第一話
「……というわけなんだが」
「へー、下着ドロか。なんてうらやま……ごほん。いや、許せねぇな」
軽くデジャヴを感じながら、俺は視線を前に向いたまま、意識だけ真横の男に向けた。
無機質な箱に、幾重もの光が重なる。数多の音が連なり、不協和音を奏でていた。
……いや、ゲーセンに来てんだけどね。
ゲーセン「船酔い」
ゲームの筐体を船に見立て、「ウチに入った奴は全員ゲーム酔いするまで帰さねぇ」という思いがこめられているらしく、ここの親父もなかなかファンキーなアフロを持つ40過ぎのオッサンだった。
そして俺の放課後はここでネトゲをするのが、日課であった。
「タツ、お前、やってねぇよな」
俺は最有力容疑者にそう問いかけた。
だってこいつ、俺よりスケベだし。ゴシップ好きだし。エロ趣味が緊縛で調教だし。
「なんで友達を疑ってんだよ、おい」
「……友達?」
「本気で疑問符浮かべんな!!」
説明が遅れたがこのスケベな丸刈り男は柳田達郎。通称タツ。ネコ目と短い金髪が特徴の奴だが、サッカー部と新聞部をかけもちしているバイタリティある男である。1つ上の美人のお姉さんを持つという殺したい男。
「冗談だよ。それより、このことで何か情報ないか?」
「んー……今俺も初めて知ったからなぁ。ありえねぇとも思ってたし」
「ありえない?」
「ああ」
ぴきゅんばきゅんぼーん! という派手な音を背景に、俺はやはり画面だけを見ながらタツに尋ねる。
「あそこ、窓は鉄格子はまってるから侵入不可能だし、鍵は特注でやすやす複製できないヤツをつけてんだと」
「……マジ?」
まさかそんなに厳重だとは。
「なんでそこまでしてんだよ? たかが更衣室に」
「さぁ? ただ俺が聞いたのは……昔下着ドロが入ったからってことだけだな」
「へー」
「詳しいことは知らんがな」
ぼーん! と敵が倒される音が一瞬して、消えた。
あ、負けちまった。ちくしょう。
「20年ぐらい前に一度、女子更衣室で男子高校生が捕まってるって話だ。警察沙汰にもなって、大事だったらしい」
「うあー………」
そりゃ大変だ。
ところで………
「なんでそんなこと知ってんだよ?」
「いや……女子更衣室って、なんかエロくないか?」
「なんかじゃなくて、まんまだな」
「いや。そう直球で言うなよ」
「むしろその言い方で遠まわしに言ってる気なお前が怖いわ」
これで潔癖男気取ってるんだから余計に始末が悪い。
その後、ゲームは閉店間際まで続いたのだった。
******
こつ、こつ、と靴がアスファルトを叩く音だけが静かにこだまする。
帰り道。深夜に近く、街頭だけが照らす静かな夜に、俺は真っ黒な空を見上げて考えた。
………どうやって、下着を盗んだんだろう?
窓からの侵入は不可。そして正面も無理。あのシンプルなコンクリートの部屋だったら、抜け穴とかも難しいだろう。
入る方法がないのなら、下着を盗むことも……いや。
待てよ?
ある考えが、俺の脳内を支配する。
必死に考えながら一人暮らしの静かなマンションの階段を上がり、自分の部屋、203号室に入る。
お茶を一杯飲み、ベッドに寝転がったその瞬間。
「はうぁっ!!」
いきなり尻から「デデデデーン!」という音がしたため、びびった。
よく見ると布団のなかに携帯電話が埋もれていた。………たまにやるよね。こういうの。
携帯を開くと、「杉山栄次郎様!」と、登録した覚えのないセンコーの名前が堂々と出ていた。
おいコラ。なんでだよ?
『言い忘れてたが、今度赤点取ったら留年決定だ。これは職員会議での決定事項である』
………………
ふ、
ふふふふふふ。
「そうか、そういうことか」
俺の中に天啓が走った。
そうだ………
「………謎はすべて解けた」
女子更衣室が鍵を使わないと入れないのなら、だったら犯人は鍵を持っている人物に相違ない。
つまり、犯人は鍵を管理している者。
水泳部顧問。
体育教師。今年45歳。既婚(一応)。趣味筋トレ。たまに生徒に自分の暑苦しい筋力を面白がって見せびらかしてくるおっさん、別名『肉山』。
本日俺の補習プリントを作ってくれやがりやがった、そして。
俺を留年という憂き目に合わせようとしている、にっくき筋肉教師。
杉山栄次郎だ!!
******
……というわけで犯人は確定したのだが、肝心の証拠がなかった。
物的証拠がなければ、犯人も「そんなものは推測にすぎない」などと言って、しらばっくれるに決まっている! 俺の好きな推理漫画ではいっつもそうだったぜ!
だからそれを探す。具体的に言えば盗まれた下着とかが出てくればGOOD!!
