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3 words.シリーズ

白百合、初恋、剃髪

作者: 采火

 半月の細い光が、御簾からこぼれ落ちる夜。一人の男が御簾越しに、一人の女に恋をしていた。

「真砂[まさご]……、どうしてそんなに私の求婚を拒むのだ? 私は君の家より位も高く、申し分ないだろうに」

 真砂と呼ばれた女はそっと頭を振りながら、細い声で「申し訳ありません」と囁いた。

 男はそっとため息をつく。

「私は初恋なのだ。どうか、私の恋を叶えてはくれないか」

「小さい頃の約束が御座いますのです……。その約束を果たすまでは、どの殿方とも恋に溺れず、結婚もいたさない所存であります」

 御簾の向こうから、男性へ一枚の和紙が差し出される。それは歌だった。

「〖桜が一度咲くのは既に決まっておるように、私の一番も決まっております。普通はあり得ない二度咲きの桜のようにあせた色で良いならば、咲き誇った後にもう一度咲きしましょう〗か……。妬いてしまうな。君がここまで言う程、愛している人は一体誰なんだい?」

 男は欄干に背を預け、歌を眺めつつ聞いてみた。

 真砂の唐衣の衣擦れの音が僅かに聞こえてきた。

「そうですね……。流石に理由もなくつれない態度を取るのもはばかれますわ。───あれは私が子供の頃の事でございます。私付きの女童がおりました」

 真砂は手に持つ扇を閉じたり開いたりと弄ぶ。まるで、私とこの殿方のようだわ、と自嘲の笑みがこぼれた。


 ▶◦◀


「姫様ー! 遊びましょうぞ!」

「こら、桂木[かつらぎ]。そんな大声をだすなんて、はしたない」

「仕方ないわ。桂木だもの」

 桂木という女童を叱りつける自分の乳母に対し、真砂はまあまあと取りなした。

 まだ九歳の真砂は、お琴などの習い事の合間などにやってくる桂木と遊ぶのが唯一の楽しみであった。

 沓を用意させて、桂木のいる庭へと降りる。まだ春がやってきたばかりだというのに、パタパタと薄い衣をはためかせて桂木がかけてきた。

「いつも思うのだけれど、寒そうな割に桂木の衣は動きやすそうね。羨ましいわ。私も桂木のような衣を着れば、貴女よりも早く走れるかしら?」

 桂木はにやにやと笑う。はしたいと乳母はぶつぶつ言ってるが気にしない。

「姫様には無理ですよー。だって私の方が二つ年上なのですから。衣だけでは私より早く走れませんよ」

「そんなことを言うなんてひどいわ」

 真砂が頬を膨らませれば、桂木が声を上げて笑う。

 真砂は表情がころころと変わる桂木が気に入っていた。快活で、大らかな心の持ち主で、自分とは全く対照的な存在で尊敬もしていた。

 そして逆に、桂木も真砂のことを気に入っていた。自分とは違って良家の姫である彼女は、そのことを鼻にかけず自分と向き合ってくれたし、その儚さが彼女の憧れだった。

 狭い世界しか知らない二人が、お互いがお互いを求めるのにはあまり時間がかからなかった。


 ▶◦◀


 月日はあっという間に流れ三年後。真砂が成人の儀を行った翌月に、桂木が田舎の大臣の元へ嫁ぐことになった。何でも都に来た際に、その大臣が桂木に一目惚れをしたそうだ。位としては田舎の割にそこそこよく、女房として真砂の側に上がっていた桂木にはもったいない話であった。

 しかし。

「嫌で御座います……! この桂木、姫様のお側を離れるくらいなら剃髪して、世捨て人になる方がましというもの……!」

 目の前で訴えてくる桂木に、真砂は寂しそうな顔をする。

「まあ、桂木。そんな悲しいことを言わないで。貴女にとってこれは良い話なのよ。相手の方も若く一途な方のようにお見受けできるし……」

「姫様は私がいなくなってもよろしいとおっしゃるのですか……!」

 今にも泣きそうな表情で訴えてくる桂木に、真砂は胸を痛めた。膝でもそもそと歩いて、桂木の目の前で座り直す。

「私は恋人のような気持ちで桂木を愛してるわ。幼い頃から一緒だもの。家族のような血の繋がりを持っていなかいから、いつでも貴女は私の元を離れられる事が不安だったのを今でも覚えてる」

