兆し
谷は、静かだった。
死体の匂いは残っている。
だが、動く気配がない。
原生種は、姿を消していた。
「……逃げた?」
かんたが周囲を見回す。
「違うな」
龍は剣を下げたまま言った。
「引いたんだ」
戦場だった場所に、妙な違和感がある。
倒した数の割に、散り方が揃いすぎている。
幸人は、岩に寄りかかりながら弓を確かめていた。
「……指示がなくなった感じだ」
「指示?」
「追ってこない。
囲もうともしない」
風が吹く。
それだけで、谷の奥から低い音が返ってきた。
鳴き声じゃない。
咆哮でもない。
**地鳴り**に近い。
かんたが顔をしかめる。
「……今の、聞こえた?」
「聞こえた」
龍は即答した。
力嶽が、ゆっくりと前に出る。
「ここから先は、分かれ道だ」
誰も口を挟まない。
「追えば、会う」
力嶽は谷の奥を見据える。
「引けば、時間は稼げる。
だが、増える」
幸人が短く息を吐く。
「……増える、って」
「原生種がだ」
力嶽は淡々と言う。
「あれが生きている限り、な」
その言葉で、全員が理解した。
**獣のドラゴン**。
まだ姿は見えない。
だが、ここにいる。
空気が、重い。
歩くだけで、足が遅くなる。
かんたが、無意識に後ろを振り返った。
「……なあ」
「なんだ」
「今さ、
俺ら、見られてね?」
誰も否定しなかった。
谷の奥で、岩が崩れる音がする。
一つじゃない。
連続している。
龍は剣を握り直した。
「……進むぞ」
返事はなかった。
だが、誰も止まらなかった。
足を踏み出すたびに、
地面の感触が変わる。
硬い。
踏み慣れた土じゃない。
まるで――
**巣の中**を歩いているみたいだった。
遠くで、もう一度、地鳴りがした。
今度は、はっきりと方向が分かる。
前だ。
確実に、前。
獣のドラゴンは、
そこにいる。




