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天外の隣国  作者: 小春日和
安定していないこと。それこそが世界がここにこうして存在するときの定まった形なのだ。
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「たーかさん」

「貴史さん」

「皇くーん」

今日も今日で放課後の教室には女子どもの甘ったるいねだり声が響く。

「ねえ……勉強教えて、たかさん?」

「貴史さんの好きな食べ物ってなあに? お弁当作ってあげたいんだけど」

「皇くんはあれだよねー。歳上なのにぜんぜんそう見えないー。気さくだしー」

その渦中で余裕しゃくしゃくの笑顔をぶちかましながら貴さんが答える。

「ごめん。僕、いまから英士えいしくんと約束があるから、もう帰らなきゃ」

 ……またオレがダシかよ。


 貴さんと同じく桂川学園高等科三年一組に在籍するオレは、成績『中の中』、スポーツ『下の上』という、とりたてて語るところもない平凡で地味な一般高校生だ。名前は松田英士っていう。

 そしてオレの一方的な押しかけ親友になりつつある皇貴史は、成績『上の上』、女子に対する対人能力はそれ以上という、一見『同性のオレらからは背中に蹴り入れてもおかしくない嫌な男』だ。

 ……なんだけど、貴さんの特殊スキルは、オレたちのそんな妬みを難なく回避している。

 やつは……いや、『先輩』は、この七月にすでに二〇歳になっているんだ。


「びっくりしたよ。とつぜん『骨肉腫を発症してるから入院しましょうね』って医者に言われたんだから」

あっけらかんと言うように、貴さんは高校二年生の終わりに骨の癌を患った。太ももの骨の下のほうに悪性細胞が見つかったんだそうだ。

 そこから二年、病床での闘病を余儀なくされた貴さんは、この春、めでたく退院して高校に復学した。

 治療のさいに大腿骨の一部を削った貴さん。そのせいで走ることがままならないとかで、体育の授業はいつも見学だった。そんな貴さんを見ちゃあ、さすがにオレたちも、

「虐めてやろうぜ」

とは思えない。

 しかも貴さんは……奥深い性格はともかく……表面的には面白いやつだったから、男どもの中にも妙に献身的に貴さんの行動をサポートするやつが現れるほどだった。

「オレ……将来介護士になって貴さんの身の回りの世話をしたいなあ」

とか。

 正直、オレは男子の一団からこんな話題が出たときにはドン引きしたが、よくよく貴さんを観察してみると、わからないでもない気がした。運動ができない貴さんは、生来の華奢で身長の低い体格も相まって、妙に頼りない印象を与える。しゃべり方はいたって穏やかだし、声も高めで落ち着いている。要するに、がちゃがちゃとしたオレたちから見れば、『病弱なお兄さん』という風情そのものなんだ。


 でもオレはそんな貴さんに対して、

「可哀想に」

と思うことはない。理由は、いま現在貴さんにやたらと絡まれて迷惑しているということの他に、貴さんの有するもう一つの特殊スキルが関係していた。それは……。

 すまし顔、さわやかな声音で語る貴さんの話題の半分以上が……。

 下ネタ。

 ……だということなんだ。


 新年度、新クラスでの最初の自己紹介から、貴さんのこのスキルは相当にやばめのレベルを維持していた。

「ええっとー……僕は皇貴史と言います。実はこの春休み中にすでに二〇歳になりました。骨肉腫のせいで二年ほど休学をしていての事情ですが、体のほうは精子の数に至るまでいたって健康体で戻ってきましたので、どうぞよろしく」

一瞬、ぽかんとして、平然としている貴さんを見上げたオレたち。そんなオレらを余裕の笑みで眺め回した貴さんは、さらに続けた。

「ああ。健康体と言っても体育の授業はフルで見学だと思います。なにせ走ると転んじゃうんで。健康なのは本物の足ではなくて三本めの足のほうです。こちらは何の問題も抱えていません」

