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天外の隣国  作者: 小春日和
どういうところか少しも知らずに紛れ込んだ難所が、私達の生である。
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感想等で、この話を二章の最終話にすると宣言していたんですが、思った以上の長さになりましたので、最終話は次に先送りにいたします。混乱させてすみません。

 重、い。

 それに、寒い。

 倒れこんだときにサルヒコの下敷きになったオレは、推定七、八〇キロの体重に、水中で押しつぶされていた。

 気持ち、悪い。

 周囲の景色がサルヒコの血で濁る。うわあ……これって、いろんな臓器のかけらとか混ざってんだろうなあ……。

 なんとかもがいて、川面に顔を出した。

 急いで猿の巨体から離れると、そこでやっと息を継いだ。


 ……はあ。

 ……はあ。

 ……はあ。

 ……終わった……あ……。


 水の中に尻餅をついたまま、沸き上がってきた達成感に、少しの間、身を委ねた。

 吹き渡ってきた風がひどく冷たかったけど、いまはもう寒いとは思わなかった。なんだか芯が火照っている感じだ。

 オレ、勝ったんだよな?

 オレ、サルヒコを倒したんだよな?

 ウズメさん、食われてないんだよな?


 …………。

 ……………………。


 瞬間、ぶるっと鳥肌が立った。

 間に合った、とは思う。でも相当な僅差きんさだった。

 万一の想像が頭に浮かぶ。もしかして、食べられてこそいないけど、あの細い首が折られでもしていたら、どうしよう……。


 濡れた前髪が視界を妨げているのがひどくうっとうしかった。乱暴にかき上げると、オレは、急いで周囲に目を配……。

 ……ろうと、して……。

 眼前に、ウズメさんの綺麗な顔が、いきなりどアップで迫っていたのに、飛び上がるほど驚いた。


「ぅわっ……!」

反射的に退こうとしたオレの腿の上に、ウズメさんは、オレの顔を直視したまま、乗り込んでくる。

「どっどいてください! そんなとこに座りこんだら濡れるって!」

ただでさえ透け透けの着物が、水に浸かったせいで、ますます目のやり場に困る状態になっていて……。しかもその……っ……オレの足の上にまたがっているものだから、……その……微妙な感触と体温に、どうしても全神経が集中してしまう。

 うろたえたまま、どうしようもなくなって固まっていると……。

 ウズメさんは、さらにオレに密着して、腕を背中に回した。細い指がさらさらとあちこちを撫で回る。


 そして、彼女は、例の思いつめたような表情を見せて、

「スクナは?」

と尋ねた。

「スクナ?」

また覚えのない単語を出されて、戸惑うオレ。

「スクナを持っているだろ? お前、スクナの力を使っただろ?」

矢継ぎ早にそう言われても、心当りがないんだから答えられない。

「スクナ、って何ですか……? サルヒコと関係のあるもの?」

サルヒコに執着していたウズメさんだから、こんな顔をして探す『スクナ』っていうのも、きっと同じような存在なんだろうな、と予想して、聞き返す。


 そのとき。

 オレに抱きついていた彼女の体が、ゆっくりと離れた。

 見上げると、上から覗き込む形で、貴さんがウズメさんの腕を取って、やんわりと引き剥がしているところだった。

「すみませんが、彼はこういう接触には慣れていないので、控えてもらえませんか?」

 ……口調こそ穏やかだったけど、貴さんの醸しだす空気は剣呑そのものだった……。ウズメさんに対しての嫌悪感を隠そうともしていない。

 ウズメさんは、貴さんの指示のままに、オレからすぐに遠ざかってくれた。

 助かった、という思いと、ウズメさんに対して申し訳がないという引け目が、オレを板挟みにした。貴さんの行為は嬉しいんだけど、こんなに露骨に態度に出さなくてもいいのに……。

 空気を変えて欲しくて風汰を探したら、貴さんのすぐ後ろに立っていた風汰は、オレの視線の意味を理解したんだろうに、肩をすくめただけで、まったく関知しようとしなかった。

