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「どーしてオレには懐かないんだよ、あのチビ」
不満たらたらな口調で文句を言いつつ石ころに腰かける風汰の隣で、オレは、罠からつかみ出してきたスズメの背骨を折っていた。
「最初に『お手』なんて言うからだろ」
風汰に答えながら、慣れない生き物の殺傷に脂汗を噴く。
……あっけないもんだなあ。小さな生き物の命なんて……。
昨日、貴さんが仕掛けた二種類の罠。
一つは、輪っか状にロープを括り、ある程度の体重がある動物が足を入れると締まって抜け出せない仕様になっている、足くくり罠。
本命はこっちだったんだけど、出かける前の早朝に見に行くと、それには何もかかっていなかった。
逆に、
「まあ賑やかしにね」
と貴さん自身もほとんど期待していなかった小鳥獲りの罠のほうには、三羽のスズメが、まだ生きた状態で入っていた。太くて厄介と言われた葛の蔓の表皮を剥いて作った半円形の骨組みに、余ったタオルを巻きつけた、いくら知能の低い鳥だってバレバレすぎて警戒するだろうと思われた罠に、だ。
一羽は子どもだったのでさすがに逃がしたけど、成鳥は、貴さんの、
「確保しておいて」
という非情な指示に従って、オレが絞めた。
風汰はどうしても生き物を殺すのは嫌だという。でもそのわりには、こうやってオレが処理しているのを、ずっと間近で見ていたりするんだけど。
「お前って案外そういうことためらわないな」
どういう意味で言っているのかわからないけど、風汰は、スズメの死骸をひっくり返した罠の中に放り込むオレに、そうつぶやいた。
「こんなことでヒイヒイ言ってたら、みんな餓え死しちまうだろ」
内心ではけっこう動揺していたオレは、あえて素っ気なく、それでも風汰に現物をなるべく見せないように配慮しながら、場所の移動を促した。
「テントに戻ろう。そろそろ出発しないと」
すると風汰は、なぜか自分から死骸の入った罠に手を伸ばした。
「オレもこういうことができるようにする。松田がカッコよく見えるのは、なんか悔しい」
「……まあ……がんばって……」
どう返事をしていいか迷って、オレは、適当に言葉を濁した。
チビ子。チビすけ。チビ姫。ミニ姫。
昨夜、巣箱から拾いだしたあの小人を、オレたちはけっこうな時間かまっていた。
女の子の姿をしているということもあって、貴さんが、
「裸じゃあ可哀想だよね」
と自分のTシャツの袖を切り取って、簡単な服を作り、身に着けさせた。
ミニ姫は、最初に布地を被せたときには嫌がって暴れたけど、着てしまうと案外気に入った様子で、しげしげと自分の姿を眺め回した。
彼女はどうやら喋ることはできないようだ。さかんに口を開けはするものの、そこからは呼吸の音さえ漏れてこない。声帯が機能していないというより、喋る能力がもともと体に備わっていないみたいだった。
耳は達者で、オレたちの声はちゃんと聞き分けができている。特にオレの声には敏感で、うとうとと寝かけた状態でも、周囲で彼女の正体について話しあっていたオレたちの中のオレが発言するたびに、びっくりしたような表情を浮かべて起き上がる。
だから終いには、貴さんに、
「英士くんも添い寝しちゃいなよ。姫ちゃんがいつまでも寝られないのは教育上悪そうだ」
とミニ姫と一緒に隔離されてしまった。
そんなふうだったから、必然的にミニ姫の世話をする役はオレに決められたんだけど、これはけっこう困った事態になった。
っていうのも、翌朝には完全復調したオレは、風汰とともに、草刈りや荷物持ち、午後になれば宿泊の準備もしなきゃならない活動要員だったから。巣箱に入ったミニ姫をぶら下げて歩くには、かなりの不便を強いられる。
「せめて移動時は貴史がチビを連れたら?」
風汰が貴さんにそう振ると、
「僕に懐いてくれればね」
と貴さんも引き受ける気になってくれた。
ミニ姫は案外人見知りをする。昨夜、風汰が興味本位で指を近づけてみたところ、本気で先をかじられた。
この娘は、姿は人間の女の子だけど、行動は小動物みたいな生き物だった。
だからオレは、朝、彼女が目を覚ます前にそっとテントを抜け出してきたんだ。
オレがいなくなっても、あの娘が貴さんと過ごせるように、って。
テントに戻ると、すでにブルーシートを畳んで準備をしていた貴さんが、
「お帰り。簡単だっただろ?」
とスズメの始末の成果を確認した。
「うん」
長く語りたくはなかったから、オレは、一言、そう答えた。
そして、見当たらない巣箱の所在を、こっちも確かめる。
「ミニ姫は?」
「ここだよ」
笑いながら、貴さんはTシャツについている胸ポケットを指さした。
