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頭ががんがんと痛んだ。
起きなきゃならないのに、手足が痺れたみたいに言うことを聞かない。
オレ……このまま殺されるのかな……。
頭上で筋肉男の長刀が振り上げられたような気が、した。
その瞬間、オレは、
「うわ!」
と叫んで上体を起こした。
そして、そのままの勢いで、背後の壁にしこたま後頭部を打って悶絶する。
……なんで屋外に壁が……?
苦痛で涙目になりながら、あたりを見回す。
すると……。
そこには、心配と呆れのないまぜになった風汰の顔が、あった。
「お前、バカだろ」
意外に元気そうなやつの第一声はそれだった。
「相手は三人。お前の相手してたのは一人。あとの二人がうしろから襲ってくるとは考えなかったの?」
わざわざ肩を落とすジェスチャーまでして落胆の意を示す風汰。
あ……ああ、そうか。そういうことか……。
眼前の筋肉男に集中していたオレは、どうやら残りの二人に不意打ちを食らってしまったらしい。
「三引く一は二ね」
としつこくミスをつつく風汰に、
「そういう卑怯な戦法は、この時代の人間は取らないと思ったんだよ!」
と怒鳴り返す。
誰のせいでそんなこと失念するほど焦ってたと思うんだよ、ったく。
風汰の胸の傷は、どういうわけだか治療がされていた。シャツを脱がされた裸の胸部には、さらしが何重にも巻かれて、どうやら血も止まったようだ。
「それ、どうしたの?」
と聞くと、
「この村でやってもらった。オレたちのこと、本気で殺す気はなかったみたいだ」
と答える。
あまりにもさっきの状況と違いすぎて、オレは戸惑うばかりだった。
問答無用で無抵抗の風汰をいきなり刺したくせに、『殺す気はなかった』?
じゃあ、あの筋肉男の行動は何だったんだ? 冗談とかで済まされるレベルじゃないぞ。
「からかっただけだって言われた」
でも風汰はそう説明した。
「見慣れないオレたちをここに連れてくるために、多少の脅しの意味もあったみたいだけど」
と続ける。
再度、怒りがふつふつとこみ上げてきた。
ふざけんなよ、あの野郎!
この場には姿のないあの連中に向かって、直に文句を言ってやろうと立ち上がりかける。
そして……気づいた。
手が自由にならない……?
風汰が、くるりと背中をオレに向けて、また呆れた。
「いまごろ気づくなよ」
風汰の手首は、太い荒縄でうしろ手に縛られていた。
オレの手首も、いまさらだけど、同じことになっているみたいだ。
ついさっき、壁で強打したときにうすうすは気づいたんだけど、オレたちがいるのはふつうの民家じゃなかった。半屋外というか……座りこんだ尻の下は、畳などではなく、土がむき出しになっている。
屋根はあった。けっこう高い、梁を露出した和風の屋根裏が頭上に広がる。
壁は、三方は囲っていたけど、おそらくこの建物の前部に当たる部分は吹きっさらしだった。横に長く、奥行きの浅い構造物。
一見、無意味に見える細い柱が、等間隔に何本も立てられていた。
そしてかすかに漂う動物臭。
「あ」
オレは建物の仕様に思い当たって、風汰に確認した。
「ここって馬小屋?」
「仕切りはとっぱらったみたいだけどな」
左右に伸びる開放的な広間を顎で指しながら、風汰は、ここにかつて四、五頭の馬が飼われていたことを教えてくれた。
川原での一幕から、船でこの村に連れて来られたオレと風汰。
移送のさいちゅう、筋肉男は、相変わらずなに考えてんのかわからない態度で、無言を通していた。けど他の二人は、意外にも親切に、風汰に状況を教えてくれたらしい。
「ここ、山賊の村なんかじゃなかったよ」
とちゅうから殴られた頭の傷が痛み出したオレは、地面に転がりながら、風汰の話を聞いていた。
「ふつうの農村だった。ちっちゃい土地だけどね。家なんか六軒ぐらいしかなくって、しかもみんな壊れそうなあばら屋だった」
風汰の話によると、この集落は、周辺の大規模な農村から戦火を逃れるために移住してきた人たちが、寄せ集まって作った村らしい。
「戦火……って……具体的にどんな戦争だって言ってた?」