 ……こいつ、前回も寝たふりしてたよな、たしか……。


 オレたちの体調を考えて、

「このまますぐにベースまで戻ろう」

と案内を始めた貴さんは、なぜか、ウズメさんにまで、

「二、三、聞きたいことがあるので、つきあっていただけますか?」

と動向を促した。

 わかったのかわかっていないのか、ウズメさんは曖昧にうなずいて、貴さんのあとをおとなしくついていく。

 オレは、風汰に支えられる姿勢でその後尾を追っかけた。

 ウズメさんの、ほとんど裸のように透けた後ろ姿に目を向けられなくて、うつむいたまま歩く。隣の風汰も、

「……やりにくい」

とこぼしながら、同じく視線を泳がせていた。

 …………。

 …………。

 貴さんは……なんとも思わないんだろうか。このウズメさんの姿を見て……。

 貴さんだって男なんだから、裸のひとには……なんていうか……追及が弱まるっていうか、悪感情が緩むと思うのに……。

「貴さん、よく平気だな……」

ウズメさんに聞かれないように小声でつぶやくと、

「あいつ、顔には出てないけど、かなり怒ってるんだぞ。あの女がお前にしたことに対して。さっき、あの女が現れたときなんか、パチンコの照準をサルヒコじゃなくてあっちに合わせたぐらいなんだから」

と風汰が、やっぱりひそひそと返した。

 ……よ……。

 ……よかったあ。貴さんがウズメさんを撃ったりしなくて……。

 オレは冷や汗をかきながら、貴さんが思いとどまってくれたことに感謝した。

 そりゃあ嬉しいよ。貴さんがオレのために激高してくれるのは。だけど、ウズメさんに対してそこまでやるのは勘弁してほしい。

 オレはウズメさんを……悪くは思っていない。むしろ同情しているんだから……。


 ウズメさんは、あの村で物みたいに扱われていた。

 守り本尊であったキスケの報償品として。

 おそらくは、それ以外の男の慰み物としても……。

 だから彼女は、サルヒコにしか希望を見出せなかった。食われそうになったときですらあんなに嬉しそうにしていられるほど、他の現実に嫌気が差していたんだ、きっと。


 それに……。

 ある可能性に思い当たって、オレは、また、強くウズメさんに同情した。


 ウズメさんがキスケとともに川に現れた理由……。サルヒコのそばに近寄れば匂いで見つかる危険性が高いっていうのに、それを押してまでサルヒコの出現場所に同行した理由……。

 もしキスケのほうがウズメさんを連れてきたんだとすれば、あいつは彼女が襲われてもいいと考えていたってことだ。だって、キスケはウズメの印の仕組みを知っていた。サルヒコの好物がウズメさんであることを知っていたんだ。

 どうしてそんなことをしたのかっていうのは、オレの想像でしかない。ただ、キスケなら、こう考えそうな気がする。


 サルヒコが岩の下で死んだと思われていたとき、キスケはサルヒコの周囲を探りまわっていた。まるで、自分が退治した証拠を手に入れようとするかのように。

 キスケがここに来た目的は、実際にはそれだったんだ。よそ者のオレを囮にしてサルヒコを始末すること。そして自分の威厳を村で知らしめること。

 だから、逃げ切ってしまいそうだったオレと風汰の退路を塞いだ。


 ……あ、そうか……。

 そうやって考えると、村で斧や鎌を返してもらったことにも説明がつく。

 武器になるものが手元にあれば、もしかしたら、猿と遭遇したオレたちは、死に物狂いで抵抗したかもしれない。そうなれば、わずかな可能性ながら、オレたちは自身でサルヒコに傷を負わせることができたかもしれないんだ。

 でも、サルヒコに勝つことは無理だっただろう。斧や鎌じゃあサルヒコの硬い皮膚には敵わない。致命傷を負わせることができずに、オレたちは捕獲されて、そして……。

 オレがサルヒコに食べられている間に、キスケが猿にとどめを刺すって手順だったんなら……。

 中途半端な武器の返却は、キスケの仕事を楽にするための付加要素となり得るんだ。


 ただ、この計画には、行動の読めないオレたち、という不確定さが不安となって残ったんじゃないだろうか。

 オレたちが村を出るとき、川沿いの道を案内してほしいと願ったのに、よくわからない理由で断られた。

 あれは、……本当にそういう禁忌が村にあったのかもしれないけど、他に、オレたちを水辺に近づけないって制約を含んでいたような気がする。だって、もし川で猿に遭ってしまったら、オレたちはとうぜん水の中に逃げ込む。そうしたら、ウズメさんがつけたオレの体の唾液は落ちてしまうはずだから。

