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「ラ・イ・バ・ル」宣言!

「ほらほら、瞳子ちゃん、瞳子ちゃんっ!」

 カウンターの内側、お客様からは見えない場所に身を潜めた遙さんが、押し殺した声で私を手招きされています。

 その表情はとても真剣で、私は思わず遙さんの背中に隠れるように、ぴったりと寄り添いました。お姿は黒いスーツにサングラス。帽子を目深に被り、丈の長いコートを羽織って、張り込み中の探偵さんか刑事さんのおつもりなのでしょうか。耳には丁寧にイヤホンまで付けていらっしゃいます。

 遙さんはいつも、お客様がいらっしゃる時には姿を見せられないのですが。

 やっぱり、何か特別な事でもあるのでしょうか。

「あ、あの……遙さん、そのお姿はいったい……いえ、どうなさったのです?」

「気が付いてる? 瞳子ちゃん。あなた、狙われているわよ!」

「ええっ!」

 遙さんが、いきなり怖い話をなさいます。

「ね、狙われている……って、わ、私がですか?」

 サイフォンの様子を横目で見ながら、私もひそひそと小声で問い返しました。

 考えてみれば、そんな事をしている暇はないのですが。

 今日は午前中からお客様の姿も多く、私はテーブル間をひっきりなしに飛び回っている状態なのです。

 でもそんな話をされたら、気になって仕事が手に付きません。

 お客様の前で、カップでもひっくり返したら大変です。


 それにしても困りました……。


 わ、私は誰に、ど、どんな理由で狙われているというのでしょうか。不安が胸を締め付けます。

 でも。

 ちらちらと、しきりにお店の中の様子を窺っている遙さん。

 遙さんの姿が見えているのは多分、私だけなのでしょうけど……。どちらかというと、遙さんのそのお姿の方がとっても怪しいです。

「あ、あの、遙さん?」

「瞳子ちゃん! 静かにしてっ、危険よ!」

「危険って……ですから、遙さん」

「私達だけでは駄目ね、すぐに応援を要請しないと」

「何処に応援要請するんですかっ……もう、遙さんったら!」

 私は尚も後ろから、遙さんの肩を人差し指でちょんちょんとつつきます。

「あん、何よぅー」

 振り返った遙さんがサングラスをちょっとずらして、頬を膨らませました。

「別にこっそり覗いたりしなくても、いいんじゃありませんか? 遙さんの姿が見える人って、滅多にいらっしゃらないでしょう?」

 私が素朴な疑問を投げ掛けると。一瞬、きょとんとした遙さんでしたが。

「それがねぇ、見えなくても感じる人って、結構いるのよ。ほーら、あ・そ・こ」

 遙さんは黒い帽子を脱いで、ぺったんこになってしまった栗色の髪をふんわりさせた後、真っ黒なサングラスを外しました。

 人差し指で、くいくいと指さす先。

「窓際奥のテーブルに座っている彼女、あの子は要注意ね。さっき、私の視線を感じたみたいだもの、びびびーっ! て、睨み返されたわ」

 肩を竦めた遙さんは「危ない危ない」とつぶやいて、カウンターの奥へ身を隠されます。

 ええと……。びびびーっ! ですか?

 遙さんのような存在が、見えてしまう体質なのでしょうか。興味を覚えて、私もその彼女が座っているテーブルへと、そっと目を向けてみました。

「あ、そうそう! 言い忘れていたけど、あなたを狙っているのはその子なのよ」

「え゛!?」

 は、は、は、遙さん、教えて下さるのが遅いですっ。

 ばっちり、彼女と視線が合ってしまいました。

 ああっ、またやってしまいました。


 もう……私は馬鹿です。

 

 視線がぶつかったその瞬間、きっ! と彼女のきつい瞳に射抜かれ、私はびくりと体を硬直させます。私をターゲットにしているという彼女は、硬い表情のまま組んでいた足を下ろしました。

 そのまま席を立ってテーブルの間を縫うように歩いて来ると、カウンターを挟んで私の目の前で立ち止まりました。

 驚きました、私と同じくらいの背丈です。

 私は背が高いのがコンプレックスなのですが、胸を反らした彼女は堂々としています。

 少しきつめの眼差し、肩までの髪はメッシュが入れられてシャープなイメージ。赤いルージュの唇が目を引きます。

「あなた、さっきから私の事をちらちら見ていたでしょう、一体何なのよ!?」

 少し、いらいらしているその口調。

「それは誤解なんですっ!」と、弁解のしようもなくて。

 ちらりと責めるような視線を遙さんに送ると、手を合わせた格好で私を何度も拝みながら、すまなさそうな表情をしてらっしゃいます。

 その遙さんの姿に、私は思わず口元が緩んでしまいました。

 ……あ、いけません。

 目の前の彼女のこめかみに、大きな怒りマークが浮き上がります。


 彼女は、ばん! とカウンターを手で叩きました。

 私は驚いて目を固く瞑り、思わず首を竦めます。

 その音は思いのほか大きく響き、他のお客様のたくさんの視線が何事かと集中します。

 店内が静まり返り、漂う気まずい雰囲気に感情が少しトーンダウンしたのか、彼女は幾分落ち着いた声で思いがけない事を言いました。

「もういい、面倒だから短刀直入に聞くわ。あなた、慎吾の何っ!?」

「……はい?」

 一瞬、その言葉を理解する事が出来ず、私は間の抜けた返事をしてしまいました。

 そして、それはまた彼女の神経を逆撫でしたようです。

「だから、慎吾とどういう関係なのっ!」まなじりを吊り上げて、詰め寄ってくる彼女。

 どんな関係かと、問われましても……。彼女の言葉の意味が理解出来なくて、私はきゅっと小首を傾げます。そして上、右、下、左へぐるりと視線を移しながら、じ~っと考えます。どう考えても、彼女に答えられる慎吾さんとの関係はひとつしかありません。