オレが聞くと、風汰は困った顔で、
「いろいろ言われてわからなかった。なんか……一つの国と別の国で争ってる感じではなかったぜ。もっとカオスな雰囲気」
と答えた。
……嫌な感じだな……。もしかして戦国時代だろうか……。
貴さんからタイムスリップの可能性を聞かされたとき、オレは、最悪、この世界が、近代ではなく中世や古代であってもなんとかしてみせようと思った。習慣もしきたりもすべてが違う環境だったとしても、その日一日を生き延びていくことで、だんだんと慣れていけると楽観したんだ。
でも、人と人とが殺しあうような世界じゃあ、その道理も通じない。動物なら捕獲方法で対処できる。天災ならオレたちの知恵のほうが上を行く。だけど人間は読めない。『殺す気はなかったけど冗談で風汰を刺した』あの筋肉男の思考でさえ、オレには理解不能なんだから。
戦国時代だけは困る。そんなふうに感じていたからよけいに、風汰の情報はオレの心を暗澹とさせた。
知らずに暗い顔で考え込んでいたんだろう。
話を続けようとした様子の風汰は、いったん、
「……時代のこと、はっきりさせられなくてごめんな」
と謝ってきた。
「え? いや……」
オレは地面から頭を浮かせて、
「ぜんぜんいいよ」
と風汰の謝罪を遮った。
別に風汰が悪いわけじゃない。そもそも、はっきりと情報を掴んでいない時点で、江戸時代ならいいけど戦国なら駄目、なんて前提を作ったオレに問題があったんだし。
この村のことにしてもそうだ。山賊の住処だと騒ぎ立てて、無用な恐怖心をみんなに与えた。オレがあんなことを言わなければ、風汰はもっと堂々と筋肉男との交渉に臨めただろうし、もしかすると刺されたりもしなかったかもしれない。
「オレこそ……」
混乱させた詫びをしようと、オレのほうも口を開きかける。
と。
風汰は、溜息をつきながら、薄く自嘲を浮かべた。
「オレ……知りたかったけど、本当は知りたくなかったのかもしれない……。ここがオレたちの世界と違う世界だってこと……。猿やミニ姫を見ても、ああ、山の中だから変わった生き物がいるんだな、って、心のどっかで思ってたんだ。貴史に最初に時代が違うとか言われても、あいつの考えすぎだろうとか、ちょっとバカにしてたとこがあったんだよ……」
…………。
……風汰は……そっか……。
オレや貴さんは、けっこう柔軟な思考をしていたのかもしれない。ラジコンヘリの映像を見ただけで、この世界のことをなんとなく受け入れていたんだから。
でも風汰は、きっと、まだ元の世界との接点が残されているように感じていたんだ。
タイムスリップの決定的な証拠がなかったから……。
それなのに、ここに来て、昔の人間と会って、その幻想が崩れた……。
風汰がこの時代の戦争のことを上手く説明できなくて謝ったのは、もしかしたら、知識が追いつかなくて情けなかったってことじゃなくて、タイムスリップの確信をしたくなかった自分の気持ちに対してだったのかもしれない。
戦火の背景がオレたちの習った歴史と合致するなら、もう過去に飛んだことは否定できない。『知りたかったけど、知りたくなかった』風汰には、状況を正確に把握するのは辛かったんだろうな……。
「……大丈夫だよ」
風汰の心情を察したオレは、態度にはあまり出ていないけど、たぶん落ち込んでいるこいつを慰めようと、そう声をかけた。
「時代が変わったってさ、オレたちの協力体制があったら、なんとでもなるよ。だって、考えてもみろよな。向こうの時代にいたって、半分は死んでるみたいな生活だったじゃん。むしろこっちのほうがオレは……」
「松田って、こっちに来たこと、本気で喜んでんの!?」
いきなり風汰が激高した。
「昨日も言ってたよな! この状況が嬉しいって! オレは帰りたいよ。そりゃあ、オレはお前みたいに不自由な生活はしてなかったから、お前の気持ちなんかわからないのかもしれない。でも帰りたいと思うのがふつうだろ!? お前、強がってんのか、おかしくなっちゃったのか、どっちだよ!!」
……………………。
……………………。
……オレ、ふつうじゃ……ない……?