 キスケが慌ててオレたちを足止めしたのは、まさにそのとおりのことが起きて、サルヒコがオレたちを見失う可能性が出てきたからだ。だからキスケは、嘘をついてまで、サルヒコからは逃げられないと脅しをかけた。オレたちの焦りと失望を誘って、サルヒコの優位になるように仕向けたんだ。


 そして、計画のすべてが狂ったときのために用意されたのが、ウズメさんだった……。


「……村に帰したくないな」

すべての理屈がつながったいま、帰しても、ウズメさんがどれだけ軽んじられるかなんて、簡単に想像がつく。オレにはそれが耐えがたかった。

 会話の不自由な彼女。そんな人がキスケのいない状態で村に戻れば、正しく事情を把握する村人はいないだろう。それどころか、守り本尊のキスケの死が、彼女のせいにされる可能性もある……。


 それぐらいなら、オレが……。


「? また何を考え込んでんだ、松田? なんか顔赤いし」

足がいつのまにか止まっていた。オレにつきあって立ち止まった風汰が、いぶかしげに覗き込む。

 オレは慌てて目を背けて、

「なんでもない!」

と大仰に手を振った。

 まさか、口になんかできるわけがない。……オレがウズメさんをもらいたい……なんて……。

 うつむいて黙り込んだオレと、次の言葉を待っている様子の風汰。

 そして、先導していた貴さんも、なんとなく物言いたげに、振り返る。


 そんな中。

 声を上げたのは、驚いたことにウズメさんだった。

「お前、私が好きか?」

と、なんの照れもなく、オレに尋ねる。


 ……顔から火が出そうだった。

「いや、そ……その……」

と言葉がしどろもどろになる。


 女の子を好きになった経験は、オレ、椿しかない。しかも、あいつのことはもう抑え込むのに慣れてしまって、好き、とか、そういう浮ついた感情とは別のものになっていた。

 ……楽しくは……うん……でも、あるんだ。椿のことを考えると……。ただ、それ以上に苦しい……。

 ウズメさんのはそういう感覚じゃ……なかった。ただひたすら、可哀想に思う。オレの目の届かないところで不幸にしたくないと、思う……。


 貴さんが、

「場を改めてもらおうか?」

とオレに聞いてきた。空気を読まないウズメさんへの批判を含んでいるような口調だった。

 オレはうなずきかけて。

 ……でも、

「あ、やっぱ……。こ、この場で返事します」

と返した。

 なんか、この空気が持続するのはよくない気がする。ウズメさんにも失礼だし、貴さんの神経もこれ以上逆なでしたくない。

 相変わらず、……無表情ってわけじゃないんだけど、感情のつかめないウズメさんの顔を見ながら、深呼吸してから、言った。

「オレ……その……。ほ、他に好きな娘いるんです。それで……ウズメさんは、その娘とはなんか違ってて……。だからウズメさんが好きなのかどうかはオレにもよく……」

誤解されないように、言わなきゃいけない言葉をたぐり寄せる。

「あ、あの。でもウズメさんをなんとも思ってないってことじゃ……ないんだ。その、……あなたは綺麗なひとだし……。誰でも好きになるような可愛いひとだと思うんで……」

 …………。

 …………伝わったかな。

 と期待したんだけど、ウズメさんは、今度は明らかに疑問符を浮かべていた。オレの話はぜんぜん理解されなかったみたいだ。

 ……これ以上、何を言えと……。

 自分の説明を思い返して、さらに、告白すべき文句を探していたら、風汰に言われた。

「お前……それって自分のことじゃなくて、一般論言っただけじゃね?」

 …………。

 ……たしかに……。


 ……オレの中にあるウズメさんへの感情を伝えるのは、難しい……。

 オレは、ウズメさんの肉体からだに興味があるとは、認めたくなかった。そういう浅い男だって、自分のことを軽蔑したくなかった。

 でも実際には……彼女の体温とか……感触とか……それらのものが頭から離れない……。

 ……彼女とのそういう行為に憧れないといえば、嘘になる……。逆に、そういう行為を彼女としてきた他のやつにやっかみさえ覚える。

 でも……。


