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遙色のPallet~Baby Pink~

「君は金魚と呼ばれているのに、なにゆえ赤いお魚なの~」

 遙は茶館の二階あるアトリエで、うきうきとスケッチしている。緩やかに身体を揺すって妙な歌を口ずさんでしまうほどに機嫌が良い。

 エプロンの胸ポケットに入れられた色とりどりのカラーマーカー。小さなスケッチブックを片手に、くるくると踊り出してしまいそうだ。

「……これこれ、動くでない」

 遙が熱心に見つめているのは金魚鉢。慎吾が夏祭りの屋台ですくってきた一匹の金魚。

 遙はくすりと笑みを漏らす。

 可愛い浴衣姿の慎吾はビニール袋に入れられた金魚を得意そうに見せてくれた。

(我が息子も、逞しくなったものよのう……うふふ)

 かなりの親バカ加減のようだが、本人はまったく気が付いていない。

 るんたった~とリズミカルにステップを踏みながら、すらすらすいすいと金魚を描いていく。

「う~」

 ご機嫌な遙の背後から声が聞こえる。

「む~」

 すがるように何かを求めるような声。

「うむ~」

 今度はちょっと表現豊か。

 その声を聞いている遙は、嬉しくてしょうがない。

(まだよ、まだまだ)

 もう振り返りたくて堪えきれないくらいうずうずしているのに。遙は知らん顔をした振りで、ちらちらと背後を盗み見ている。

 金魚なんかもうまったく意識に残っていない。

「うあ゛~」

(あっ泣きそう! いけないっ! もう駄目っ! )

「あーちゃーん、ごめんねー!」

 スケッチブックを放り出した遙は、ぽんぽんぽーんと三段跳びでベビーベッドに近づいた。

「はい。良い子ねー」

 両手を伸ばしてベッドの手摺りに掴まっている彩人を抱き上げる。

「悪いママねー」

 ぷくぷくのほっぺにキスをしてそれから頬ずり。 

 そして、ぎゅーっと抱きしめる。

(ああ駄目。もう可愛いっ!)

 両腕に抱きしめた頼りない身体に感じる温もり、ほのかなミルクの香り。

「……うぷうぷ」

 柔らかな彩人の抱き心地を堪能していた遙は、苦しそうな声に気付いて我に返った。

 慌ててぱっと抱き直す。

「ぷは」

 大きく息を付いた彩人が栗色の大きな瞳を見開いて、きょとんと遙を見つめている。

(ああ駄目。また抱きしめちゃう)

 その時、ぷるぷるっと身体に力を入れた彩人が微かに震えた。

「あ……やっちゃったみたいねー」

 彩人の様子に気付いた遙は、ひょいっと彩人を右腕に乗せるように抱いて左手で扉を開けた。

「はいはいはい。おしめを替えようね、あーちゃん」

 とんとんと階段を下りる遙の足はふわふわと、ほとんど床についていない。

(アトリエにもおしめを置いておけば良かったわね)

 茶館を出て裏の離れに向かう。

 遙が暮らしている本居はただいま改築中。

 茶館の敷地内に建っているこの離れで暮らしてもいいのだが、夫の幸一郎はそう思わないらしい。

「あらら、気付かなかったわ。お義父様はお店に出られたみたいね」

 離れには茶館の店主を務める幸太郎が一人で住んでいる。

 慎吾と彩人を、とても可愛がってくれる幸太郎。みんなで一緒に暮らせば楽しいのにと、遙は思うのだが。

「のらりくらりと掴み所がない親父と一緒だと落ち着かない」

「誰に似たのかカタブツでね、幸一郎と顔を付き合わせていると肩がこるんだよ」

 どうやら、お互いに煙たがっているらしい。

 変わった親子だと遙は苦笑するしかない。

「はーい、気持ち良いでちゅねー」

 おしめを替えて、取り敢えず離れの居間で一段落。

(……それにしても、やっぱり見れば見るほど)