……オレ、おかしくなった……んだろうか……。
物心ついたときには父さんのいなかったオレの家庭は、小学校の同級生の間では異質の扱いだった。
「なんでお父さんいないの?」
「お父さん死んじゃったの?」
「お母さんと別れたの?」
「お父さんがいないから松田くんってそんなに怖くなっちゃったの?」
みんなに境遇を合わせたくて、父さんのことを、
「要らなかったからいなくなった」
と吹聴していたオレ。だって、多くの連中は、
「今日はお母さんと買い物」
「今日はお父さんとサッカー」
って選べる環境だったんだ。オレ一人だけが母さんしかいないって思うのは惨めだった。そう認めるぐらいなら、父さんの存在すらオレが選んで切り捨てたと思い込んだほうがマシだったんだ。
けど、そんなオレの子どもじみた見栄は、同級生の間でも異端に映ったようだった。
「あいつの言うことって変」
「あいつってイカれてんの?」
オレを心底理解する人間はいなくって、オレは孤独になりたくなくって、だからますます暴走した。
できないことをできると言い切り、その尻拭いを母さんにさせた。
風汰がオレのことを、
「バカの扱いは任せろ」
と言ってくれたとき、オレは、でも心のどこかで拒否していた。(オレをわかってくれるやつなんていない)と。
だから、将来、風汰に、
「やっぱり松田ってよくわかんねーや」
って言われたとしても、そんなには傷つかないんじゃないかと、思っていたんだ。
オレは……この世界に来たことを内心で喜んでいるオレは……、オレから見たらまったく異常じゃないんだ。むしろそう感じてあたりまえなんだ。
けど、やっぱり風汰にはおかしく見えるんだ、な……。
想像した以上に風汰の言葉にショックを受けたオレは、体を丸めながら、わずかに残った気力でこう反論した。
「オレが、いま、……そんなには落ち込んでなくって、……わりと平気で、……元の世界よりも居心地がいいぐらいだと思ってるのは、……本当だよ……」
風汰が視線を向けてきたのを感じる。
なんだかいたたまれなくなって、オレは風汰に背を向けた。
そして、続ける。
「だけど……じゃあ、オレ以外のやつらは……、向こうの世界の人間は、すべて、現実だけで満足してんの……? 誰一人、逃げ出したいとは思わないの……? 逃げ出せたことを喜んだりは……しないのかな……」
例えば、ある日、道路の真ん中にいきなり別空間への穴が開いたとしたら、そこに飛び込みたくなる気持ちは、あんがい、誰でも持っているものじゃないのかな……。
…………。
……………………。
けっこうな時間、風汰もオレも沈黙していた。
なに言っていいかわからなかったし、……なに言っても伝わる気がしなかったし……。
風汰が間違っているわけじゃない。だから否定はしない。
でもオレも合わせられない。オレは、正直、元の世界には戻りたくないから。
気まずい空気の中、考えすぎて疲れたオレは、つい、うとうととし始めた。
そしたらとつぜん風汰が、
「午後の三時をお知らせしまーす」
とおどけた口調で喋りかけた。
くす、っと、思わず緊張が解ける。
寝返りを打って風汰のほうに向き直ると、やつと目が合った。
「腹、減ったなあ」
大仰に溜息をつく風汰。
「朝から食ってないもんなあ」
オレも同調して泣きを入れる。
そしたらやつは、
「ごめん」
と簡潔に話を締めた。
オレはかすかにうなずいて、そして、もうこの話題は蒸し返さなかった。
せっかく風汰と歩み寄った距離を、無効にしたくなかったから。