くっくっく。あの傲岸不遜の暴力肉教師に一泡吹かせてやり、なおかつ初めての女子高生の生○ン……いや、これ以上はよそう。
とにかく、俺にとってもまたとない機会だ。全力で探させてもらうぜ!
7月17日土曜日。
天気は憎らしいほどの快晴。アスファルトは火傷しそうなほどの熱を帯びていた。
そのうだるような暑さのなかを、すかすかのカバンを片手に学校まで歩く。
とりあえずどう動くかは、俺にとって考えるまでもなく簡単なことだった。
なぜなら、俺はあっさりその犯人と接触を図ることができたからだ。
だって………補習だからな!!
「なんでテスト前の日に補習なんぞ受けなきゃいけないんですか!?」
「それはむしろこっちのセリフだ、どうしようもないアホ生徒め」
無人の教室の、黒板のまん前。
休日にもかかわらず俺を呼び出した張本人である肉山は、教壇の前でうんざりした顔をしながら、手持ちのプリントを俺に渡した。
「井伊直人。俺の長い教師経験の中で、ここまでしなければならなかったのはお前が初めてだ」
「だからなんでなんですか!?」
「宿題は一つもやらず、小テストは0点連発、授業中は寝ている、もしくはゲーム機で遊んでいる、昨日の居残りも全然進んでなかった。さて………」
ばんっ、と手持ちの教科書を机に叩きつけた。
「いいわけは?」
「………なんで逃げなかったのかと、自分に問いかけたいです」
ていうか、下着ドロと留年の件がなかったら絶対に来なかった。
「まさか宣戦布告してくるとはな、いい度胸だ」
ドンッと机の上に肉山が今持っている教科書ぐらいの厚さのプリントの束が置かれた。
「これを終わらせるまで、ぜっっっっったいに返さんぞ!」
「HAHAHA………ハ………………これ。今日中に終えるのは不可能では………」
「大丈夫だぞ井伊。根性でやり遂げろ。俺の教師威信をかけてやり遂げさせてやる!」
「何やる気になってんすか!!」
「考えるんじゃない! 感じるんだ!!」
「ブ○ース・リー?!」
てなわけで。調査とかする暇もなく、俺の休日はつぶれようとしていた。
******
「しくしく………」
「変な擬音を発する暇があったら、さっさと解け」
「わかりません。何もかも」
「………ほんっっっっっとにダメだな、お前は」
「そんなしみじみ言わんでください」
そうやって遅々として進まないプリントと格闘していると、救いの音が響いた。
キーンコーンカーンコーン………
「いいいいやったあああああああ!!! 昼休みだ――――!!!」
そう、昼休憩のチャイムである。
………………が。
「ほれ」
「は?」
目の前に無造作に何かが置かれた。
白くて、軽くて、そしてほんのり切ない香りをかもしだしている。エターナルトライアングル。
「サンドイッチだ。おごってやるから、これ食べながら頑張れ」
「俺には昼休憩もないんスか!?」
「安心しろ。ちゃんと飲み物も買ってある」
そして120円の『わーい、お茶』が追加された。
「いらんわ!! それより休憩!! さっきから、5分たりとも取ってないんですが!?」
「井伊は休憩とってもとらんでも一緒だ。そんなことしとる暇があったら少しでも問題を解くんだ」
「やめて!! 俺のライフはとっくにゼロよ!!」
「知るか」
そうやってぎゃーぎゃー叫んでいると、1、2、3、ダー!! とどこからともなく気合の声が聞こえてきた。
「あ、俺の携帯だ」
「………また暑苦しい着信音を」
「男の音と呼んでくれ」
カバンから携帯を取り出し、短く「俺だ」と出る肉山。
「………?」
「ああ」とか「そうか」とか端的な言葉で会話しながら、肉山の表情が少しずつ曇っていく。
………何かあったのか?
「………仕方ないか」
肉山がちらっとこちらを見ながら、そうつぶやき、「わかった。あとでな」と言って電話を切った。
そして苦々しい顔でこちらを見、ぼりぼりと短い髪をかきながら言った。
「急用が入った。悪いが俺はこれから家に帰らなければならない」
「ま、まじっすか!? いいいいいいいいいいいいやっほおおおおおおおおおおおおおおうい!!!」
まさかの天からの助けだった。神は俺を見捨てていなかった!
「いいか、井伊。俺がいなくてきちんと勉強、するわけないのはわかっているが」
「HAHAHA! 少しは生徒を信用しましょうよ、センセー」
ま、絶対にやらんけどな。やっと帰れるぜいえええええ!!
………そんなときだった。
「補習中失礼します」
「あ」「あ」
空気の読めない馬鹿女が入ってきたのは!
「杉山先生。少しお聞きしたいことが……」
「おお、ちょうどいいところに来た。委員長、少し頼みがあるんだが」
「 ? なんでしょう? 先生」
「やーめーろーーーー!!」
肉山から解放された俺は、今度は橘に拘束されることになった。