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天外の隣国  作者: 小春日和
われわれのすべての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する。
30/38

 サルヒコとの戦いから二日めの朝が来た。

 未だ微熱の残るオレは、

「姫ちゃんのお守りを頼むね」

と貴さんに言われて、室のすぐそばの広い空間で寝っ転がりながら、ミニ姫の様子を見ていた。

 ふだん風汰の行動につきあっているミニ姫は、貴さんからもらった服をすでに真っ黒に汚しながら、草の上を走り回っている。まだ七時ごろの陽光は、明るいけれど暑くはなく、一応夏バテをするミニ姫にも負担にならずに済むらしい。

「あんまり遠くに行くなよー」

と声をかけたオレは、仰向けになって彼女から目を離した。

 いまのうちに考えておきたいことがあったんだ。


 ミニ姫の転移能力の実態、コントロールの方法。

 ミニ姫の行動はけっして分別のあるものじゃない。気分のままに怒ったり泣いたり、まるで赤ん坊だ。

 そんな彼女の感情に左右されるあの力は、一つ間違えば、恐ろしいことになりそうな気がする。

 例えば昨日の、オレと一緒に転移してしまったウズメさんのように、巻き添えになった人間が時空のはざまで迷子になりかねない、とか……。

 他にも、五体満足なオレや風汰ならともかく、貴さんのように足の不自由な人が上空に飛ばされてしまったら、とか……。

 だから、ミニ姫に、むやみに力を使わせないように教え込む必要が、ある。


 ミニ姫を怒らせる原因。

 オレとウズメさんの関係に、なぜか嫉妬をするらしいミニ姫。だから、彼女の前ではウズメさんと近づくことをできるだけ避けなきゃいけない。

 これはまあ……できないことはないだろう。もともと、ミニ姫が女の子だという認識がなかったオレが、態度を改めればいいだけのことだし。

 ……ミニ姫に嫉妬されるほど好かれている、と自覚すればいいだけのことだし……。

 …………。

 ……………………。

 ……うーん……。

 ……悪い気はしないとこが……オレって優柔不断だなあ、って、改めて思う……。


 あとはあれか……。

 風汰が転移されたときは、なにが理由だったんだっけ……?

