろう。

 心地が、いい……。

 鋼の長刀はずっしりと重たくて、正直、さっきから憂鬱ゆううつになっていた。

 やっとこれの出番が来るのかと思うと、変な感覚だけど、なんだかわくわくする。


 地面から六メートルほど登った先の枝に風汰がとりつくのと同時に、貴さんがウズメさんに確認し始めた。

「貴女は村に帰ることを怖がっているようですが……よかったら、具体的にどういう処遇が待っているのかを教えてもらえませんか?」

そして、そう尋ねてから、オレのほうに目を配る。

 ……そうだな。

 たとえば、ウズメさんが村に戻ったさいに、オレたちが警戒するよりも和やかな迎え方が待っているんだったら、オレたちもあまり敵意をむきださないほうがいい。

 オレたちの目的は村の連中とトラブルを起こすことじゃないんだ。ウズメさんを受け入れてもらうこと。その上で、オレたちにも居場所を作ってもらうこと。

 猫背や背の小さいおじさんたちのように、含んだ悪意はあったけど、表面的には友好にしてくれるなら、それを逆なでる必要はない。

 オレは、刀を握っていた手に込めていた力を、抜いた。なんだか、勝手にウズメさんがひどい目に遭うんじゃないかと妄想して力んでいたのが、恥ずかしくなったんだ。

 ……でも。

 ウズメさんの答えは、オレの想像の上を行っていた。

「逃亡は縛り首だ。男は梟首きょうしゅになることもある。キスケはそういうことを好んでやる男だった。刀の切れ味を試したいからと言って……」

貴さんの横にしゃがみ込み、地面に左手の爪を立てながら右手で胸を押さえるウズメさんの顔は、青白くなっていた。

 貴さんがやんわりと、

「梟首、って何ですか?」

と聞くと、

「首をねてから体を切り刻む。でもキスケは息のあるうちに試し斬りをする」

と苦しそうに呟いた。


 村からの逃亡は、縛り首、か、梟首。

 オレには戦国時代の村の形態の知識がなかった。オレの記憶にある最初の村落の姿は、江戸時代の五人組だ。五軒の世帯を一くくりにして、お互いの行動を監視しあったり、年貢を補い合ったりする制度で、小学校のときに習った覚えがある。

 ウズメさんの話だと、この時代にも村内の監視体制はあったってことか。

 ただ……。

「……なあ、貴さん。村からの逃亡って、死刑になるほどの重罪だったの?」

 オレの感覚では、戦国時代っていうのは、村を焼かれて落ち延びてきた人たちや、戦のさいちゅうに戦線離脱しちまった雑兵が、便宜上の集落を作る、ってイメージがあった。だから、村を維持するのに人殺しまでする、というのはぴんと来なかった。

 そしたら貴さんは、半分はオレの思うとおり、

「村をそこまで大事にするのは、ちょっと僕にも理解できないんだけど」

と答えたあと、

「でも、戦国時代は全体に人間が血気盛んな時代だったから、ちょっとしたことが殺し合いにまで発展することはあったんじゃないかな。特にこんな山の中の村落では、助け合わなければ、作物を取ることも、それこそ以前英士くんが言ってたとおり、山賊に襲われたときに対処することもできないだろうし」