ここで先生のジャッジが入った。

「皇、そろそろ危険球だぞ」

貴さんは、意にも介さないという様子でオレたちを眺め回してから、またにこやかに答えた。

「クラスメートのみなさんは自己責任でよけてください。僕と、少なくとも先生は、R一八の壁を楽にクリアしているので」

 自他ともに残念ながら認めざるをえない『お子様』のオレたちは、このやりとりのあとから、先生の、

「お前ら、心が穢れたくなかったら皇の話には耳をふさいどけ」

という指示に従わざるを得なかった。

 ……ちょっとだけ隙間を開けたのはみんな同じだったけど。


 初っ端からそんなキャラを見せつけた貴さんに、なぜか真っ先に懐いていったのが女子だった。

 オレらは貴さんが女子に囲まれるたびに、

「妊娠したらどーすんだ?」

とか要らん心配をしていたんだけど、あいにく……じゃない、幸い三年になって三ヶ月が経ったいまでもそういう噂は聞かない。

 だから、まあ、

「貴さんってのは口ばっかりの人なんだよな。下ネタ好きのただの奥手男」

とクラスの男子連中は思うようになった。

 そんなわけで、貴さんのこっち側の特殊スキルは特に過大評価されることもなく、一見脆弱な見た目からのみ、

「貴さんをサポートしてやりてー」

との判断がされるようになったんだ。


 ……オレ以外は。


 女子に囲まれていた教室から逃れた貴さんは、先に廊下に出て貴さんの追跡を振り切ろうとしたオレの背後に、息を切らせながら迫ってきた。

「ちょっと待ってくれよ、英士くん。僕が君と帰ろうとしたとたんに一人で教室を出るなんて意地が悪すぎると思わないかい?」

「……なんでそういう行動を取るかは考えないんですか?」

一応、嫌味を言いながらではあるが、転ぶと大事になるので、オレは止まって貴さんを待った。

 暑さのためか、最近、ふだんにも増して体力の衰えた貴さんは、教室からほんの五〇メートルばかりの距離を走っただけで、大粒の汗を噴いている。

 オレの隣に並んで不満気に見上げる表情が、オレの質問で一変して、

「さあ?」

と本気で、演技なしで、天然で、馬鹿じゃないかと思えるほど自然な疑問符を浮かべる。


 貴さんが絡み始めてから、オレには友だちがほとんどいなくなった。

 もともと新学年になってから日が浅かったってのもある。深い付き合いのできるやつがクラス内にいなかった。これは確かに認めるけれども、でも、そんな中でも、ごくふつうに、ごく一般的に、至極スムーズにクラスに溶け込んでいたと自負するオレの立場を、貴さんは強烈なカウンターを放ちながら壊していった。

 年上の性なのだろうか。貴さんには妙に勘のいいところがある。

 例えば、降水確率二〇パーセントの天気予報を用心してオレだけが傘を持って登校した日のこと。案の定、帰りには、それほど強くはないが雨に見舞われたことがあった。ぼやきながら下足室から外に出て行く同級生を、内心で(用意がなってねーな)とほくそ笑みつつ自分も靴を履き替えると、その正面に貴さんが立った。

「一緒に入れてくれるだろ?」

オレの傘を手に持って。

 他にも、教科書を忘れた日に、隣の女子に、

「見せて」

と声をかけあぐねていたら、貴さんがその女子と場所を替わってオレに密着してきたこともある。

「僕は英士くんが困っているのを見たくないからね」

親切めかして細い指で甲斐甲斐しくページをめくる貴さんの姿に、先生は呆れるし、一部の特殊女子はひそひそ話するし、男どもからは、

「きも……」

とか言われるし……。

 なぜか、そういうシチュエーションでは、非難を受けるのは貴さんじゃなくてオレのほうなんだ。

 だからオレは、距離を置きたいという姿勢を明確にするためにも、貴さんに対しては敬語を使うようにしている。なるべくよそよそしい態度を取って、貴さんに『脈なし』と思わせるために。


 ……でも、こんなこと始めてもう一ヶ月以上経つけど、貴さんが察する気配は微塵もないんだよな……。

 この人はよっぽど恵まれた育ち方をしているんだろう。自分が鬱陶しがられることがあると考えたこともないんだ、きっと。

 ある意味、ここまで図々しい貴さんにちょっと関わってみたいと思わなくもないんだけど、オレ、○モ扱いされるのだけはすごく困るんだよな。

 だって……。

 オレは貴さんに気づかれないようにそっと胸ポケットの生徒手帳を触った。


 一週間前の美術の授業でのことだった。人物画のデッサンという課題を与えられたオレたちは、モデルに抜擢された女子の楚々とした座位を描き写していた。

 みんなはおそらく彼女のことを『素材』としてしか見なかっただろう。同じクラスの椿つばきいすゞ(いすず)。ふだんは無口で笑うこともあまりないだ。男どもの中で話題になる確率も低く、たまに中身の根暗さを知らないやつから、

「あれ可愛くね?」

と一過性の興味を持たれたりする程度だった。

 でもオレは違う。

 桂川学園に入った初日に、入学式の会場ですでに目を惹いた椿。オレから見たら特別なオーラを放っているように見えた娘だった。

 残念ながら一年二年と別クラスで接点のなかった椿のことを、……自分自身どこにこんなにしつこい根性があったのかと驚くけど、オレはずっと密かに追っかけ続けた。告ろうと思ったことも何度もある。でもそのたびに怖くなって勇気を引っ込めた。

 オレ、椿に拒否られたら、学校やめるかもしれない……。そんなふうにすら思えたから。

 そして三年。最後のチャンスとばかりに同じクラスになった椿に、美術講師の岡やんがモデルになるように指名した。

 オレはこのとき心の中で小躍りしたよ。写真一枚、

「くれ」

と頼めないヘタレなオレに、椿の姿を残すすべが与えられたんだから。

 突然指名されて白い顔を真っ赤にした椿は、首をすくめて、ぎこちなく用意された椅子に座った。涙目になっているにも関わらず、責任感からかしっかりと顔をあげているのが、またツボにハマった。