 風汰はあのとき、たしかミニ姫に軽口を叩いていたはずだ。

「お前に針の剣を持たしてやったら、サルヒコを倒せるよな」

って……。


 ミニ姫の神話上の姿はスクナヒコナ。

 一方で、サルヒコの神格化した姿はサルタヒコ。

 二人の仕えていたオオクニヌシとアマテラスは敵同士だったから、二人も反目し合ったはず。

 ミニ姫にとっては、すでに死んでいるサルヒコでも、戦え、なんて言ったら過剰に反応してしまうぐらい、未だに宿敵なんだろうか。

 ……だったら、風汰にはもちろん、ウズメさんにも、サルヒコの話題には慎重になってもらわないといけないな……。


 髪の毛をつんつんと引っ張る感触があった。

「?」

 体を起こして見ると、ミニ姫が、オレの頭のそばで、いかにも、

「退屈したよお」

と言いたげな表情をしている。

 汗まみれになった小さな体には、雑草のかけらがまといついていた。気になるのか、その無数の異物を払おうとしているミニ姫は、やがて癇癪かんしゃくを起こして泣きだした。

「自分でやったことなんだから泣かないの」

とオレが叱ると、いったんは我慢したけど、すぐにまた目がうるみだす。

 ……可愛いんだけどなあ……。

 ……でも阿呆すぎるんだよなあ……。


 しかたがないから、オレはミニ姫を連れて川に向かった。水浴びをさせるつもりだったんだ。

 そのまま川に入れたんじゃ流れに呑まれて危険だから、貴さんが用意してくれた鍋を持参した。ここに水を汲めば、ちょうどいいプールになるだろう。

「服も洗濯しよっか」

と言ったら、空の鍋で運ばれていたミニ姫は、オレの顔を見上げてから、自分の服を引っ張り出した。

「センタクって何?」

と聞かれた気がして、

「服を洗うことだよ。川に着いたら脱いでくれる?」

そう言ったら、ミニ姫は、その場でいそいそと脱衣し始めた。

 ……女の子だけど、まだこういうことには抵抗ないんだ……。

 ……って、子どもに対して馬鹿馬鹿しいことを、なんとなく思った。


 川原の適当なところに鍋を置いて、ミニ姫をいったん取り出し、

「水を汲んでくるから」

と待つように指示して、川面に向かう。

 サルヒコの死体のある場所から少し上流になるから、あいつの姿は見えない。まだそのままなのか、それとも他の獣や魚に食われたりしているのかはわからないけど、どっちにしても、オレはともかく、ミニ姫には刺激が強いだろう。だからあえて現場を避けた。

 柔らかい朝の陽が波に反射している。ごつごつと大きな岩が乱立する川には、二日前の死闘が嘘みたいに感じる、穏やかな光景が広がっていた。

 ……サルヒコみたいな化け物がこの先も現れる可能性は、もうないんじゃないだろうか……。

 って安堵するぐらい、目の前の風景は平和そのものだった。

 鍋に水をすくって、ミニ姫の背丈に合わせた分量まで減らしたオレは、川原で突っ立って待っている彼女をふり返る。


 そのとき。

 ……ふと、自分も汗を流しておきたい衝動に駆られた。

 昨日は半日高熱が引かずに、夜中は気持ちの悪い寝汗をかいていた。

 ウズメさんが常にそばにいるいま、あんまり不衛生にしておくのは恥ずかしい気がするし……。


 脱ぎ散らかした服をそばの樹の根元に集めたあと、オレは、ミニ姫入りの鍋をひっつかんで、素っ裸で水の中に突撃した。

「冷てー!」

相変わらず水温は低い。

 でも、こっちに来てからほとんど無頓着だった入浴の快感を思い出せた気がして、なんとなく、ほっとした。

 やっと人心地がつくほどの余裕を持てるようになったっつーか……。


 深みに足を取られないように気をつけつつ、大岩の陰になる場所に落ち着く。巨岩が流水の勢いを緩めてくれるから、ミニ姫もあまり揺れずに済むようだった。気持ちよさそうに、鍋の中で細い手足を伸ばしてたゆたっている。

 そのリラックスぶりに、ちょっといたずら心が湧いて、オレは、指先の水滴をミニ姫に向かって弾いてやった。

 怒るかなと思ったけど、彼女は、一瞬びっくりしたあと、満面の笑みで破顔した。そして、笑い声が聞こえてきそうなほどの喜びようで、両手に水をすくい上げては、オレに飛沫しぶきをお返ししてくる。

 応戦しながら、思わず、

「転移中じゃなくても声が聞こえたらなあ……」

って呟いた。

 あんまりにも楽しそうなミニ姫のはしゃぎ声を聞いてみたくなったから……。


 ミニ姫の正体であるスクナヒコナは、オレたちの世界で言うところの、神さま、で、オレと彼女には大きな隔たりがあるはずなんだ。

 なのに、オレはミニ姫の感情を理解できるし、ミニ姫もオレを慕ってくれる。

 ウズメさんがサルヒコを求めていると気づいたとき、オレ、正直、ウズメさんに反感を抱いたんだ。だって、あんなに綺麗なひとが、お世辞にも好感を持てるとは言えないサルヒコに自分を捧げようとしたんだから。

 でも……いまは少し、その気持ちがわかる気がする……。この世界では、神さまと人間の垣根が低い。神さまは、姿形は異形で、能力も人間離れしているけど、オレたちと通じ合うこともできないぐらいの遠い存在じゃあないんだ……。