とも返した。

 そっか……。

 村から逃げる人間は、村の連中から見れば『自分たちを見捨てた裏切り者』になっちまうわけか……。


「ウズメさんは逃げたわけじゃないので……」

不安そうな顔でオレたちの顔を見上げるウズメさんに、貴さんは笑顔でそうフォローした。

「そこは僕がちゃんと説明します。だから心配しないでください」

って。

 それから、自らもオレを見上げてから、貴さんはこう言った

「それに貴女には英士くんもついてます。彼の執念深さは、サルヒコとの戦いのときに貴女も見たでしょう? だから、必ず村には無事に戻れますから、安心してください」


 …………。

 ……………………。


 オレは、ウズメさんの傍らに膝をついて、しゃがんだ。

 そして、ウズメさんの頭を撫でる前に、貴さんに尋ねた。

「もし貴さんの交渉がうまく行かなくて、ウズメさんが殺されそうになったら、オレ、村のやつらを殺してもいいよね?」

 ……貴さんは、一瞬動きが止まったあと。

 でも。

 苦笑しながら、うなずいた。

「いいけど、そのときは僕が合図するから、それまで待って」

って、自分も共犯になってくれる意図を返す。


 長刀を握る手に、また力がみなぎった。

 まずいとは思うけど……気分がいい……。

 ウズメさんをいままで虐げてきた連中。

 オレと風汰をサルヒコの餌にして平気だった連中。

 むかむかとくすぶっていた不満が、やり返す機会を得て、解放されかけている……。


 晴れ晴れとした気持ちになったせいか、急に頭がクリアになってきた。どうやったらスキルの低いオレが村のやつらに勝てるか、って方法が、すごい勢いで湧き出してくる。

 うつむいてしばらくその思考の流れに没頭していたら、唐突に、唯一の勝利だったサルヒコとの最終バトルを思い出した。

 オレは、顔を上げて、貴さんの胸ポケットを指さした。

「ミニ姫って起きてる?」

 いままでのパターンからいって、転移の力を使ったあとのミニ姫の寝込む時間は四、五時間だった。今日は朝に一度オレをすっ飛ばしているから、タイミング的には微妙なところだ。


