表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

第二章 公園の約束

 恵美の妊娠が分かってからも、尾長家の生活は大きくは変わらなかった。

 恵美は派遣の仕事を続けていた。もともと平日休みのシフト制で、出勤の日もあれば家にいる日もある。体調もまだ安定していて、医者からも「無理をしなければ大丈夫でしょう」と言われていた。

 それでも、健介は以前より少しだけ家のことを気にかけるようになった。

 愛美の相手をする時間を増やし、恵美が出勤の日はなるべく自分が見ていようと思っていた。仕事は自宅の二階でできる。手が空いた時間に愛美を外へ連れて行くくらいの余裕はあった。

 そんな中で、健介と愛美の「公園の時間」が、いつの間にか日課のようになっていった。

 家から歩いて五分ほどの、小さな公園。滑り台とブランコ、砂場があるだけの、ごく普通の場所だ。平日の昼間は人も少なく、風の音がよく聞こえる。

「ぱぱ、ぶらんこ!」

 愛美に手を引かれて、健介はブランコの前に立った。

「はいはい、順番ね」

 愛美を乗せて、ゆっくりと押す。きゃっきゃっと弾む声が、静かな公園に響いた。

 こうして二人で過ごす時間は、健介にとっても嫌いではなかった。仕事の合間の気分転換にもなるし、何より、愛美が嬉しそうにしているのを見るのが楽しかった。

 その時だった。

「あの……」

 背後から、小さな声が聞こえた。

 振り向くと、小学一年生くらいの女の子が立っていた。肩のあたりで切りそろえた髪に、お洒落なワンピース。どこか遠慮がちに、こちらの様子をうかがっている。

「いっしょに、あそんでもいいですか?」

 健介が答える前に、愛美が勢いよく振り返った。

「いいよ!」

 迷いのない声だった。

 女の子はほっとしたように、小さく笑った。

 それが、小夜との最初の出会いだった。

 名前を聞くと、「竹田小夜です」と、ぺこりと頭を下げた。その仕草が妙にしっかりしていて、健介は少し驚いた。

 愛美はすぐに小夜の手を引き、砂場へ向かう。

「おやまつくる!」

「うん」

 二人はしゃがみ込んで、夢中で砂を集め始めた。言葉は多くないが、すぐに打ち解けているのが分かる。

 健介は少し離れたベンチに腰を下ろし、その様子を眺めていた。

 それから数日後。

 また愛美を連れて公園に行くと、小夜がいた。ブランコの近くに立っていて、こちらに気づくと、小さく会釈をして駆け寄ってきた。

「こんにちは」

「こんにちは。今日も来てたんだ」

「はい」

 愛美が小夜を見つけるなり、ぱっと顔を輝かせる。

「さよちゃーん!」

 二人はそのまま、当たり前のように遊び始めた。

 それが何度か続いた。

 平日は、ランドセルを背負ったまま現れることが多かった。学校帰りなのだろう。土日は、昼くらいになると公園のどこかにいる。

 まるで、そこが小夜の居場所であるかのようだった。

 愛美もすっかり懐いていて、公園に着くなり、周囲を見回すようになった。

「さよちゃん、いるかな」

 そう言っては、姿を見つけると嬉しそうに駆けていく。

 ある土曜日の午後。少し風の強い日だった。

 二人が砂場で遊んでいるのを見ながら、健介はなんとなく小夜に声をかけた。

「小夜ちゃんは、家はこの近くなの?」

 小夜は手を止めて、少し考えてからうなずいた。

「うん。あっちのほう」

 指差した先は、住宅街の奥の方だった。

「いつも一人で来てるの?」

「うん」

 あっさりとした返事だった。

 健介は、少しだけ言葉を選びながら続けた。

「お父さんとか、お母さんは?」

 小夜は砂をぎゅっと握りしめて、ぽつりと言った。

「お父さん、いない」

 その言い方は、妙に淡々としていた。悲しそうでもなく、ただ事実を述べただけという口調だった。

「そうか」

 それ以上は聞かない方がいいかと思ったが、小夜は自分から続けた。

「お母さんは、夜お仕事してる」

「夜?」

「うん。夜いなくて、昼は寝てる」

 健介は少し驚いたが、顔には出さないようにした。

「じゃあ、学校が終わったら?」

「公園くる」

 当たり前のことのように、小夜は言った。

「おうちは、お爺ちゃんとお婆ちゃんもいっしょ」

 少しだけ表情が柔らいだ。

「お爺ちゃんはおそうじの仕事。お婆ちゃんはスーパー」

「そっか」

「でも、昼はどっちもいない」

 小夜は砂をいじりながら言った。

「お母さんは寝てるし」

 健介は一瞬、言葉を失った。

 目の前では、愛美が小さなバケツを持ち上げてはしゃいでいる。

「できたー!おやま!」

「すごいね」

 小夜が笑う。

 その笑顔は、年齢よりも少しだけ大人びて見えた。

 健介は、その横顔を見ながら、なんとも言えない気持ちになった。

 この子は、毎日こうして公園で時間を過ごしているのだろうか。

 誰もいない家に帰るより、ここにいる方がいいのかもしれない。

 そんなことを、ぼんやりと考えた。

 夕方になると、小夜は自分から立ち上がった。

「じゃあ、帰るね」

「うん。またね」

 愛美が手を振る。

「またあそぼうね!」

「うん」

 小夜は小さくうなずいて、ランドセルを背負い直し、住宅街の奥へと歩いていった。

 その背中は、七歳の子供にしては、どこか慣れた様子に見えた。

 ただの、公園で知り合った子。

 それだけのはずだった。

 けれど、気づけば、平日も土日も、小夜は当たり前のようにそこにいるようになっていた。

 そして、愛美もまた、小夜が来ることを当然のように待つようになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