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第1章 かけがえのない夜

皆様、こんにちは。

このたび、二作目となる物語を公開できることになり、とても嬉しく思います。

前作から少しでも成長できるよう、大人の恋愛が持つ繊細な機微や、言葉にできない心情に焦点を当ててみました。

まだ未熟な部分もあるかと思いますが、温かい目で読んでいただければ幸いです。

皆さんからの感想やアドバイスは、次のステップへの大きな糧になります。

どうぞ、ゆっくりと楽しんでいってください。

挿絵(By みてみん)


 ハルランはゆっくりとした動作で部屋のドアを閉めた。ベッドサイドのランプだけが照らす空間に、金属の鍵がかかる音が響く。トリアは少し離れた場所に立っていた。身体は強張り、着ているブラウスの裾を指先で強く握りしめている。


「ハルラン、待って……私たちは、まだ――」


 ハルランが一歩近づき、その言葉は途切れた。トリアは反射的に手を上げ、冷え切った手のひらで彼の胸を押しとどめる。二人の距離はほとんどなくなり、無意識に唾を飲み込んだ。


 ハルランは手を伸ばし、彼女のうなじに優しく触れた。


「これ以上、何を待つ必要がある? 付き合って一年になるし、来年には結婚するんだ」


 ハルランの顔がさらに近づく。温かい吐息が肌に触れ、やがて二人の唇が重なった。彼にリードされるように、ゆっくりとした足取りでベッドの方へと後退していく。


 一歩、また一歩と下がり、ふくらはぎがマットレスに触れた瞬間、意図せずベッドの上に座り込んでしまった。咄嗟に顔を背け、キスを終わらせる。耳の先まで熱を帯びていた。


「だめ……我慢して」と、小さな声で告げた。


 ハルランはしばらく彼女を見つめ、微かに顎に力を入れた。「俺を信じてないのか?」


「信じてる」即座に答える。「でも……これは、だめ」


 ハルランは深く息を吸い込み、トリアの目を真っ直ぐに見つめるために少し身をかがめた。


「なあ……ずっと我慢してきたんだ。もう本当に限界なんだよ。俺がこんなに苦しんでるのを、見過ごせるのか?」


 一瞬、顔を背ける。その言葉は深く突き刺さった。この一年間、ハルランは決して無理強いせず、彼女がまだ心の準備ができていないと伝えれば必ず引き下がってくれた。彼の部屋に来たのはこれが初めてではないが、彼は常にトリアが引いた境界線を尊重してきたのだ。胸を押しとどめている手が、無意識のうちに微かに震えていた。


「遅かれ早かれ、俺たちは結婚するんだ」低い声で呟く。「なら、何が違う? それに……なぜか今日は、どうしても抑えきれないんだ」


 再び距離が縮まるが、唇が触れる直前で、二度目の制止を入れた。


「結婚のこと、本気だよね?」声は小さかったが、最後の確認を求めるような確かな響きがあった。


 ハルランは動きを止め、少しだけ顔を離した。「本気だよ、トリア。君の両親にも挨拶に行ったじゃないか。それじゃまだ証明にならないか?」額にかかった髪を、優しい手つきで払いのける。


 小さく頷く。「……信じる」


 彼が再び近づいてきたが、トリアはまた手を当てた。顔を伏せ、呼吸を詰まらせる。


「私、初めてだから。だから……お願い……優しくして」


 ハルランの口元に薄い笑みが浮かんだ。「ああ、わかってる」


 再び唇が重なる。その触れ方は先ほどよりも柔らかく、慎重だった。やがてトリアの身体はゆっくりとマットレスの上に横たわっていく。急ぐような動作はない。強要もない。ただ、愛し合う二人がそこにいるだけだった。


 キスの合間に、ハルランの手がベッドの脇へと伸び、サイドテーブルの小さなスイッチを回した。ランプの光がゆっくりと落ち、部屋はより柔らかな薄明かりに包まれた。


 その夜、トリアは愛する男性に、来年には夫になると信じている人に、とても大切なものを捧げたのだと自覚していた。




 カーテンの隙間から朝の光が忍び込み、まだ半分閉じられたままのトリアの横顔を照らした。まぶたがゆっくりと動き、やがて完全に目を覚ます。


 部屋はまだ静まり返っており、エアコンの一定の駆動音だけが響いている。右を向くと、ハルランが規則正しい寝息を立てて眠っていた。


 無言のまま、その寝顔を見つめる。長い間の後、息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。昨夜の記憶が鮮明に脳裏をよぎる。触れ合い、近さ、そして完全な意識のもとで下した自分の決断。


「昨日の決断……後悔する必要なんてない」小さな声で呟く。


 口元に小さな笑みが浮かんだ。指先をそっと伸ばし、耳の下から顎へと続くハルランのフェイスラインをなぞる。彼は眠ったままで、口は穏やかに閉じられ、眉間にも力は入っていない。


