第20章 アルカディア・プライムの王子様
サヌールの陽光が高く昇り始め、配車アプリで呼んだタクシーのボンネットに鋭く反射している。車は、バリ特有の繊細な彫刻が施された壮麗な木門の前で、静かに停車した。
トリアはためらいがちな動作で車を降りると、自然石の壁とエレガントなモダン建築が融合した建物の外観を、そっと見上げた。不安を紛らわせるように、バッグのストラップをぎゅっと握りしめる。
隣でリラックスした様子のミラとセラを振り返り、彼女はわずかに眉を寄せた。
「ミラさん、場所を間違えていませんか? ここ、いつものランチのお店じゃないですよね」
トリアは周囲に聞こえないよう、囁くような声で尋ねた。
「たまには気分転換が必要よ、トリア。毎日オフィスの近くばかりじゃ、景色に飽きて脳がなまっちゃうわ」
ミラが明るいトーンで答える。
反対側に立っていたセラは、トリアの戸惑う様子を見て小さく微笑んだ。彼女はトリアの腕を優しく取り、木門の先へと促すように引いた。
「いいから、難しく考えないの。この一週間、正式に私たちのチームの一員として頑張ったお祝いだと思って」
セラが言葉を添える。
一歩足を踏み入れると、食欲をそそる香ばしいスパイスの香りが鼻腔をくすぐった。店内の活気ある雰囲気が肌に伝わってくる。
磁器の皿とスプーンが触れ合う軽やかな音に、休憩時間を楽しむ会社員たちの低い話し声が重なっていた。
清潔なバティックの制服に身を包んだ店員が、丁寧な会釈で彼女たちを迎える。案内されたのは、大きなガラス窓のすぐ隣にある空席だった。
三人が席に着くと、店員はメニューを手渡し、静かに注文を待った。ミラとセラは、この店の看板メニューを熟知しているかのように、迷うことなく手際よく注文を済ませる。
店員が注文を書き留めて一礼し、去っていく。その背中を見送るやいなや、ミラは中断していた話題を再開させる合図を送った。
穏やかだったテーブルの空気が、一瞬にして緊張を帯びる。ミラは身を乗り出し、目を輝かせながらトリアを見つめた。
「さて、尋問セッションの続きよ。正直に答えて。ユダさんとは、本当はいつからの知り合いなの?」
ミラが単刀直入に切り込んだ。
バッグを整えていたトリアの手が、ぴたりと止まる。顔を上げると、二組の瞳が逃げ場を塞ぐように、真実を求めて彼女を射抜いていた。
トリアは深く息を吐いた。これ以上、事実を隠し通すのは無意味だと悟ったのだ。彼女は微かな笑みを浮かべ、落ち着いた声で口を開いた。
「実は……ユダさんと知り合ってから、まだ二週間も経っていないんです」
その言葉を聞いた瞬間、水を飲んでいたセラが激しくむせた。彼女は小さく咳き込みながら、慌てて手元のティッシュで唇を拭う。
「二週間? 本気で言ってるの、トリア?」
セラが驚きのあまり、少しかすれた声で聞き返した。
そのドラマチックな反応に、トリアは思わず小さく笑ってしまった。そして、確信を込めて頷く。
「はい、本当に二週間です。初めて会った日から数えたら、もっと短いかもしれません」
ミラはテーブルを軽く叩いた。彼女の好奇心は、今や最高潮に達している。オフィスで見せたあの親密さが、これほど短い期間で築かれたものだとは想像もしていなかったのだ。
「じゃあ、どうやって出会ったの? まさかマッチングアプリなんて言わないわよね?」
ミラが目を細めて茶化す。
トリアは慌てて首を振った。ミラの突飛な推測に、またクスクスと笑いが漏れる。
「違いますよ、ミラさん。初めて会ったのはジャカルタです。バリへ出発するために空港にいた時でした」
トリアは説明を始めた。空港での出会いを語る彼女の言葉から、ハルランとの間に起きた泥沼のドラマは注意深く除かれていた。
ミラとセラは、一言も挟まずにその話に聞き入った。二人は顔を見合わせ、その表情にはさらに深い笑みが広がっていく。
「ジャカルタからの同じ飛行機で、バリの同じオフィスで再会したっていうの?」
セラが、起きた出来事の連鎖を確認するように尋ねた。
トリアはただ、静かに頷いた。自分の語った単純な物語が、熱狂する二人の目には全く別の意味を持って映っていることに、彼女はまだ気づいていなかった。
「トリア、いい? この世に偶然なんて存在しないのよ」