 オレは夢中になってその輪郭を描き写した。一Hの硬い鉛筆の芯が何回もぽきぽきと折れるのが焦れったかった。授業の終わりに腕が痙攣しているのを感じて、(どんだけ力入ってんだ、オレ)と自嘲もした。

 結果、得られた椿のデッサンは。

 ……二点。

 しかつけられないほどお粗末なものだった。


 でも、これが、いまのところ唯一手に入れた『オレの椿』なんで、捨てるには忍びなくて、生徒手帳に挟んで持ち歩いている。


 だからオレは貴さんなんかと○モだちだと思われるのは嫌なんだよ。

 椿への感情に没頭していたオレは、自分の考えを知らずに口に出していた。

「貴さんなんか椿の一〇〇〇分の一も価値ねーし」


 足下から生ぬるい風が吹き上がってきた。いつの間にか廊下の端まで歩いて来ていたらしい。目の前には下りの階段が口を開けている。このまま階下に下りれば下足室だ。

 でもオレの足は動かなかった。早く帰って貴さんとのツーショットから逃れたいという希望とは裏腹に、階段に足をかけることができなかった。

 ……だって。

 五歩ほど先を行く貴さんが、明らかにオレの言葉を聞き咎めて、振り返ったから……。

「椿? いすゞちゃんのこと?」

光の入らない階段の途中で、顔の半分に(かげ)を貼りつかせたまま、貴さんが尋ねる。

「え、いや。校庭の椿の木のこと」

慌てて、でも完璧に取り繕って答えてみせたオレに、貴さんは、口の端を三日月状に吊り上げた。

「そっか。英士くんはいすゞちゃんが好きだったんだ」

「おいこら」

オレの平静を保った努力をまったく無視した貴さんに、思わずいつもの口調が出た。

「そんな話はしてないだろ。椿っていうのは……」

もう一度同じまやかしを繰り返そうとしたオレ。

 ところが、先んじて、自分の通学用のスポーツバッグを開けた貴さんは、

「じゃあ、これは要らない?」

と折り畳まれた一枚の画用紙を出してきた。


 ハイテンションな心臓の音と同時に、

「ばっ……!」

馬鹿、と怒鳴りかけた自分の言葉を、オレは慌てて飲み込んだ。

「そんなもん、ここで開くなよ」

必死でトーンを落として貴さんのいたずらめいた仕草に釘を刺す。


 貴さんが取り出したのは、オレと同じく、美術の時間に描いた椿のデッサンだった。

 色気のない硬い木製の椅子に、行儀よく足を揃えて座っていた椿。強張った顔が、ときどき、こらえきれないように下を向く。そのたびに岡やんから、

「ちゃんと前を向いてて」

と叱られて、困ったような表情を浮かべていた。

 そう。

 現実の椿はあくまでもふつうの高校女子であって、萌えていたのはオレの個人的な理由だったはず。オレ自身はいろいろと……それこそ服を溶かしそうなほどの熱情を注いではいたけど、他のやつらにとってはただのデッサンの素材だったはず。


 なのに、貴さんの持つ画用紙の中の椿は、開脚姿勢で椅子に縛られ、素っ裸で、悩ましげな流し目を送っていた。


 オレはあたりを見回して無人であることを確かめたあと、なぜか忍び足で貴さんの元まで階段を下った。

「ちょっと本気で言いたいことがあるんだけど」

裸婦絵を強引にひったくって貴さんに詰め寄る。貴さんは、

「悪かったよ。いすゞちゃんは可愛いから妄想喚起が激しくてね。英士くんのお気に入りとは知らなかったからさ」

と降参を示すような両手上げポーズで言い訳した。

 が。

 いまはそんなこと言っていても、貴さんの赤裸々な劣情がすぐに収まるわけがない。貴さんに対しての信頼が著しく低いオレは、謝罪だけでは飽き足らなかった。

 続けて貴さんに、

「じゃあ今後は二度と椿のこんな絵を描かないと約束してくれ。あいつが可哀想だろ」

と念を押す。

 正確に言えば、椿が可哀想というより、オレが嫌だったからだけど。汚れきった成人男に、あの椿がこんな妄想をされていたのかと思うと……。

「わかった」

あっさりと貴さんはオレの要求を受け入れた。

「僕は二度といすゞちゃんを描いたりしないよ。英士くんの手前、失礼だからね」

……若干、要らん気を回し気味に。

 ここで貴さんはオレに腕を差し出し、

「その絵もここで処分しておくよ。君の目の前で破るのなら安心だろ?」

と絵の返却を求めた。


 …………。

 ……………………。


 ちらっと、もう一度、椿のデッサンを見た。

 そうそう。あいつは細身のわりには巨乳気味なんだ。貴さんの絵は無駄によく描けている。

 恥ずかしいって意識が強いのか、あんまり女っぽい仕草とかもいまはしないんだけど、あと数年もすればリアルでこんな表情をするようになるかもしれない。

 オレの描いた椿は折れた鉛筆の芯が跳ねた痕でかなり見苦しい状態になっている。


 ……結論として。

(これ、破り捨てるの……もったいなくね?)

 ……と考えた。

 ……考えてしまった。


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