 …………。

 ……………………。


 ……神さまと仲良くなれるってことがどういう結果を引き起こすのかは、オレには、まだよくわからないけどさ……。


 ミニ姫を構いながら、頭の片隅でそんなことをつらつらと考えていたら、とつぜん背後の岩の上から、

「お背中流しましょーかー?」

って風汰の冗談が降ってきた。

 振り仰ぐと、大岩の上に腰かけた風汰が、オレと同じく全裸になった状態で覗きこんでいる。

「なに? お前もこんな朝早くから水浴び?」

って聞き返したら、

「魚捕り兼用でね」

と言いながら、勢いよく水に飛び込んできた。

 ミニ姫の鍋が反動で大揺れする。中の彼女が飛び出しそうになって、慌てて鍋の口を手でふさいだ。

「馬鹿! もうちょっと周り見て行動しろよ!」

思わず叱ると。

 いったん水の中に沈んだ風汰は、頭だけぷかりと浮かせてから……意味ありげに、言った。

「……チビにならいいんだ。ウズメには駄目だろ」

って。

「……何が?」

と問うと、

「勘違いさせんの」

ますます謎めいた返事を返す。


「オレたちはさ、けっきょく帰るわけじゃん。元の世界に」

オレの隣で岩にもたれながら、風汰は、一言ずつ言い含めるように、ゆっくりと語り始めた。

「ここで誰と仲良くなろうと、けっきょくは見捨てていくわけじゃん。だって、オレたちの世界にウズメは連れていけないだろ」

そこでミニ姫の鍋をオレから受け取って、彼女をあやしながら、続ける。

「チビはさあ……最悪、なんとかなると思うんだよ。オレと松田と貴史でこっそり世話するとかもできると思うし。けどウズメは……」


 ……風汰の言いたいことはわかった……。

 ……いや。

 ……わかっていた……。


 ミニ姫の能力がオレたちを元の世界に戻せるかもしれない、って聞いたとき、オレは、自分が帰りたいのか帰りたくないのかを自問した。そこには、ウズメさんと別れる選択ができるのか、って疑問も、多分に含まれていたんだ。

 ……ウズメさんをこの世界に置き去りしていく……。

 あの村で初めて会ったときの彼女は、まさに狂人だった。オレがいなくなったら、ウズメさんは、またあんなふうに心を閉ざしてしまうだろう……。


「あのさあ、風汰……」

こんなことを言うとまた風汰に怒鳴られそうだけど、でも、伝えてみる。

「オレさ……。オレたちが助かることと、オレたちだけが助かることを、一緒にしたくないんだ」


 わかってもらえるだろうか。オレの気持ち。

 オレ、ウズメさんのこと、好きだよ。でもそれは強い感情じゃない。椿のときみたいに、オレ自身にもどうにもならないほど惹きつけられるような吸引力は、ないんだ。

 けど、ウズメさんはオレがいないと駄目になると思う。またサルヒコに逃避したり、村の連中に好き勝手にされたりすると思う。

 ……だからオレは、ウズメさんを、自分の都合よりも優先できるほど好きでいないといけないんだ……。


「風汰も貴さんも、勝手ばっかりやって扱いづらいオレのことを見捨てないじゃん。それって、自分のことよりもオレのことを考えてくれてるからだろ? オレもウズメさんにそういう立場を取ってやりたいんだよ。ウズメさんを見捨てていくぐらいなら、前の世界に帰れなくたっていいと思ってるぐらいなんだ」

 オレは一気にまくし立てたあと、今度は風汰の反論を待った。

 オレの考えは、きっと間違っている。でも、どこが間違っているのか、自分自身ではわからない。

 不幸な人間に同情することがそもそも悪いことなのか。

 でも、じゃあ、不幸なやつを孤独に放置しておくのが正しいのか。

 病気で寝込んだときは、たしかに、時間さえ経てば、誰もいなくても体は勝手に回復していくよ。けど、弱っているさなかに一杯の水を恵んでもらえたって経験は、体と一緒に心も回復させるんだよ。

