第六章 違和感
日曜日の昼下がり。
尾長家の食卓には、四人分の昼食が並んでいた。特別なものではない。焼き魚と味噌汁、簡単な副菜。けれど、人数が増えただけで、いつもより少し賑やかに感じられた。
小夜は、健介の隣に座っていた。
それが、いつの間にか当たり前の配置になっていた。
「パパ、これ取って」
小夜が箸を伸ばす。
「ああ」
健介が皿を寄せる。
「ありがと」
小夜はそう言って、ふっと笑う。
愛美もすぐに真似をする。
「ぱぱ、これ!」
「はいはい」
健介は苦笑しながら、二人の皿におかずを分ける。
「ほら、あーん」
愛美に向かって箸を差し出すと、愛美は口を開ける。
「あーん」
その横で、小夜も少しだけ身を寄せた。
「パパ、あーん」
健介は特に気にする様子もなく、小夜にも同じように食べさせる。
恵美は、その様子を向かい側から見ていた。
別におかしなことをしているわけではない。子供が甘えているだけだ。そう思おうとする。
けれど、胸の奥に、うまく言葉にできない小さな引っかかりが残る。
昼食が終わると、健介が立ち上がった。
「洗い物、やっとくよ」
恵美のお腹はだいぶ大きくなってきていた。立ちっぱなしの作業は、以前より負担が大きい。
「ありがとう」
恵美が言うと、健介はそのままキッチンへ向かった。
水の音が流れ始める。
すると、小夜が立ち上がった。
「お手伝いする」
そう言って、健介の隣に立つ。
「いいよ、座ってて」
「ううん。やる」
小さな手で、洗い終わった皿を拭き始める。
「ありがとな」
健介がそう言うと、小夜は嬉しそうに笑った。
そのやり取りを、恵美は少し離れたところから見ていた。
愛美はソファでうとうとし始めている。
しばらくして、小夜が言った。
「……ちょっと、ねむい」
「眠いのか?」
「うん。ちょっとだけ、寝てきていい?」
「いいよ」
健介は特に気にした様子もなく答えた。
小夜は静かに立ち上がり、階段の方へ向かっていった。
そのあと、愛美も完全に寝てしまった。
「寝ちゃった」
恵美が抱き上げる。
「二階で寝かせてくるね」
「うん」
健介は洗い物を続けながら、軽くうなずいた。
恵美は、愛美を抱いたまま、ゆっくりと階段を上がる。
二階の寝室に連れて行き、布団に寝かせる。愛美はすぐにすうすうと寝息を立て始めた。
その時だった。
廊下に出た瞬間、かすかに物音が聞こえた。
健介の仕事部屋の方からだ。
小さな気配。
恵美は、無意識に足を止めた。
ドアは、少しだけ開いている。
そっと近づき、隙間から中を覗いた。
布団の上に、小夜がいた。
健介の枕を抱きしめて、うつ伏せになっている。顔を半分埋めるようにして、目を閉じている。
健介の上着も、横に置いてあった。それを胸のあたりに引き寄せて、抱え込むようにしている。
頬をすり寄せるように、何度も、何度も。
小さく、甘えるような声が漏れていた。
「……パパ」
囁くような声だった。
恵美の胸の奥が、ぞくりとした。
次の瞬間、勢いよくドアを開けていた。
「何やってるの!?」
小夜がびくっと体を起こす。
枕をぎゅっと抱いたまま、恵美の方を見る。
「……ねてただけ」
その声は、ひどく落ち着いていた。
恵美は思わず、枕を取り上げた。
「ここは、入っちゃダメって言ったでしょ!」
小夜が、ぱっと手を伸ばして枕を取り返そうとする。
「やだ!」
その声に、下から足音が響いた。
健介が階段を駆け上がってくる。
「どうした!?」
部屋の前に立つなり、状況を見て顔をしかめた。
「何してるんだ!」
恵美は振り向いた。
「この子……貴方の布団に勝手に入って、枕抱いて……!」
言葉がうまくまとまらない。
ただ、胸の奥の嫌な感覚だけが膨らんでいく。
「それだけだろ?」
健介は、あっさりと言った。
「え?」
「眠かったから、ちょっと寝てただけだろ」
そう言って、小夜の方を見る。
「な?」
小夜は、こくんとうなずいた。
「……うん」
恵美は、言葉を失った。
「でも、この子……!」
「そんなに怒ることか?」
健介の声が、少しだけ低くなる。
「子供が甘えてるだけだろ」
「でも……!」
言い返そうとして、うまく言葉が出てこない。
自分でも、なぜこんなに嫌なのか、説明ができなかった。
ただ、健介の枕を抱きしめていた小夜の姿が、頭から離れない。
「お前……」
健介が、ふっと息を吐いた。
「もしかして、嫉妬してるのか?」
その言葉に、恵美の顔がこわばる。
「なに言ってるの」
「だって、そうだろ」
次の瞬間、乾いた音が部屋に響いた。
恵美の頬に、健介の手が当たっていた。
「お前、こんな小さな子に嫉妬してるのか?」
低い声だった。
「娘と大して変わらない歳の子なんだぞ」
「……でも……!」
「愛美の時は何ともなかったのに、二人目なのにマタニティブルーか?」
冷たく言い放つ。
「実家に帰って里帰り出産しろ。その方がいいだろ」
恵美は、しばらく何も言えなかった。
頬を押さえたまま、ただ立っている。
「……分かりました」
やっと絞り出した声だった。
「愛美も連れて行きます」
「好きにしろ。ちょっと冷静になれ」
健介は、それだけ言って部屋を出て行った。
残された部屋で、小夜は静かに枕を見つめていた。