 遙はそう呟いて、彩人をしげしげと見つめる。遙と同じ栗色の髪に栗色の瞳。

 顔の造作である特徴が全く同じだ、目鼻立ちもよく似ている。彩人がこのまま大きくなれば、姿は遙と瓜二つになるかもしれない。

 小さな手でぺたぺたと畳を叩いている彩人。柔らかな眼差しで彩人を見つめていた遙は、突然ぴくりと背筋を伸ばした。

「先生っ!?」

 ばっと立ち上がり、さっと彩人を抱いて、気配がする台所に向かう。

 遙の師である黒衣の画家、瑠璃子は神出鬼没だ。遙が何処に居るかなんて関係なくその存在を頼りにいきなり尋ねて来る。

 遙は瑠璃子の気配を追って急いで台所に飛び込むが、きょろきょろしてもその姿はない。

「気のせいかな……」

 膨らんでいた期待がしぼんでちょっと肩を落とした遙は、冷蔵庫へ貼り付けられている小さな水彩紙を見つけた。

『遅れちゃったけど、コレお祝い。たくさん召し上がれ(笑)』

 その文面を読んで勢い良く冷凍庫を開けた遙は、がっくりと肩を落とした。

「……やっぱり」

 思わず手を伸ばす。冷凍庫にこれでもかと詰め込まれているのはアイスクリーム。

 水彩紙に書かれている文字は歪んでいる。思いついた悪戯に笑いを堪えながら書いたのだろうか。

「先生ったら、絵ほどには字が綺麗じゃないものね」

 憎まれ口を叩いていると「うーうー」と、彩人がアイスクリームに手を伸ばす。

 興味津々の大きな瞳。アイスクリームの綺麗な包装が気になるらしい。

「あーちゃんにはちょっと早いね。ちゅめたいからしまっておこうね」

 遙はアイスクリームを冷凍庫へ入れて、ぱたんと扉を閉めた。

 瑠璃子に会えなくてちょっと寂しい。

 彩人を抱いて居間に戻ると、卓の上にまた水彩紙が置かれている。

『不出来な弟子へ。汚い字で悪かったわね、ムキーっヽ(*`Д´)ノ』

「先生っ! 何処に居るんですかっ!」

 紙を握りしめて遙が叫ぶが、瑠璃子は姿を見せない。やはり、すでに立ち去ってしまったのだろうか。

 画材が詰まったトランクを片手に何を目的に何処を旅しているのだろう。遙がくすんと鼻を鳴らすと、ふわりと目の前に水彩紙が舞い落ちて来た。

『体に気を付けなさい、決して無理をしては駄目よ。私を越える才能を秘めた自慢の弟子へ…….。でも、あんたには絶対に負けないんだからねっ!』

「もう……。早く旅に出ちゃって下さい!」

 瑠璃子の負けず嫌いは、相変わらずのようだ。

 遙は握り潰した水彩紙の皺を手で丁寧に伸ばす。

 ……すると。


 『ま・た・ね・♪』


 先ほどと文面が変わっていて、しかも手を振る瑠璃子の似顔絵が描いてある。

 この程度の事は、瑠璃子にとって簡単な事なのだろう。

「はいはい」

 遙は卓に頬杖をつき、皺を伸ばした水彩紙をじっと眺めた。遠くに離れていても、ちゃんと心に留めていて声を掛けてくれる……。

 そう思うととても暖かい気持ちが胸にこみ上げて来る。遙は彩人を抱いて、ゆらゆら揺れながら幸せそうな笑みを浮かべた。

 ふと時計を見ると彩人にお昼寝をさせる時間になっている。眠気がゆるゆると遙を揺する、アトリエで使うエプロンを外すのも億劫なほど眠い。彩人と一緒にころんと横になって、タオルケットを小さな体に掛けた。

「はーい、あーちゃん。お昼寝しようねぇ」

 言い終わらぬうちに、あくびが出てくる。

 遙は抱き寄せた彩人のお腹をさすりながら、自分も微睡みに身を委ねた。


 ☆★☆


「ふにゃっ!」

 何やら夢を見ていたようだが思い出せない。

 はっ! と目を開けて、時計を見た遙は驚いて飛び起きた。

 すやすやと眠っている彩人をベビーベッドに寝かせ、台所へ飛び込むと急いで夕食の準備に取りかかる。

 指を切ったりしなかったのは幸いだが、寝ぼけているのでお皿を二枚割ってしまった。

 でも頑張った甲斐あって、食卓に並ぶ色とりどりの料理。

 満足げな笑みを浮かべた遙は、アトリエで使うエプロンをしている事に気が付いた。

「あ、いけない」

「てへへ……」と、一人で照れ笑い。

 その時。

「ただいま!」

 元気な声が、玄関から響いて来た。

「お帰りなさい」

 遙は笑顔で、ぱたぱたと出迎える。帰り道で一緒になったのか、夫と長男二人一緒のご帰宅だ。

 玄関で靴を脱いでいた幸一郎と慎吾が、遙を見て硬直した。

「……何?」

 穴が開くほどに見つめられ、二人の視線を浴びる遙は訳が分からない。

 慎吾は何やら脅えたように、遙を避けて居間へ駆け込んで行く。

「あん! ほら慎吾、手を洗ってうがいをしなさいっ!」

「……なぁ、遙」

「え? 何よ、さっきから二人してぇ」

 思わず、ぷっと頬を膨らませる。

 しかし幸一郎は、ゆるい笑みを浮かべるだけで何も答えず、洗面所へ向かい大声で慎吾を呼んだ。

「もう!」

 遙は訳が分からず、どんっ!と、床を踏み鳴らした。

 

 楽しい夕げ、団欒のひととき。茶館の営業を終えて戻った幸太郎を含め、家族みんなで食卓を囲む。

 幸太郎、幸一郎、慎吾。

 彩人の様子を見ながら食事を続ける遙の顔へ、何故か家族の視線が集中する。その違和感に耐えられず、ついに遙が声を上げた。

「もう、今日はみんな変よ! お義父様まで、私の顔に何か付いているんですかっ!」

 眉を吊り上げた遙に「うん」と幸太郎が、あっさりと答えた。

「え゛?」

 口元を引き攣らせて凍り付く遙。

「君は今日は何をしていたんだい?」笑いを堪えていた幸一郎が、いきなり吹き出した。

 慎吾はもくもくと黙って箸を動かしている。

(まさかっ!)

 不吉な予感に、遙は慌てて席を立つと洗面所へ飛び込んだ。

 明かりをつけて鏡を覗き込んだ遙は。

「いやあああああああああああっ!」

 家の屋根が吹き飛ぶほどの大きな悲鳴を上げた。

 鏡へと映った遙の額に『瑠璃子参上!』と、大きく綺麗な字が書いてあった。

 そして顔のあちこちには、色とりどりのカラーマ-カーの痕。瑠璃子が彩人と一緒に、遙の顔へ思うがままに落書きしたのだ。

「せんせい……よっく覚えていてくださいねぇ」

 地獄の底から響くような声を絞り出し、遙は顔の落書きを落とす為に蛇口をひねる。

(ん~でも、カラーマ-カーのタッチ、いきいきとしてるわね! 大きくなったら、あーちゃんに絵を教えてみようかな?)

両手で石鹸を泡立てながら「うふふ……」と楽しそうに笑う、どこまでも親バカの遙だった。

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