 椿のイラストの入っているズボンのポケットに手を寄せようとして、……気づいた。

 ずっと川の中にいたから、きっと、もう紙なんか溶けちゃっている……。


 心臓が痛い。

 たかが紙切れなのに、目の前にいてくれるウズメさんより、なくした椿の存在のほうが、ずっと心に重かった。


 …………。

 ……………………。


 ……オレがウズメさんに惹かれることは、椿を忘れないまま、彼女を代用品にすることだ。

 だから、オレはウズメさんを好きになっちゃいけない。椿以外のひとに対して感じる『好き』は、ここにいない椿の空白あなを埋めるためのものにしかならないのだから。


「……オレね、どうしても一番から落とせないぐらい好きな娘、いるんです」

思いがちゃんと伝わるように、オレはもう一度、ウズメさんに語りかけた。

「だから、ウズメさんのことを好きにはなりません。あなたを二番目以降にキープするような、そんな失礼なことはできません」

わかってくれるだろうか。オレがキスケのような人間とは違うことを。理解してくれるだろうか。

「オレ、ウズメさんのこと、逆に、そういう歪んだ世界から出してやりたいと思っています。ちゃんと節操を持って、ちゃんと喋ったら、あなたはきっとすごく恵まれた人生を送れると思うんだ。これだけの美人なんだし、嫁さんになってほしいってやつも少なくないだろうし」

ああ、そうだ。そういうことなんだ。

 自分の本心が、やっと腑に落ちた。


 オレは、ウズメさんに正常になってほしいんだ。

 ウズメさんに、自分のやりたいことをやれるようになってほしいんだ。

 他人から押しつけられる人生じゃなくて、自分で選ぶ人生を勝ち取ってほしいんだ。


 ウズメさんは、瞬くこともなく、茶色の瞳をずっとオレに向けていた。

 オレの言葉を、否定するでもなく肯定するでもなく、ただ聞き入っている様子だった。


 そして……。


 ……急に視線を落とすと、

「私は、私を抱く男に好かれたいと、思っていた」

と小さな声で囁いた。

 それから、

「お前も私を抱くのだろうと思っていた。だから、心を準備していた」

と続けた。

「私はいつも心のほうが欲しかった。私には向けられないものだと思いながらも、人の慈悲が欲しかった」

そんなふうに、……たぶん一生懸命に、伝えてくる……。


 ……可哀想に……。


 うつむいて、細い両手の指を所在なさ気に何度も組み直す彼女を見ていたら、無性に抱きしめてやりたい気分になった。

 でも……もちろん、そんなことはできない。


 どうしていいかわからなくなって、助けてもらうつもりで貴さんを見たら、若干、困った表情をした貴さんは、こんな謎の言葉を放った。

「英士くんは、結果を考えてからものを喋ったほうがいいね」

「……どういうこと?」

意味を追求しようとしたら、ただ肩をすくめられた。


 またウズメさんが、下を向いたままだったけど、言った。

「私は心のる場所を見失っている。だからお前の慈悲にすがってもいいだろうか」


 こっちも難解な言い回しだったけど、なんとなく、ウズメさんが前向きになったような気がして、オレは嬉しくなった。

「ええっと……。オレでよかったらいくらでもどうぞ」

そう即答する。


 風汰が首をかしげながら、

「……言ってることはよくわかんねえけど、松田、お前、それ、引き受けたらやばくね?」

と進言してきた。

 オレも頭をひねりながら、

「なんで?」

と返す。


 ウズメさんが、静かに歩み寄って、オレの腕に身を寄せた。


 え? なんで? オレ、ウズメさんとこういう関係にならないって断言したよね?


 貴さんが苦笑しながら歩みを再開した。

 風汰が、

「馬ー鹿」

と罵りながら、先に行ってしまった。


 なに? なんで? なんでこんなことになったんだ?


 ウズメさんのボディラインから必死に意識を逸らしながら、オレは、

「ちょ、ちょっと待ってよ」

と慌てて二人を追いかけた。


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