第14話
「まずは精神を鍛えるべきだ」
と、万年不機嫌男こと、ジュトール=フェイ宰相閣下は仰いました。
「魔力というものは、暴れ馬だと思え。それを御する手綱が精神力だ。いかなる時も冷静でなくては手綱は緩み、力が暴走してしまう。いいか、一番大事なのは平常心だ。平常心を養え」
はい、それは分かりますよ? 理屈はね。
でもさ! その修行で頭の上に腐った卵を置くってどうよ! あり得ないでしょ!
だって腐った卵だよ!? いくら小さなクッションを置いたって、卵なんだよ!
しかも腐った!
「あのっ! 宰相閣下!」
「何だ?」
ジュトーの兄さんが『無駄口叩いてる余裕があんのかよ、アーン?』って声で聞き返してきた。
もっと愛想よくすればいいのにねぇ。折角、顔と声はいいんだからさ。
まぁ、兄さんにしたら余計なお世話だろうけど。
あたしは正面を向いたまま、背筋をピンッと伸ばして、頭上の卵を落とさないように気をつけながら尋ねた。
「何で腐った卵なんですか! この間まで普通のボールでしたよね!」
あのっ、ホントに恐ろしいんですけど!
ただの卵だって十分怖いのに、その頭に「腐った」ってついちゃうんだよ!?
まだ外側は平気だけどさ、割ったら確実に腐臭が広がるって!
槍でもビームサーベルでもどんと来いって言いましたけど、腐った卵はマジで勘弁してください!
あたしは必死でそんなことを訴えたのに、兄さんはワザとらしく「はぁ」とため息をついた。
「あなたは一月も同じ修行をしていて、何故進歩がないのかを考えないのか。それはあなたに緊張感が欠落しているからだ。適度な緊張感は神経を敏感にする。よって割れやすいものを選んだ」
「でも腐ってる必要ってないですよね……」
「それは要らぬものを有効活用しているからだ。この間グレンフィビスが大量に卵を生んだといって、城に献上されたは良いが、陛下から一兵卒に至るまで、三食卵料理を四日続けたが、結局余ってしまった。ただ捨てるだけではもったいないからな」
そんなことまで気にするんですか、宰相って……。
意外とみみっちい?
「グラルフェ……何とかって何ですか?」
「グレンフィビスだ。まったく“グ”と“フ”しか合っていないだろうが」
ジュトーの兄さんが大げさにため息をつく。
どうもすみませんね! あたし、カタカナは苦手なんですよ!
でも兄さんのいいトコは、呆れながらもちゃんと説明してくれるトコだ。
こういう基礎知識的なことや、魔力関連のことはきちんと教えてくれるんだよね。
「グレンフィビスというのは、鳥の一種だ。飛べないが好戦的で、極彩色の羽を持つ。主に卵と肉を食用にするな。羽も飾りなどに使われることもある」
「鳴き声はコケコッコーとか、クックドゥドゥルドゥーとかだったりします?」
あたしは極彩色の鶏を想像した。
美味いのかなぁ。
あ〜、焼き鳥食いてぇ。ねぎま〜、つくね〜、皮〜、手羽先〜、ねぎま〜。
あたしは塩よりタレ派です。炭火焼きなら、なお良し。
「コケ? グレンフィビスの鳴き声は『そそんそぉぎゃお〜す!』だ」
「……ぷっ」
うわぁ、何か微妙な泣き声だな、オイ。むしろ吠え声?
怪獣じゃあるまいし。
しかも宰相閣下のモノマネ付きだしさ。
多分、本物のグラ……何とかの鳴き声を再現してくれたんだろうけど、はっきり言って笑える。
だってあのジュトーの兄さんが、『そそんそぉぎゃお〜す!』って吠えるんだよ?
一瞬、頭の上の腐った卵が傾いだ。
ヤバッ、動いちゃダメだ!
笑うな、あたし! 笑ったら異臭騒ぎだ!
ピクピク動く腹筋と頬に力を入れて、必死に堪える。
心頭滅却すれば火もまた涼し!
心を穏やかにすれば、どんなに面白い笑えることだって耐えられるはずだ!
吸って〜、吐いて〜、吸って〜、吐いて〜、吐いて〜、吐いて〜、吸って〜。
「ふぅ」
何とか堪えられた。
何だ、あたしだってやれば出来るじゃ〜ん。うんうん。
あ〜、良かったぁ。臭いのはヤダもんね。
そう、その油断が命取りだった。
あたしはその瞬間、ヤツのことを失念してたんだ。いつも唐突にやってくるヤツの存在を。
「姉上〜!」
ぐはっ!
いつものごとく気配を感じさせず、すっかり油断していたあたしの腰に、タックルかましやがった魔王陛下。
バランスを崩すあたし。
あたしの頭から滑り落ちる腐った卵。
ちゃっかり自分の周りだけ結界を張る宰相閣下。
あたしの頭から滑り落ちた腐った卵は、万有引力により、床へ向かって落ちていく。
そして次の瞬間。
「うわっ! マジでくっせぇ!」
マジでヤバイよ! 目にしみる! 息できないし! っていうか、したくない!
恐るべし、グピ……なんとか! たった一つで生物兵器並みの破壊力だ!
鼻がひん曲がるような臭さとは、まさにこのことだって!
「臭いよぅ、姉上」
「テメェの所為だろうが! ボケ!」
どさくさに紛れてしがみついてくる陛下をはったおしながら、罵倒する。
敬語とか嫌味とか嫌がらせとかも全部吹っ飛んだよ! もう嫌だ! こんな生活!
絶対帰ってやる!
グ……何とかの腐臭が蔓延する室内で、あたしは決意を新たにしたのでした。