 貴さんは自分のポケットを覗きこんだ。

 ……そして、笑って指を差し入れた。

「大あくびしてるよ」

って言いながら、指にしがみついて出てきたミニ姫を、オレの掌に下ろす。


 眠そうな目をして、手の中でまた寝転がったミニ姫に、オレは、

「なあ、スクナ」

と呼びかけた。

 そのとたん、ミニ姫はびっくりした顔をして、飛び起きた。

 眉を八の字に曲げて、まるで、いま自分が言われたことの意味を反芻するように、首をかしげる。


 スクナは……スクナヒコナは『先の見えない道行を安全にしてくれる神さま』だと、貴さんは言った。

 オレには、ウズメさんを本当に守ってやれるかどうかの自信は、ない……。この期に及んでも、それを約束してやる嘘は、つけない……。

 けど、村の連中に一度刃物を向けてしまえば、もう後戻りができないことはわかっている。

 だから勝たなきゃならない。負ければ、ウズメさんだけじゃなくって、貴さんや風汰までもが巻き添えになる。

 あやふやなオレの未来に少しでも希望を与えてくれる存在が、安全な道行を約束するスクナなら、ここはどうしても協力してもらわなきゃならない。


「……わかる? お前の本当の名前って、スクナ、なんだよ」

まだ事情を飲み込んでいない様子のミニ姫に、そう語った。

「サルヒコとの戦いのときに、最後に助けてくれただろ? オレがウズメさんを助けたいと思った心に、ちゃんと応えてくれただろう?」

言葉を重ねると、ミニ姫の顔が、徐々に真剣になっていった。

 小学生の女児のようなあどけない風貌が引き締まって、大人びた顔になる。

 男とも女とも判断のつかなくなった中性的な表情が、不意に崩れていたずらっぽい男児のものになった。

 一寸法師……。

 悪童で勇敢で巨大な鬼にも負けなかった、英雄の小人。

 いまのミニ姫は、まさに一寸法師そのものだった。

 だからオレは、安心して、

「またオレの力になってくれる?」

と頼むことができた。オレの呼びかけに応えて本性を現してくれたスクナを、信頼することができた。

 口の端を、にっ、と曲げたスクナは、それから、唇をゆっくりと動かした。

 ま、か、せ、て、お、け。

 と。


 風汰が戻ってくるのと同時に、オレたちは腰を上げた。

「まだ村はかけらも見えねーや。雑草も茂ったままで人のいる気配もないし。本当にあの木から先は村のエリアなの?」

駆け寄りながらそう尋ねる風汰に対して、ウズメさんが、

「えりあ?」

って、まずこの時代にはなかったはずの単語の意味を貴さんに聞いてから、答えた。

「野草を摘むためには、山のあちこちを行き来せねばならない。村の本当の入り口はまだ遠いけれど、でも、村の誰かに会うのはこのあたりからだ。だから……」

 ……最後を濁したのは、きっと、

「だから充分に気をつけて……」

ってことを言いたかったんだろう。


 この先は、いつ襲われるかわからない区域。

 ウズメさんが不条理な理由で罰を受けたり、オレが人を殺したりする可能性のある領域。


「……村にある武器はキスケの刀だけですか?」

と、先頭に立って、まず村内に一歩を踏み入れた貴さんが、尋ねた。

「蔵には女は近づけないからよく知らない。でも、猪を獲りに行くときは、竹弓(※一)を持つ男もいる」

オレと順位を入れ替えて、三番手に押しやったウズメさんが、答える。

 その返答に、

「弓かあ……」

と呟いた貴さんは、

「万一に姫ちゃんに当たっちゃうといけないから、星野くん、連れてってあげて」

と、こっちは変わらず最後尾を守っている風汰に、ミニ姫を手渡した。

 風汰が、なんだかわからない状況で思わず受け取った、という風情でミニ姫を肩に乗せたあと、

「え? 当たる、って弓矢の話だよな? チビに当たる可能性があるんなら、貴史はどーなんの? 人間には当たっても大丈夫ってこと?」

って慌ててまくしたてる。

 貴さんは笑って、

「うん」

とだけ返した。


 さっき、風汰が不在のあいだに、貴さんから、

「戦国時代で大きな戦力になったのは、投石、つまり飛び道具だったみたいだよ。この時代の人は狙いが正確だったんだろうね」

とレクチャーを受けていたオレは、貴さんの言葉が嘘で、この手の話に弱い風汰を気遣ったものだって、すぐにわかった。

 猪を狩る道具の竹弓が、人間に危害を与えないわけがない。しかも照準が正確なら、致命傷にだってなりかねないはずだ。

 ……でも……オレ、貴さんと順番を変わろうとか、そういうことは考えなかった。

「ウズメさんのことを一番に考えてあげて。君にはその義務があるんだから」

って貴さん本人に言われたから……。


 うしろで、

「貴史が先頭ってのはおかしいって! なんならオレと場所変えようよ!」

って騒ぐ風汰を、だから、一喝する。

「風汰は貴重な戦力なんだから、怪我なんかしてもらったら困るんだよ!」

と。

 オレの言動に驚いた様子の風汰は、

「え? なに……? なに言ってんの、松田……?」

と不信感をめいっぱい表したあと、黙り込んだ。

 隠れた場所からの遠隔攻撃は、いくら運動神経がよくっても、防ぎようなんか、ない。だから、風汰が先頭に立ったって、状況は改善されないんだ。

 ……もともと戦力にはならない貴さんに的になってもらうのが、一番、合理的なんだ……。


「あのさ、英士くん……」

慎重に歩みを進めながら、貴さんが、オレにだけ聞こえるような小さな声で、囁いた。

 オレは……貴さんが今生の別れでも言い出すんじゃないかと……緊張した。

 案の定……っていうか、そうとしか思えないような沈んだ声で、貴さんは続ける。

「僕、この足のせいで、いままで満足に走ることもできなかったんだよね。それって、しかたがないことではあったんだけど、でもやっぱり、思いっきり走れるころに戻ってみたいな、って憧れもあって……」

 ……耳を塞ぎたくなるのを、必死で我慢した。

 足さえ不自由じゃなかったら、貴さんは、こんな自己犠牲みたいな真似はしなくて済んだはずだ。オレに、

「オレたちのために死んでほしい」

なんて思われなくて済んだはずなんだ……。

 貴さんのうしろ姿が霞んだ気が、した。もともと頼りないぐらい細身の人だったけど、影の薄さが際立った気が、した。

 ますますかすかになった声量で、貴さんは、最後の言葉を、伝えた。

「僕、思うんだけど、火事場の馬鹿力みたいに、生命の危機に晒されたときの人間の底力って、こういうときに発揮されたりはしないのかな? たとえば、矢が飛んできたときにとっさに健常者と同じように避けちゃったり、ってことをしちゃったりしないのかな? もし僕が反射的に逃げたら、矢は英士くんに当たるわけじゃない? だからさ、先に謝っておくね」

ごめん、と小さく頭を下げる先輩。


 …………。

 …………。

 …………。


「………………かまいません。貴さんに対処できるぐらいの攻撃なら、オレも風汰も楽勝でけられますから」

なんで自分が敬語になっているんだかわからないまま、オレは、こっちもまた自覚せずに憮然となった声音で、答えた。

「貴さんはオレたちにとって大事な人材ですし。オレ個人にとっても兄貴みたいな支えに感じている人ですから。だから長生きしてくれることはむしろ大歓迎です」

自身でもわかるほど言葉の内容とは裏腹な態度で語るオレに、貴さんが不思議そうな表情で振り返る。

「なにか怒ってるの、英士くん? 言いたいことがあるならはっきり言ったほうが、精神的にはいいよ」

 先輩の誘いに、間髪入れずに、オレは返した。

「オレの葛藤した時間を返せ」

「……葛藤してくれたんだ?」

勝ち誇ったように微笑む貴さん。


 ……オレ、何回、この人の術中にはまったら気が済むんだ……。

 ……って、思ったけど……。

 …………。

 うんまあ……。

 よくわかんないけど、なんか……安心した。

 なんか……なんでか……なんとなく、ね……。


※一 竹をひご上に裂いて束ねたものを使って作った弓のことです。和弓の中では粗悪な品の部類です。

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