手紙~想いを伝える色~
瞳子ちゃん、元気にしていますか?
お店はもう営業しているのよね、様子はどうですか?
あなたのことだから、頑張りすぎていないかと心配しています。
お父さんも、ずっとあなたの話ばかりしているのよ。
あなたがいなくなって、急に家の中が寂しくなってしまいました。
舞はかなり堪えたみたいです。
あなたを姉のように慕っていたから、無理もありませんね。
でも、来年は高校生なのだし。
あの子なりに考えて納得したみたいだから、心配しないでね。
何度も電話をしようと思ったのだけれど、
あなたの声を聞いてしまうと、切なさが堪えきれなくなりそうで。
瞳子ちゃん。
やっと、あなたの心に灯った光だと思うから。
大切にして、暖かな光にして下さいね。
これから暑くなるから、体に気を付けて。
くれぐれも、無理はしないようにね。
またいつでも、遊びにいらっしゃい。
遠慮なんてしないのよ?あなたは、私達の家族なんですからね。
何回も読み返した一通の手紙。
丁寧に折り畳んで封筒に入れ、私はそっと胸に抱きました。
☆★☆
茶館の前から旧商店街へと続く、通りを挟んだ右斜め向かいには一軒の雑貨屋さんがあります。そこは「メモル」という名前の、とても可愛らしいお店。
日曜日や長い坂上にある高校の下校時刻には、女の子達がたくさん訪れていつも賑わっています。
お店のご主人はファッションモデルのように、すらりと背が高い女性です。素敵な笑顔、ふわりとした髪はポニーテールにまとめられ、とても元気が良さそうな方です。
毎朝、お店の前を掃除している姿をお見かけするのですが。
道を挟んでお互いに会釈をするくらいなので、一度お話してみたいと思っていました。
そんな折、私が下宿していたお宅のおばさんから届いた近況を訪ねる手紙。
おばさんもおじさんも、一人娘の舞ちゃんも……。身寄りのない私へ本当の家族のように接して下さいました。
朝食の席で新聞を読むおじさん、忙しく料理をテーブルに並べるおばさん。
身支度を調えた私は、おじさんのお茶碗にご飯をよそいます。
そうこうしているうちに、遅刻ぎりぎりまで寝ていた舞ちゃんが二階から駆け下りてきて。朝食をサラダですます彼女は牛乳を飲み干した後、慌ただしく家を飛び出していきます。やれやれといった表情で首を振るおじさん。私はおばさんと顔を見合わせて、くすくすと笑います。
そして一日が終われば、夕食時の家族団らん。果物を食べながら、それぞれに一日の報告をします。
疲れを癒してくれるお風呂。
湯煙の中で一日の出来事を反芻していると、舞ちゃんが入ってきてのんびりと湯船に浸かりながら、とりとめのない会話を交わすのです。
大好きな祖母を失ってから、縁遠かった家族というものの温もりに包まれる幸せを私は感じていていました。
そのお宅から毎日茶館へと通う事は無理なので、やむなく茶館に住み込みという事になったのです。
当初は反対していたおばさんと舞ちゃん、二人を説得して下さったのはおじさんでした。
「私の娘が決めた事だ、応援するよ」
素っ気なく短い言葉でしたが、私はおじさんの信頼と深い愛情を噛みしめました。
ですから早くお返事を書こうと思いましたが、手紙など書く事が無いのであいにく便箋がありません。
そこで私は気になる彼女の雑貨屋さんで、便箋を買おうと思いつきました。
駅前の通りには新しい文房具屋さんもあるのですけど、彼女とのお話するには、ちょうど良い機会です。
お昼も過ぎて店内にお客様の姿が無くなると、私はお店のドアに「準備中」のプレートを掛けて出掛けました。
「こんにちは……」
店先に彼女の姿が無いのでドアを開け、入り口からお店の中をそっと見回します。
明るい店内に整然と配置された、それぞれの棚ごとに綺麗に並べられているのは、どれをとっても女の子が喜びそうな可愛らしい雑貨。
文房具やキルティングの小物入れ。大小様々のクッションやぬいぐるみ。マグカップなどの食器類。
ガラスのケースに飾られているのは、きらきらと輝くアクセサリー。
「いらっしゃいま……せ、あ!」
棚の間から顔を覗かせた女性が、私の顔を見るなり驚いた表情で声を上げました。
「ええっと、あなた向かいの喫茶店の彼女よね?」
「はい」
「ああ! やっぱりそうよね!」
女性はぽん! と、両手を打ち合わせました。
「こんにちは。私は恵子、綾崎恵子っていうの!」
「私は瞳子です、水無月 瞳子といいます」
「あら、水無月なんて珍しい名字ね。うふふ、じゃあ瞳子ちゃんでいい?」
恵子さんは顎にひと指し指を当ててちょっと小首を傾げた後、にっこり笑って言いました。
微かなそばかすが、チャームポイントです。
「はい。よろしくお願いします、恵子さん。可愛らしい雑貨が一杯で良いお店ですね」
