第22章 忍び寄る因果
しばらくして、給仕がユダの注文した料理を運んできた。湯気と共に立ち上る香ばしい匂いが、瞬く間にテーブルの周りを満たしていく。
それと同時に、席を外していたミラとセラが戻ってきた。二人は椅子に座ることなく、テーブルに置いていた自分のバッグを手に取る。その顔には、何やら勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
「ユダ、私たちは一足先にオフィスに戻るわね」
セラが、今にも吹き出しそうな笑いを必死に堪えながら言った。
ユダは顔を上げ、薄く微笑んで小さく頷く。
「ああ、わかった。道中、気をつけて」
その声は、相変わらず丁寧で落ち着き払っていた。
友人たちが去ろうとするのを見て、トリアは反射的に椅子から立ち上がった。ユダと二人きり、この気まずい状況にこれ以上留まるわけにはいかない。
「今日の君たちの昼食代は、僕が払っておくよ。そのまま戻っていい」
ユダの言葉に、トリアは思わず絶句した。
「えっ、いいわよ、ユダ。自分たちで払えるし、それに……」
トリアが言い終える前に、ミラの歓喜の叫びがそれを遮った。
「わあ! ユダさん、ありがとうございます! 日頃の行いがいいと、こういう幸運に恵まれるものですね!」
ミラは恥じらう様子もなく声を弾ませる。
トリアがミラの態度に抗議しようと口を開きかけたが、ミラとセラは素早い動きでトリアの両腕を左右から掴んだ。
二人は、トリアに昼食代のことでユダと議論する隙を一切与えないつもりらしい。
結局、トリアは新しくできた友人二人に引きずられるようにして、その場を後にするしかなかった。ミラの強い力に引かれ、よろめきながら出口へと向かう。
遠ざかりながら、トリアは一度だけテーブルの方を振り返った。そこには、穏やかで誠実な微笑みを浮かべ、こちらに手を振るユダの姿があった。
店を出ると、サヌールの温かな海風が頬を撫でた。トリアはすぐにミラとセラの拘束から腕を振りほどく。
トリアは二人を鋭い目つきで睨みつけた。心の中では、彼女たちのあまりに息の合った連携に吹き出しそうになっていたが、あえて厳しい表情を作る。
「二人とも、本当に悪ふざけが過ぎるわ! わざわざこんな遠い店に誘ったのは、こういうことだったのね」
トリアが腰に手を当てて詰め寄ると、ミラとセラは満足げに声を上げて笑った。トリアをあの心臓に悪い状況に追い込んだことに、微塵の罪悪感も抱いていないようだ。
「ユダは毎日ここで昼食を食べているのね!」
トリアが探るような口調で付け加えると、二人はさらに笑い転げた。ミラが親しげにトリアの肩を抱く。
「トリア、よく考えてみて。空港で偶然会い、同じ飛行機に乗り合わせ、同じオフィスで働くことになり、そして今……」
ミラが言葉を濁すと、反対側にいたセラが、悪戯っぽく目を輝かせて後を継いだ。
「昼食の時間に、同じ場所で鉢合わせるなんて」
ドラマのナレーターのような大げさな口調に、トリアは小さく溜息をついた。何度も繰り返される「偶然」という言葉に、首を横に振る。
「偶然なわけないでしょう! これは完全に、あなたたち二人が綿密に練り上げた計画だわ!」
トリアの抗議は、再びミラとセラの快活な笑い声にかき消されていった。
サヌールの澄み渡る空の下でトリアが安らぎを見出し始めていた頃、そこから数千キロ離れた場所では、全く対照的な空気が流れていた。その日のジャカルタは、汚染された空気と肌を刺すような強烈な日差しに包まれ、まるで街全体が燃え盛っているかのようだった。
ハルランは、クラリッサのオフィスビルから数十メートル離れた路肩に車を止め、運転席に深く沈み込んでいた。額からは冷や汗が流れ落ちる。それは暑さのせいだけではなく、胸を締め付けるような猜疑心のせいでもあった。
彼の視線は、愛する女が現れるのを待って、目の前の高層ビルのロビー入り口に釘付けになっていた。
一台の黒塗りの高級セダンが速度を落とし、メインロビーの正面に停車した。ハルランは即座に背筋を伸ばし、車のスモークガラスの向こう側を透かし見ようと目を細める。
助手席のドアが開き、クラリッサが降りてくるのが見えた瞬間、彼の心臓は激しく脈打った。彼女はすぐにビルの中へは入らず、ドアの傍らに立ったまま、屈託のない様子で声を上げて笑っている。
ハルランは、指の関節が白くなり、手が震えるほどの力でハンドルを握りしめた。運転席に座る男のシルエットが見える。仕立ての良いスーツを纏い、髪を整えた、いかにも育ちの良さそうな男だ。
「……だから、俺とのランチを断ったのか。他の男と楽しそうに過ごしていたとはな」
ハルランの口から、憎悪に満ちた低い唸り声が漏れた。
クラリッサが甘えるような仕草で可愛らしく手を振り、黒いセダンがロビーを去っていく。その光景を目にしたハルランの怒りは、一気に沸点に達した。
迷うことなくアクセルを踏み込み、エンジン音を轟かせて車を急発進させる。彼はクラリッサのすぐ横で、タイヤを鳴らしながら急ブレーキをかけた。
クラリッサは激しく動揺し、一歩後ずさった。先ほどまでの明るい笑顔は消え失せ、顔面は蒼白になっている。開いたドアの向こうから、肩で息をし、怒りに震えるハルランが姿を現すと、彼女は開いた車のドアを絶望的な眼差しで見つめた。
「ハルラン? あなた……どうしてここに?」
震える声でクラリッサが尋ねる。