そっと覗くと、ポケットの底の部分に足を投げ出した姿勢で、ミニ姫は、なんとなく拗ねた様子を見せている。
オレは、見つからないように、また静かにその場を離れた。
よかった。ミニ姫、貴さんに懐いたんだ。
彼女にオレの声を聞かれないように、無言で出立の支度を手伝おうとすると、
「大丈夫だよ」
と貴さんがにこやかに言った。
「ちゃんと言い聞かせたから。姿が見えなくても、英士くんは姫ちゃんのそばにいつもいるよ、ってね。あれでなかなか聞き分けがいいんだ、彼女」
そう付け加える。
オレはまたポケットを覗きこんだ。
ミニ姫は、今度は上を見上げていた。目がばっちり合う。
当たり前のように腕を伸ばすので、オレも指を差し入れた。ミニ姫の小さな掌がオレの爪を包み込む。
……赤ん坊ってこんな感じなんだろうか……。なんだか、すごく可愛いや。
頭をなでたあとで指を引き抜くと、ミニ姫は、ポケットから顔だけを出して、名残惜しそうに目を潤ませた。
藪を刈る役は、今日はオレが引き受けることにした。風汰は昨夜あんまり寝ていないだろうし、午後にはまたキャンプ設営の大仕事が待っている。交代で体力を温存しておくほうが得策だ。
鎌を振り上げて少しずつ進む背後で、貴さんが風汰に、
「姫ちゃん、預かってて」
と依頼する声が聞こえた。
「大丈夫かあ?」
ミニ姫に苦手意識を持つ風汰は、それでも恐る恐る彼女を受け取ったようだった。
「ちっちぇ! 針金みたい!」
と、おそらく掌に乗せたミニ姫の風体を大声で評している。
貴さんは貴さんで仕事に取りかかったみたいだ。ぶちんぶちんと耳障りな音が聞こえ、そのたびに風汰が、
「うっわあ、グロ……。チビには確かに見せられないわ、それ」
と騒いでいる。きっとスズメの羽をむしっているんだろう。
……生き物を自分で搾取しないと生きていけない、いまのオレら……。
……いや、違うか……。
元の世界にいたときだって、オレたちは鳥や豚や牛を食べてきたんだ。その具体的な過程を見なかっただけで。
昨日の猿……。ミニ姫を食おうとしたあいつにも、そうやってみると、ちゃんと理はある。むしろ邪魔したオレが自然界では異端なのかもしれない。
…………。
……でも……。
じゃあ……自然に任せて放っておけばよかったんだろうか……。
ミニ姫は、人間の形はしているけど、人間じゃない。いつまでも一緒にいることも、きっとできない。
いつか別れていく、オレたちとは違う存在。
その彼女を拾ってしまったことは、本当はやっちゃいけないことだったんじゃないだろうか……。
オレは鎌を振るう手を止めて、着の身着たままになっているズボンのポケットを探った。
画用紙の中の椿は、いまもずっとそこにある。
でも本物とは、いまはもう会う術がない。
もしかしたら、もう一生……。
会って、関わって、親しくなって、それから別れる。
……そんなこと考えると、心臓が痛いや……。
一時間以上は経ったと思う。
そろそろ握力が落ちてきた。薄日しか入らない林の中とはいえ、昔の植物のほうが繁殖力が高いのか、光合成の恩恵の量を無視した野太い藪が、ずっとここまで続いていた。鎌の切れ味が著しく悪い。
前方を見ると、おあつらえ向きに、根がせり上がった大木が見えた。うねった根っこが地面から何本も顔を覗かせている。あれならみんなのベンチ代わりになるだろう。
オレは後方に向かって、
「休憩しよう! いい場所見つけた!」
と怒鳴った。
そして、声が聞こえなかったのか、返事がない連中の元に戻り始めた。
草刈りをしながらだと時間がかかった行程だけど、平坦になった道を帰るのは、ほんの一〇分ほどの徒歩で済んだ。
内心、(こんなんじゃあ東照宮まで辿り着くのは何日もかかっちまうなあ)とげんなりしたが、そこは口に出さなかった。
元の場所を動かずに、すぐ脇の渓流を覗きこんでいた貴さんに、
「まだそんなに進んでないけど、いったん休憩にしよ。もう手が限界」
と話しかけ……。
……そして、そこで絶句した。
パンツ一丁になった風汰が、川の中に入って、なにやら暴れているからだ。
「……あいつ、オレたちがどういう状況にあるかってこと、わかってる?」
なんとなく楽しそうに、
「あ、逃がした!」
とか、
「やべ! ここ深い!」
とか騒いでいる風汰を、オレは白い目で見ながら、そう呆れた。
すると貴さんは苦笑しながら、
「遊んでるわけじゃないんだ」
と言い訳した。
「上流から食器が流れてきたんだよ。お椀と箸が一膳分ずつ。もしかしたら、この川を遡れば民家があるのかもしれない」
目の前の清流は、右から左、つまり、北西から南東にむかって流れている。オレたちがいま向かっている方向が上流だ。
……そこに民家? 人が住んでいる村があるのか?