「そお? ありがとう!」
恵子さんは、ぱっ! と満面の笑みを浮かべました。
「そうなの。長年の夢の結晶よ。やっと手に入れた私のお店なの! もうお店に来てくれる子達がまた可愛いの、みんな瞳がきらきらしてて。きゃあきゃあはしゃいでいてね」
胸に手を当てて、それこそお店を訪れる女の子達のように瞳をきらきらさせて恵子さんは力説します。私はその迫力に圧倒されて、しばらくうっとりとしている恵子さんを見つめながら、私もそんなくすぐったい少女の気持ちを思い出しました。
「あ、ごめんなさい。つい興奮しちゃった、こちらこそよろしくね。お向かいさんだし気になっていたのよ、随分と美人さんね~と思って」
「そんな……」
私は恵子さんに見つめられてしまい、困ってしまいました。
恵子さんは悪戯っぽく、ウィンクをひとつ。
「ホントよ。でもあなたみたいな子があの大きな熊が住んでるお店で、よく働く気になったわね」
「ええと。く、熊ですか?」
思わず目をぱちぱちさせた私に、恵子さんは悪戯っぽく片目を瞑ってみせました。
「ほら、茶館にいつも居るじゃない。ジーンズにTシャツ姿の冴えない奴」
「あの、それはひょっとして慎吾さんの事でしょうか?」
「そうそう。あれは熊にしか見えないわね」
茶館の開店前に、慎吾さんはのっそりとお店に入ってきます。
そして大きな身体でカウンターへ広い背を預け、ぼさぼさの頭で大あくびをするのです。
恵子さんの感想通り確かに熊っぽい姿かも知れません。その姿を思い浮かべて、思わずくすりと笑いを漏らすと。
「そう思うでしょう?」
「そうですね、そう思います!」
私と恵子さんは顔を見合わせて、しばらく笑いました。
「今日はどうしたの? お近づきの挨拶に来てくれたのかしら」
「はい、恵子さんとお話ししてみたくて」
「あら、嬉しい!」
恵子さんはまた、ぽん!と手を打ち合わせて笑いました。
ほんとうに、明るくて人懐っこい笑顔の女性です。
そうです、私は恵子さんのお店へと足を運んだ用事を思い出しました。
「それから便箋を買いに来たんです」
「あら、お手紙かしら? 珍しいわね。最近は、なかなか筆をとる機会も無ないものね」
「こちらへ引っ越す前に、お世話になっていた下宿先のおばさんが心配してお手紙を下さったので、近況をお知らせたいんです。電話でとも思ったのですが、やっぱりきちんとお返事を書きたくて」
「そうなの! じゃあ、なおさらね」
「はい」
「そうね、それなら」
恵子さんは文具を並べた棚の上から、いくつかの綺麗に色付けされた便箋を手にしました。どの便箋も優しさを感じる淡い色合いです。
「瞳子ちゃん、お店で働くのは楽しい? あなたの毎日は充実しているのかしら? 大切な人にあなたの気持ちを伝えるの。そう、あなたの心の色を選ぶのよ。例えば、柔らかくて暖かなオレンジ色とか、晴れ渡る空の色みたいにね」
私は目を閉じて恵子さんが手にした便箋の、数々の淡い色を今の自分の心へと静かに映しました。遙さんとの不思議な出会い、茶館を開店させるまでの忙しい日々、お店を訪れて下さったお客様と交わす何気ない会話……。
それは今の私にとって、日々の大切な出来事です。
茶館で毎日を過ごす私の気持ちを私の家族、おじさんとおばさんに、そして舞ちゃんに伝えたい。
目を開けた私は恵子さんの手から、淡く色付けされたエメラルドグリーンの便箋をそっと取ります。
恵子さんは頷いて、手に残った便箋を棚に戻しました。
「柔らかでしなやかな若草の色。落ち着いた良い色ね、きっと手紙を受け取った方も安心するわ」
「はい!」
恵子さんはにっこりと微笑んだ後、思い出したように、ぽん! と手を打ちました。
「そうそう、お茶でもいかが? う~ん、でも喫茶店の彼女にお茶を出すのは、自信が無いなぁ」
苦笑する恵子さんのポニーテールが、ぷるぷると左右に揺れます。
「お店をそのままにして抜け出して来ましたから、お茶はまたの機会に。そうです! 今度、茶館にいらして下さいね」
「そうね、お互い仕事中なのよね。じゃあ、お言葉に甘えて今度お邪魔するわ」
「はい、お待ちしています!」
「うん、あたしも楽しみにしてる!」
私と恵子さんはすっかりうち解けて、またくすくすと笑いあいました。
一日の終わりに、たくさんの思いを柔らかなエメラルドグリーンの便箋に書き綴りました。
そっとポストへ入れた手紙は、きっと私の想いを届けてくれるでしょう。
それから恵子さんは、暇を見つけて度々茶館を訪ねて下さいます。
「瞳子ちゃん!お昼一緒しない?」
「瞳子ちゃん、お茶しに来たわ!」
恵子さんに声を掛けていただくのは、とっても嬉しいのですけど。
「ねぇ瞳子ちゃん!そろそろ私のお店で働かない!?」
恵子さん……。そのお誘いは、ちょっと困ります。