「……他人の都合にぜんぶつき合うのは無理なんじゃね?」

けっこうな沈黙のあと、風汰はぽつんと返事を返した。

「まあ、たださ……」

でも、それから、こうもつけ加えてくれた。

「ウズメはお前の嫁みたいなもんだからなあ。強制的に別れろっつーのも……なんか嫌な感じ?」

 オレもいっそこっちに定住しちゃおうかな、って軽口で締めくくる風汰に、内心で感謝しながらも、オレは、

「じゃあ風汰の嫁はミニ姫で」

って冗談を返した。


 素っ裸のまま異空間に転移させられたのは、その直後だった……。


 もうすでにこれで三回め。

 いい加減、この空間にも慣れが来た。と同時に、

「なんでオレって学習しないかなあ……」

ミニ姫の神経を逆撫でてばかりの自分にも、惰性を感じるようになってきた。

「あいつの行動を読めってのは、オレには無理」

って。

 出口の穴の外に川面の光景が見え始めた。

 いつもどおり、引っ張られる感覚が強まる。


 そのとき、意外なことに、貴さんの声がこの異空間に響き渡った。穴から確認しても姿はない。ただ言葉だけが、スピーカーで流されたみたいに、あたりに反響する。

「英士くんっていう人は……えっと……まあ、誠実、な人間ですよ。あまりよく知らない貴女やキスケのような他人にも感情移入してしまうような」

 ……なんだろう。オレの話をしているんだよな? ウズメさんと……?

 案の定、そのすぐあとにウズメさんの呟きが重なった。

「私は救ってもらえるのだろうか」

と。

 そしたら、貴さんの声音がちょっと固くなった。

「僕は貴女のそういうところに不満を持ってますけどね。英士くんを貴女の人生につき合わせることは、正直、避けてほしいです。彼にそこまでの重責を課したくないので」

 ウズメさんの溜息のような息遣いが聞こえた……。


 渓流のあちこちをさまよっていた出口の視点が、急に一か所に引き寄せられた。

 不安げにうつむくウズメさんの姿が大映しになる。


 ……ああ、そっか。

 オレは手を伸ばして、ウズメさんの細い肩に触れた。

 ……この人、ちゃんとオレを頼ってくれているんだな。

 意思の疎通が難しくてあいまいだったウズメさんの本音が、やっと手に入った気が、した。


 急にものすごく愛しくなって、いきなりのオレの出現に驚いた様子の彼女を、強めに抱きしめた。

「……大丈夫だよ。オレ、ウズメさんを置いて元の世界に帰ったりしないから……」

自然に口をついた言葉は、断言、になった。

 ……うん。やっぱり、オレ、ウズメさんを置いて帰ることはできそうにないや……。


 周囲が正常な景色に戻る。

 オレのいた場所とは違うけど、ここも川の中だった。大岩に囲まれた閉塞的な空間。

 腰から下を水に浸からせたウズメさんは、なぜか、いつもみたいな素直なスキンシップを返さないで、ちょっとぎこちない動作で身をよじった。

「……お前のその姿は……どういうふうに心を準備すればいいのだろ……」

って困ったような囁きで戸惑いを表す。


 瞬間。

 すぐ脇の巨岩の縁に、スリングショットの弾が命中した。

「誰がいるんですか?」

貴さんの若干の詰問口調に、ウズメさんが、またおずおずとした調子で答えた。

「英士……」


 ……ウズメさんの上半身は裸だった。

 ……オレは上下ともに全裸だった。


 貴さんの足音が水の中を近づいてくる。

 そして……岩の陰になっていたオレの格好を見咎みとがめたんだろう、立ち止まると、冷ややかな声で、こう言った。

「君って姫ちゃんの力を最大限にうまく使ってるよね」

「ちっ違う! これは予想外でっ!」

 破壊力抜群のウズメさんのナマ姿態に完全に反応しちゃったオレは、慌てて貴さんに言い訳しながらも、言い訳の通らない一部の状態を、密かに必死でひた隠した。


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