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カフェ・オレと優しい言葉

「どうして分からないのかしら?!」

 アスファルトを、まるで蹴り付けるように歩く。

「ああっ、もう!」

 後悔しても遅いけど、なんでこんな高いヒールを履いてきたのかしら。

 私の足は、自然とあのお店へと向いている。

 緑色の屋根の小さな茶館。

 ちょっとだけ強くその扉を引いたわ。いつもは軽やかに響くドアベルが、うるさい音を立てた。

「いらっしゃい……ませ?」

 そう言って私の顔を見た瞳子さんが、目を丸くして動かなくなったの。

 私、そんなに怖い顔してる?

「どうなさったのです?」

「どうもこうもないわ」

 瞳子さんに案内されたテーブル。

 バッグをぽんと放った私は、体まで投げ出すように席へと座る。

「落ち着いてください。今、お水をお持ちしますから」

「ねぇ聞いてよ、瞳子さんっ!」

 思わず声を上げた私は、背を向けた瞳子さんの黒いジャケットの裾を掴むと、思い切り引いてしまったの。

「きゃあ!」と、小さな悲鳴を上げて、瞳子さんがその場に尻餅をついた。

 彼女が持っていた銀のトレイが床に転がって、うるさい音を立てる。

「あ、とっ瞳子さんっ!」

 わたしは慌てて、瞳子さんを助け起こそうと席を立って彼女の手を引く。

 瞳子さん、とっても軽いのよね。

「だ、大丈夫ですわ。お気になさらないで」

 腰をさすりながら、瞳子さんがちょっと苦笑い。

「ほんとに、ごめんなさい」

 深々と頭を下げる。

 さすがに冷静になったわ。

 とんでもない事しちゃった。


 ☆★☆


「お待たせしました」

 私の前にカフェ・オレのティーカップを置くと、

 銀のトレイを持ったままの瞳子さんが向かい側の席へすとんと腰を下ろす。

 いつも思うけど紅いルージュを引いた唇は羨ましいくらいに形が良い。

 他にお客さんの姿はないけど、いいの? 私と話なんかしていて。

 そっとカウンターの方へ目をやると、まるで熊みたいに大柄のマスターは、椅子に座ったまま目を閉じてる。

 難しい顔してるけど、ひょっとして寝てる?

 少しほっとして、銀のトレイを胸に抱いた瞳子さんへと視線を戻す。

「そんなに真剣な顔をしないでよ……」

 お店が迷惑するのは分かってるんだけど。

 気分が落ち込んだりすると、いつもここに来ちゃうのよね。

 今日もそう、原因は。

 2年くらい付き合ってる彼。

 些細なことで、ちょっとした喧嘩をすることだってあるけど……。

 ミルクが多めのカフェ・オレをひとくち。

 ささくれた心を包んでくれる、甘くて優しい香り。瞳子さんのカフェ・オレはとても美味しいの。

 カップの縁を、つい……と撫でて、溜息をつく。

「彼が仕事で机に向かっていたんだけど、後ろから思い切り枕をぶっつけて部屋を飛び出して来ちゃった」

「お仕事中だったのでしょう?それはまた、思い切ったことをなさいましたね」

 私の告白に、ちょっと驚いた瞳子さんが気の毒そうな顔をした。

 同情なんて要らないのよ?

 投げつけたのがフライパンじゃないだけ、ありがたく思って欲しいわ。


 私だって子供じゃない。


 ずっと一緒にいて欲しい。


 ずっと囁いていて欲しい。


 なんて、我が儘は言わない。


「彼が心配なのですね?」


 私は、はっとして思わず瞳子さんを見つめた。

 しぼんでゆく怒りと、急に膨らんでくる後悔。

 こくりと頷いて、うつむく。

「いつもの事なの、人の仕事まで引き受けてきて毎日遅くまで仕事をしているわ」

 この間、休日にはドライブへ行こうねって約束してたの。

 でも。

「すまない、どうしても片付けなきゃならない仕事があるんだ。ドライブはまた今度行こう」

 ですって。

 だから、私は聞いたのよ。

「あなたには、お休みがないの?」って。

 そしたら……。

「仕事なんだ、仕方ないだろ? 我が儘言わないでくれよ」

 ほんとはドライブなんて、どうだってよかったの。

 公園だって、どこだっていい。

 ただ、ゆっくりと休ませてあげたかった。

「仕事が終わればソファーに倒れ込んで、そのまま寝ちゃうような生活しているんだもの」

 向かいの席を立って、肩を震わせる私の傍らに座った瞳子さんが、そっと背中を撫でていてくれる。

 優しくて綺麗な手。

「どうして分かってくれないのかしら」

 やるせなくて、枕なんてぶつけちゃった。我が儘を言ったつもりはないんだけど。

 言い方が悪かったのかしら。

 それとも、もう私なんて……。

「大丈夫ですわ」

 まるで急な坂道を転がり落ちるような私の心を抱きとめてくれる、瞳子さんの言葉。

 力強くはないけれど、柔らかくて温かい。

「あなたの言葉には、彼を気遣う優しい気持ちがたくさん詰まっていますもの」

「……でも」

 微笑んでいる瞳子さん。

 私を見つめる不思議な色合いの瞳。

 深い紫色に見える真剣な瞳に、思わず吸い込まれそうになったの。

「あなたの言葉は必ず彼の心に届きます」

 きっぱりと断言した瞳子さんが、お店の中に飾られているたくさんの絵を見回したその時だった。瞳子さんの言葉が合図だったように、いきなりバッグの中の携帯電話が鳴ったの。

 驚いたわ。

「あ……」

 着信を知らせるメロディと彼の名前。

 私は音を奏でる携帯電話を、きゅっと胸に抱いた。


 ☆★☆


「ごめんね」

 今日も瞳子さんに迷惑かけちゃった。

 身を小さくして、そっと頭を下げる。

「彼を想うあなたの優しさは、ちゃんと伝わるんですよ。疲れた心と体には、そんな優しさがたくさん必要なんです……だから自信を持って」

 瞳子さんに頷き返した私は、ちょっと急いでお店を出た。

 いつもと同じ軽やかなドアベルの音が、私に“ばいばい”って言っている。

 ええ、早く帰らなきゃ! 彼が待ってるから。

 私の不安な心を癒やしてくれたのは、瞳子さんが淹れてくれたカフェ・オレと優しい言葉。

 高いヒールも、もう気にならなかった。

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