 ゆっくりと身を起こす。足が床に触れた瞬間、ひりつくような痛みが走り、動きが止まった。微かに顔をしかめ、不快感を堪えるように唇を噛んでから、まっすぐに立ち上がる。


 バスルームへ向かって歩き出し、ふと床に視線を落とした。散乱した二人の衣服が、つい先ほどまで過ごしていた夜の明確な名残としてそこにあった。


 バスルームの鏡の前に立つ。髪は乱れ、数本がまだ赤みを帯びた頬に張り付いている。自分の顔に触れ、いつもとはまるで違うように見える鏡の中の姿を見つめた。


「大丈夫……後悔なんてしない。ハルランは私の未来の夫なんだから」そう呟き、再び自分自身に言い聞かせる。


 シャワーを浴び、流れ落ちる湯に緊張を解きほぐさせながら思考を整理した。バスタオルを身体に巻いて外に出ると、ちょうどハルランが目を覚ましたところだった。彼は目をこすり、ドアの敷居に立つトリアの方を振り向いた。


「おはよう」寝起き特有のかすれた声でハルランが声をかける。


「おはよう」トリアは薄く微笑んだが、隠しきれない気まずさが滲んでいた。


 部屋の小さなクローゼットを開け、仕事着を取り出す。ハルランのアパートは彼女の自宅よりも職場にずっと近いため、あらかじめ数着のスーツをここに置かせてもらっていたのだ。


「ほら、シャワー浴びてきて。早くしないと遅刻するよ」


 ハルランは小さくあくびをしながら立ち上がった。「あとで」そう言って近づき、背後から甘えるようにトリアの腰に腕を回す。「仕事の前に、もう一回どう?」


 トリアはすぐにその手を解いた。頬が熱くなる。「だめ……まだ痛いから」


 ハルランは軽く笑った。「わかった、わかった。無理させたら俺が自分勝手になっちゃうからな」


「もう! 早く行って」トリアは彼の背中を軽く押した。半分は呆れ、半分は照れ隠しだった。


 ハルランがシャワーを浴びている間、床の衣服を拾い集め、部屋の隅にある小さなカゴに片付けた。仕事着に着替えた後、小さなキッチンに入り、トーストと卵焼きという簡単な朝食を用意する。豪華ではないが、一日を始めるには十分だった。


 二人は多くを語らずに朝食をとった。ただ短い視線を交わすだけで、昨夜の余韻が伝わってくる。その後、駐車場へ降り、いつものように一台の車でオフィスへと向かった。


 オフィスでは、いつも通りに業務をこなした。二人の関係が大きな一歩を踏み出したことを示すものは何もない。トリアは事務デスクで働き、部門マネージャーであるハルランは自分の個室で業務にあたる。すべてが日常通りに進んでいた。


 昼休みになり、トリアは立ち上がってハルランの部屋へと向かった。ドアを開けると、中はもぬけの殻だった。スマートフォンを取り出し、メッセージを打ち込む。


『どこにいるの?』


 ピコン。


 すぐに返信が来た。『友達と飯食ってる。先にご飯食べてて』


『わかった』と短く返す。


「ハルラン、どこ行ったの?」女性の声が聞こえた。


 振り返ると、同僚のサンティが空っぽのハルランの部屋を覗き込んでいた。


「友達とランチに行ってるみたい」


「そっか。じゃあ、一緒にお昼食べに行かない? ちょうど車出してるし」


「うん、いいよ」と答え、デスクからバッグを手に取った。


 しばらくして、サンティの車に乗り込み、彼女の行きつけのレストランへと向かった。そこは普段、トリアとハルランが足を運ぶような場所ではなかった。


 道中、別のレストランの敷地に入るために車が減速した時、通り過ぎようとしたその店の大きなガラス窓に、ふと視線が引き寄せられた。トリアは驚きに見開いた。窓越しに、ハルランが女性と一緒にいるのが見えたのだ。


 二人きりだった。そして、その女性は見知らぬ誰かではなかった。トリアはその顔をよく知っている。見間違えようのない、エレガントな黒のロングストレートヘア。


 クラリッサ。ハルランの元恋人だ。二人はひどく親しげに話しており、単なる世間話をするには距離が近すぎた。




お読みいただき、ありがとうございます。

ようやく、二人の物語の幕を開けることができました。

この先、トリアとハルランがどのような道を歩むのか、皆様にも一緒に見守っていただけたら幸いです。

もしよろしければ、感想やブックマークをいただけると、次の章を書くための大きな励みになります。

ブックマークをしていただくと、更新のお知らせも届きますので、よろしければお願いします。

それでは、次章でお会いしましょう。

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