オレは唐突にここに来た目的を思い出した。
廃村探し。
廃村っていうのは、オレたちの時代にはもう廃れていただけのことで、過去には人間が住んでいたってことだよな。
「武内宿禰の神社!」
興奮気味にオレがそう叫ぶと、貴さんは、……嬉しくないのかな……? 妙に深刻な顔をした。
「荒御魂、か」
意味深なつぶやきを漏らす。
「英士くんは、姫ちゃんの入っていたあの箱についてどう思う?」
風汰の狂態を見ながら川べりの石に腰かけたオレたち。そのちょっと前方の岩の上に置かれたミニ姫は、ときどき所在を確かめるようにオレと貴さんのほうを振り返りつつも、興味深げにきょろきょろと辺りを見回している。
「どうって……人の作ったもんだろ?」
そばに人間の集落がある可能性に気を取られていたオレは、巣箱は、当然、その村あたりが製造元だろうと思い込んだ。
「そうだね。自然にできたものではありえなかったね……」
貴さんが何を言いたいのかがわからず、
「箱がどうかしたの?」
と先を急かした。
すると貴さんは、ミニ姫のほうに視線をやりながら、こう答えた。
「あの箱、出入口がなかっただろ? つまり、箱を作った人間は、意図的に姫ちゃんをあの中に閉じ込めたってことじゃないか」
言われてみれば……。
ミニ姫が入っていた巣箱のような形状の木製品。
でも、ふつう、鳥が出入りする巣箱であれば、どこかに穴が開けられているはずだ。そうじゃなかったら入ることも出ることもできない。
白髪猿がこじ開けた蓋の部分に穴はなかった。そして、それ以外の側面にも隙間はいっさい空いていなかった。
「ミニ姫は人間に監禁されたってこと? しかも、箱詰めされた状態で山の中に放置されたってこと?」
オレはミニ姫に聞こえないように小声で貴さんに確認した。……聞かれたら可哀想な気がしたから。
「放置というか……実際には、いま星野くんが拾ってくれようとしているお椀や箸と同じく、川に流されたのかもしれない。それを昨日の猿が拾い上げたのかも」
貴さんは、たぶんそう間違ってはいない推理を披露した。
人間の女の子の姿をした小人のミニ姫。
確かに人間ではないけど、オレは可愛いと思う。いや。きっと誰でもそう感じるだろう。
それなのに、そんな彼女を密閉した木箱に押し込めて捨てたやつがいる……。そんなことをすればミニ姫がどうなるかは、もちろん承知の上だろう……。
しかも、その人間はすぐそばに住んでいるかもしれないんだ……。
…………。
…………でも…………。
ここでは生きることが最優先される。
猿がミニ姫を食おうとしたことだって、オレたちがスズメを殺したことだって、綺麗ごとが通用する元の世界から見れば、モラル的にアウトな出来事だ。
でもいまは必要なんだ。
せっかく見つけた他の人間の痕跡。しかも、椀と箸を使っているところから、オレたちよりは確実にこの世界に馴染んでいる人なんだろう。それも一人じゃないかもしれない。村を形成している可能性もある。
ミニ姫をここに置いていけば、オレたちは、その村に保護してもらえるかもしれないんだ……。
「貴さん……」
ミニ姫の処遇を相談しようとしたオレに、貴さんは、オレの思考を読んだように先回りした。
「姫ちゃんは、たしかにサイズ的にありえないし、見ようによっては気味の悪い存在かもね。おとぎ話の一寸法師も、僕たちは鬼退治をした英雄のように思っているけど、原作の御伽草子では厄介者扱いで家を追い出されてるし」
昔話の定番、一寸法師。
身長一寸、つまり三センチぐらいの小さな男の子が凶悪な鬼を退治する、痛快な英雄譚。