「私もで御座います……!」

「それゆえ、男女のような深い仲にはなることができないのが口惜しいの。でも、これは私の気持ちであるから押しつけることはできないわ。貴女には幸せになって欲しい。今はそんな気持ちで一杯よ」

 真砂は桂木の手を握ってやる。自分より日焼けしている彼女の指はとても温かかった。

「あぁ、私も口惜しゅうございます……! 私が男で御座いましたら、姫様をさらえましたのに……」

「あら、嬉しいわ。そうであったらどんなに良いことか」

 真砂は自分の冷えている指を桂木の指に絡めた。そして、額を桂木の額にあてた。吐息が近く感じられる。

 桂木が息を吸った。

「姫様」

「なあに?」

「約束して欲しいことが御座います」

「何を?」

「姫様に求婚してくる方がおりましたら、私に必ず便りを出して下さいませ。私が姫様に相応しい殿方か判断いたします」

「あら。桂木が判断するなら殿方にとって、父より厳しい壁になりそうだわ」

 真砂はくすくすと笑った。そしてそのまま桂木にもたれかかる。

 ずっとこうしていれたなら良いのに。

 そう思っても口にしてしまったら、桂木に未練を残していけと言っているようで言えない。

 ままならない世の中を初めて憎んだ日であった。


 ▶◦◀


 すっかり話し終わった頃には夜が更けていた。月がもう真上に差し掛かりそうだ。

「そう言うわけで、桂木の判断を待っていますの」

「はっはっはっ。確かに君の父上よりも厳しそうな壁があるね」

 男は明朗に笑った。

「そんなに声を出されては家の者に気づかれますよ」

「なあに、その家の者が手引きしてくれるからこうして君に会えるのだ」

 男は欄干から背を離して、御簾を持ち上げた。真砂は慌てて手の扇で顔を隠す。

「な、何を……」

「何、筆を借りるだけだよ」

「おっしゃって下されば渡して差し上げましたのに」

「君の顔を拝見できるかもと期待しているの気持ちを、私は隠さないよ」

「正直ですこと」

 真砂はあきれて言った。男はそのまま、流麗な筆跡で和紙に何事かを綴る。真砂はそれをそっと覗いた。

「まあ、お歌? 私に?」

「いや、違う。桂木にだ」

「想い人の目の前でよくもまあ、書けますこと」

「恋文ではなく挑戦状のようなものだからね」

「洒落たことをいたしますのね」

 君と早く恋に溺れたいからさ。

 男はそう言いたいのをぐっとこらえ、笑うだけに留めて筆を置いた。

「これを桂木に渡しておいてくれ。君が桂木に手紙を渡すときのついででいいよ」

「見てもよろしくて?」

「まあ、いいよ」

 男からの了承を得たので、真砂は男に背を向けてから扇を床に置いて手紙を広げた。

〖白百合の葉の中に隠れる貴女は、一体どうして毒を持っているのでしょう。美しい花へと寄ってくる蝶のような私にはなんの罪も無いというのに、どうして試されるのか〗

 真砂は目を通すと、苦笑した。女同士の愛を一本の百合に見立て、桂木を男にとっての敵とみなしたような歌。その中で、花と例えられた真砂は白百合の花言葉にかけて“純潔”であると、男は自分たちの関係が清廉潔白な状態であるのを主張させている。

 以前に送った桂木への便りの返事が近いうちに戻ってくるはずだ。その返事と共にこの歌を送ったら、彼女は一体どんな顔をするのだろうか。

 自分が愛した大切な人。あの人はどんな表情でこの殿方の歌を眺めるのだろうか。

 私こそが真砂を愛しているのだと憤るのか、それとも良い殿方と巡り会えたと祝福してくれるのだろうか。

 真砂はくすりと笑った。

 真砂がそれを知るのは、まだ先のお話である。

お題:白百合、初恋、剃髪

お題提供者:濡れ丸 様

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