ハルランは一言も答えなかった。大股で彼女に歩み寄り、抑えきれない怒りを込めた視線で彼女を射抜く。
彼は乱暴な動きでクラリッサの手首を掴み、力任せに締め上げた。彼女が痛みを感じていることなど、今の彼にはどうでもよかった。
「来い!」
地鳴りのような怒声が響く。
クラリッサは苦痛に顔を歪め、手を振りほどこうとしたが、ハルランの力は圧倒的だった。
「ハルラン、離して! 痛いわ! 一体どこへ行くつもり? 仕事に戻らなきゃいけないの、休憩時間はもう終わりなのよ!」
周囲の視線など、ハルランの耳には入らない。彼は不規則な位置に止めたままの車へと、クラリッサを引きずっていった。
助手席のドアを荒々しく開けると、彼女の体を車内へと突き飛ばす。
バタン、と駐車場に重い衝撃音が響き渡るほど、彼は乱暴にドアを閉めた。すぐさま運転席に回り込み、内側から全てのドアをロックする。
車を急発進させ、その場を離れる。車内には重苦しい沈黙が流れ、聞こえるのはエンジンの唸りと、ハルランの荒い呼吸音だけだった。
クラリッサは体を斜めにし、ハルランに掴まれて赤くなった手首をさすっていた。
「ハルラン、止めて! 止めてって言ってるでしょう! 休憩は終わったの、こんなことして上司に見つかったら大変なんだから!」
ハルランはその叫びを無視し、さらに速度を上げた。そしてようやく、人通りの少ない路肩で急ブレーキを踏んだ。
二人の体はシートベルトに拘束されながら、激しく前方へ投げ出された。ハルランはすぐにクラリッサの方を向き、怒りで充血した目で彼女を睨みつける。
「あの黒い車の男は誰だ? 答えろ、クラリッサ! あいつは誰なんだ!」
クラリッサは一瞬沈黙し、乱れた呼吸を整えようとした。彼女の頭は高速で回転し、ハルランの追及から逃れるための、最もらしい言い訳を探り当てる。
「あれは……私の会社と提携している取引先の人よ、ハルラン。ただの仕事上の付き合い、それ以上の何物でもないわ」
彼女は努めて冷静な声を装って答えた。
ハルランは冷笑を漏らした。その笑いは、凍りつくほど冷ややかだった。彼はゆっくりと首を振り、蔑むような視線をクラリッサに向ける。
「嘘をつくな! 俺はそんな子供騙しの言い訳に騙されるほど馬鹿じゃない。あいつにどんな風に手を振っていたか、この目で見たんだ!」
彼は身を乗り出し、クラリッサの顔に自分の顔を近づけた。彼女はハルランの熱い吐息を肌に感じる。
「俺は嘘をつかれるのが一番嫌いだと知っているだろう? 俺はお前に全てを捧げてきた。それがこれか?」
ハルランの声は、感情を押し殺そうとして震えていた。
しかし、クラリッサは怯まなかった。それどころか、真っ直ぐにハルランの目を見つめ返す。
「嘘なんてついていないわ。事実なんだから。彼は重要なクライアントなの、愛想良くするのは当然でしょう。信じられないなら、勝手にすればいいわ」
彼女は突き放すように言い放った。
クラリッサの頑なな態度を前に、ハルランは深く長い溜息をついた。爆発しそうだった怒りを抑え込むように、運転席の背もたれに体を預ける。
「……なら、どうしてランチの約束があると言わなかった? さっきはオフィスで一人で休むと言っていたじゃないか」
ハルランの声には、先ほどまでの威圧感はなく、どこか脆さが混じっていた。彼は虚空をぼんやりと見つめた。
彼の声の変化を敏感に察知したクラリッサは、即座に戦術を切り替えた。彼女は座席を滑らせ、ハルランの方へ近づいた。しなやかな指先が、彼の顎のラインを優しく、なだめるように撫でた。
「忘れていたのよ、あなた……本当に。急に決まった予定だったから。書類の準備で忙しくて、連絡する暇もなかったの」
クラリッサは、これ以上ないほど甘い声で囁いた。
彼女はハルランの瞳をじっと見つめ、まるで自分が彼の過剰な疑いの被害者であるかのような、悲しげな表情を作ってみせる。
「あなたの背後で隠し事なんてしないわ。信じてくれるでしょう? 私がジャカルタに戻ってきたのは、あなたのためなのよ、ハルラン。あなただけのために」
確信に満ちた口調で、彼女は言葉を重ねる。
ハルランは黙り込み、純粋そうに見えるクラリッサの顔を見つめた。心を焼いていた嫉妬の炎は次第に鎮まり、代わりに別の、より切実な衝動が突き上げてくる。
頬に触れる彼女の手の感触が、二人の衝突のたびに逃げ場となってきた情欲に火をつけた。クラリッサが自分に甘える姿を見て、ハルランの歪んだ自尊心は再び満たされていく。
前触れもなく、ハルランは片手でクラリッサのうなじを掴み、二人の間に隙間がなくなるまで彼女を引き寄せた。
彼は飢えた獣のように、彼女の唇を奪った。それは独占欲を誇示するかのような、激しく、一方的な口づけだった。
クラリッサは突然の激しい接触に一瞬驚いたものの、次の瞬間には目を閉じ、ハルランの接吻に同じような激しさで応え始めた。
路肩に止められた車の中で、二人は毒を孕んだ親密さの中に沈んでいった。先ほどの激しい口論も猜疑心も、一時の情欲に塗りつぶされ、霧散していく。それは、彼らが真の問題から目を逸らすための、いつもの逃避行だった。
お読みいただき、ありがとうございました。
ユダの優しさと、ハルランの歪んだ愛の対比が際立つ章でしたね。
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