でも、貴さんの話によると、一寸法師は、その形状の不気味さから、育ての親の爺さん婆さんにまで疎まれ、仕方なく京の都に逃げ込んだんだそうだ。そこで鬼にさらわれた娘を助けて結ばれる、というのが本当のストーリーらしい。
「御伽草子が書かれたのは主に室町時代。要するに、その時代の人たちにはすでに、小人、という生き物は認識されていたんだ。それも、ちょっと癖のあるキャラクターとして」
貴さんがさらに補足するのは、一寸法師の性格は小ズルくてわがままだとされている、という点だった。
京都に行った一寸法師は、そこで、宮仕えの偉人の屋敷に住み込むことになる。ところがやつは偉人の娘に一目惚れしてしまい、娘を手に入れるために、なんと彼女を盗賊に仕立てるんだ。冤罪で屋敷を追い出された娘は、親切なふりをした法師を頼って一緒に旅をすることになる。鬼退治の下りは、その旅の途中で起こったハプニングの一幕だったんだ。
「この物語が人気を博したことからも、当時の人々が異形に対して一歩退いた視点で見ていたことがわかるだろ? 鬼を退治するほどの実力を持つ小人を、でも自分の手元には置いておきたくないという本音が見えるんだ。興味はあるけど関わりたくない。小人はそんな存在だったんじゃないかな」
…………。
……………………。
……そう結論づける貴さんの真意は、オレにはよくわかった。
こんな山の中でぎりぎりの生活をしている人たちが、もしミニ姫を見つけたとしたら、そこはまず遠ざけたくなるだろう。
むしろ、短絡的にその場で殺してしまわなかった行為は、オレには善良的にすら感じる……。
「けどね」
ますますミニ姫の扱いを迷ったオレに向かって、貴さんは、楽しそうに前方を指さした。
「どんなに偏見があったとしても、あれ見て、あの娘を閉じ込めようとなんかするかな、ふつう」
岩の上に立ち上がったミニ姫は、深みに足を取られて沈んだ風汰に、必死な顔でエールを送っていた。
そして、そのあとにすぐ浮き上がってきたやつに、満面の笑顔を浮かべて手を振った。
…………。
……………………。
ミニ姫がいたら、今後の行程に支障が出る。
自然界の淘汰の中では、厄介なもの、処理に困るものは消されて当然なんだ。
でも……。
オレは。
母さんに多大な金銭の負担を強いたオレは、あのとき、自分さえいなくなれば母さんは救われると、思った。
就職して家計を助けることにためらう自分を、この世に必要じゃないもののように、感じた。
でも、オレは淘汰されなかった。母さんの愛情が、姉貴のきつい励ましが、風汰や貴さんの優しさが、オレの生きる余地を残してくれたから。
だったら……。
「……貴さん」
再度呼びかけたオレに、今度は内容が推し量れなかったのか、貴さんは、
「うん、何?」
と素直に聞き返した。
「オレ、スズメも、それから獲れればタヌキでもウサギでもイノシシでも、食うよ」
オレの発したのが予想外の言葉だったらしく、首を傾げながらきょとんとする貴さん。だから、
「本当は生き物を殺すのは嫌なんだけどさ。でもオレたちには……オレたちが生きるためには、食料が必要だろ?」
とまくし立てるように補足した。そして。
それから。
それから、けど、こう反論を、した。
「ただし、ミニ姫をこの連鎖の中に入れる気はないから。必要があっても犠牲にする気はないから。こういうのは自然の摂理に反しているのかもしれないけど、でも、ミニ姫だけは特別だから」
支離滅裂なオレの決意を、……きっと、いつもの勘のよさで理解してくれたんだろう。
先輩は、微笑って、
「英士くんがネグレクトに走らなくてよかったよ」
と囁いた。