ミラが断言した。
彼女は椅子の背もたれに体を預け、胸の前で腕を組む。まるでトリアの人生の結末をすべて見通しているかのような眼差しだ。
「同じ飛行機、同じ目的地、そして今は同じ職場。それを『運命』って呼ぶのよ、トリア。宇宙があなたたちを一緒にさせたがっているに違いないわ」
セラがいたずらっぽくウィンクをしながら言葉を継いだ。
トリアは何度も首を振りながら、声を立てて笑った。彼女はテーブルの上に両手を置き、同僚たちの暴走し始めた想像力をなだめようとする。
「二人とも、ドラマの脚本家になれる才能がありますね」
笑いすぎて少し潤んだ目元を拭いながら、彼女は言った。
「もう一度言いますけど、ユダさんとの関係は純粋な友人としてのものです。皆さんが想像しているような運命のスパイスなんて、どこにもありませんから」
トリアは少し身を乗り出し、不思議そうにミラとセラを交互に見つめた。
「でも、正直驚いています。どうして二人はそんなにユダさんに執着するんですか? このオフィスには他にも男性スタッフはたくさんいるのに」
ミラとセラは数秒間、意味深な視線を交わし合った。セラが姿勢を正し、突然真剣な表情になってトリアを見つめる。
「あのね、トリア。ここに来て一週間のあなたはまだ気づいていないかもしれないけど。アルカディア・プライムにおいて、ユダさんは全女性の憧れの的……いわば『理想の王子様』なのよ」
セラが感嘆を込めた声で説明する。
「彼はすごくガードが固くて、仕事以外で気さくに話すことなんて滅多にないの。だからこそ、彼があなたにあんなに甲斐甲斐しく接しているのを見て、私たちはみんな腰を抜かすほど驚いたのよ」
トリアはセラの長い説明を聞きながら、ただ小さく頷くことしかできなかった。彼女は木製の椅子の背もたれに身を預け、新しく得た情報を頭の中で整理しようとする。
心のどこかで、トリアはセラの言葉が真実であることを否定できなかった。ユダには、人を惹きつけてやまない大人の余裕と、静かなカリスマ性があることを認めていた。
しかし、穏やかに頷く表面とは裏腹に、トリアの心の内では制御不能な感情の波が渦巻いていた。
ユダに対して何の感情も抱いていないという先ほどの答えは、自分を守るために無意識についた小さな嘘だった。
実際、ユダという魅力的な男性に惹かれていないわけではない。ただ、彼女は心の中に芽生えようとする微かな鼓動を、必死に抑え込もうとしていたのだ。
ハルランの裏切りによって刻まれた深いトラウマが、消えない黒い影のように今も彼女の思考に付きまとっている。その傷口はまだ新しく、疼いていた。
まだ、どんな男性に対しても再び信頼を寄せる準備ができていない。今感じているこの安らぎも、結局は以前と同じような深い絶望の穴に繋がっているのではないかと、彼女は怯えていた。
幸いなことに、感情をすり減らし始めていた尋問セッションは、店員が再びテーブルに近づいてきたことで中断された。
店員が運んできた大きなトレイには、湯気を立てる料理が並んでいる。スパイスの芳醇な香りがテーブルの周囲を支配し、ミラとセラの注意を一気に引きつけた。
張り詰めていた空気は一瞬で溶け、リラックスした雰囲気へと変わる。
「さあ、まずは食べましょう! 恋愛の話は後回しよ」
ミラが元気よく声を上げ、スプーンとフォークを手に取った。
セラも同意して頷き、皿の端にサンバルを添え始める。彼女たちはユダに関する重い話題を切り上げ、より軽い話題へと切り替えることにした。
ランチの間、彼女たちはそれぞれの趣味について語り合った。ミラは観葉植物のコレクションについて熱心に話し、セラはバリの隠れた観光スポットをいくつか教えてくれた。
トリアは彼女たちの話に耳を傾け、時折楽しげな笑い声を上げながら、穏やかな時間を過ごした。
読んでくださって、ありがとう。
トリアを取り巻く環境が、少しずつですが確かに変化しています。
「王子様」なんて呼ばれて照れるユダと、それを見抜く仲間たち。
次の展開へ向けて、トリアの心はどう動いていくのでしょうか。
もし「続きが気になる!」と思っていただけたら、ブックマークやコメントをぜひ残してください。それが私にとって一番のご馳走です。
またお会いしましょう。