「沢渡さんは、当茶館のマスターですから。雇い主と従業員……ですね」

「あっ、あなた、私を馬鹿にしてるの!? それとも天然系!?」

 天然系という表現は分かりかねますが、私は決して馬鹿にしたりはしていません。

 でも怒りを顕わにしている彼女は、不満そうな表情で私を睨みます。何が悪いのか分かりません、私は何か間違っていたのでしょうか。

 ふと横目で遙さんを見ると、額に人差し指を当てて首を横に振っていらっしゃいます。

 あの、遙さん。後で責任の所在をはっきりとさせましょうね。生クリームをたっぷり巻いたロールケーキ、お預けにしちゃいますよっ!

 ……と、そんな不満を喉の奥に押し込んで、私は表情を改めました。

「お客様。私に失礼がありました、深くお詫びいたします。ただ他のお客様もいらっしゃいますので……」

 私は目の前の彼女に向かって、深々と丁寧にお辞儀をします。

 どうにか怒りをおさめてもらえないでしょうか、他のお客様にもくつろいで頂く事が出来ません。

 ですがその瞬間、ちらりと周囲を見回した彼女の顔が、ぼっ! と音を立てて上気しました。

「な、何よっ!」

 顔を真っ赤にした彼女は、バッグからもどかしそうに財布を取り出しました。

「もういいわ、おいくら?」

 おいくらと、尋ねられても困ります。

「いいえ、お代など頂くわけにはまいりません。まだ注文された品をお出しした訳ではありませんから」

「……そう、分かったわ」

 財布をぽんとバッグへ投げ込むように入れた彼女は、真っ直ぐな視線を私に向けました。

 光を弾く瞳は琥珀色。凜とした表情、強い生命力を感じさせる女性です。

「麗香」

「え?」

「麗香よ、私の名前。片桐かたぎり 麗香れいか、よく覚えておいて!」

 彼女……麗香さんはバッグを肩に掛け直して、さっと身を翻し足早に出て行ってしまいました。

 そのとても綺麗な歩き方、後ろ姿に見とれてしまいます。

 彼女の姿が見えなくなると、少しざわついていた店内に穏やかな雰囲気が戻ってきました。

「あらあら、可愛いわねーあの子。なるほど、なるほど……」

 腕を組んで、うんうんと頷いている遙さん。

 私は息を大きく吸って、胸を反らせます。

「遙さんっ! さっき言い忘れたっておっしゃいましたけど、わざとですね!」

 絶対に間違いありません。酷いです、彼女がずっと私を見ている事を知っていらしたのでしょうに。睨まれて、とても怖かったんです。

 ちょっぴり浮かんだ涙を、指先で拭った私が恨めしそうに言うと、

「バレちゃった? ごめんなさいね」

 遙さんは、決まり悪そうに苦笑いをされました。

 それにしても凄い迫力でした。麗香さんは、慎吾さんのお知り合いなのでしょうか。

 それともひょっとして、い、今のは……。い、いいえ、そんな事はありませんよね。

「ひょっとしなくても、あれはライバル宣言ね!」

「ラ、ライバル宣言!?」

 遙さん……今、ひょっとした私の心を読みましたね?

 え、ええと、とっ、と、と、取り敢えず落ち着かないと。

「あの、遙さん?」

「何?」

「ええと、じゃ、じゃあ麗香さん……は、その、し、し、慎吾さんの……」

 もじもじしながら私が尻すぼみの声で問い掛けると、遙さんはじーっ私の顔を見つめます。

「うふふふふ、気になる? 気になる?」

 遙さんはとても楽しそうに、にんまりとした笑みを浮かべられています。

「き、気になんてなっていません。今日の遙さん、意地悪です。ロールケーキは、私がひとりで食べちゃいますからっ!」

「あ、あ~っ、瞳子ちゃん、そんなのずるいっ!」

 食いしん坊の遙さんが、慌てて私のジャケットの袖を掴んでぶんぶんと振ります。

 食べ物の事になると、頼りになる大人っぽい姿は何処へやら? 遙さんはまるで子供になってしまいます。

 ツン! と、そっぽを向いた私は、静まりかえっている店内でお客様に注目されている事に、ふと気付きました。 

 ……そ、そうですよね。遙さんの姿が見えているのは、私だけのようですから。相手も居ないのに、ひとりでしゃべっているように見えますよね。

 だ、駄目です。顔が真っ赤になって、火照り出しました。

 私は恥ずかしさに耐えられずに、慌ててカウンターの奥へ逃げ込みます。

「ほらほら、イライラしないの。いつもの瞳子ちゃんらしくないわよ?」

 カウンターの奥には、相変わらず意地悪な笑みを浮かべている遙さん。

「もうっ! イライラなんて、していませんっ!」

 自然と声が大きくなってしまいます。

 麗香さんからの『ライバル宣言』に……私の心は、穏やかではいられないのでしょうか。



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