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黒衣の画家(後)

 ご飯を済ませた私は、自室へと戻った。

 お酒を一杯飲もうか……そう思ったけど、たくさん食べちゃってお腹がぱんぱんだわ。それに今アルコールを飲んじゃうと、捜索の精度が下がるものね。

 うぷ、食べ過ぎて苦しい。でも食休みなんてしていられない。スケッチブックの前に座り、再び精神を集中する。暗闇を探るように、慎重にイメージを求める。私が目星をつけた街で、その子が暮らしているのは間違いない。

 どんな笑顔なの? どんな泣き顔なの? 怒った顔は? 拗ねた顔は?

 様々な色が、私の心に溢れ出す。

 それは混じり合うことなく、存在を示すひとつひとつの情報として私の意識へと流れ込む。意識の奥深くで激しくうねりせめぎ合う、狂おしいほどに鮮やかな色彩。

 やがて絡み合う色の情報はひとつの形、少女の姿としてくっきりと現れた。

 なるほど……女の子ね。歳は十七歳、まだ高校生か。

 肩までの黒髪。可愛いというよりも、綺麗って雰囲気。性格は受動的で大人しい、優しい子みたいね。きちんとした倫理感を持っている。 

 でも……天然系って?

「みーつけたっ!」

 今すぐにでも飛んで行きたいけど、もう真夜中だって。我慢我慢、落ち着け私。

 大きなあくびをひとつすると、毛布にくるりとくるまってごろんと寝転ぶ。

 疲れた……長い月日をかけて、溜めた力を使い果たした感じ。

 あ~いけない、歯だけは磨かなきゃ。のろのろと身を起こす。 

 今夜はきっと、夢も見ないわね。


 ☆★☆


 お昼過ぎに目を覚ました私は、シャワーを浴びて火照った体が落ち着いてから、ゆっくりと身支度を整える。黒いブラウス、黒いタイツに丈の長いスカート。ファンデーションを塗り、赤いルージュを引く。

 黒い外套を羽織り、黒い手袋をはめ、黒い帽子を被った。

「じゃあ、行ってくるわ」

 誰も居ない部屋へ言霊を残すのは、必ずここへ帰って来るという願掛け。

 階段を静かに降りた私は、食堂へ入った。横柄な態度で静寂が横たわり、人の気配は全く無い。

 静かに踵を返そうとした時、

「瑠璃子……」

 厨房から顔を覗かせたおじさんに、呼び止められた。

「おじさん、居たの」 

 おじさんは、ぽりぽりと頬を掻く。

 何か言いたそうな表情、私が向かい合うように姿勢を変えると、おじさんは口を開いた。

「あのよ。昨夜ユキナに聞いたんだが、ひょっとして、あいつの所で頼まれた人探しって……あいつの子供か?」

「そうよ。鋭いわね、おじさん。驚いて、女の子よ。お・ん・な・の・こ!」

「お前、もう見つけたのか!」

「ええ」

 えっへん。自慢げに頷いて、ついでに胸を張る。

 結構苦労したけど、それは言わない。

 おじさんは目を丸くした後、思い詰めたような顔になった。

「なぁ瑠璃子、何とかあいつに会わせてやれねぇのか?」

 視線を床に落とし、私は黙って首を横に振った。

「ごめんなさい、私にはそこまでの力がないの。あいつは店から離れられない。その子を連れてあいつの店を探して渡り歩く事なんて、私にはとても出来ないの」

 私の答えを予想していたのだろう。おじさんは、さほどがっかりしなかったようだ。

「瑠璃子、無茶を言ってすまねぇ。お前だって、そんな格好をしていないとヤバいんだものな」

 驚いた。

 私の心配なんて、しなくてもいいのよ?

 でも嬉しい、ちょっぴりくすぐったいけど。

「大丈夫よ、あいつは自分の娘を大切に思っていて、私に消息を確かめて欲しいと頼んだ。そして私は了解した……ここに私とその子の縁が出来た、そうやって縁は広がっていくの」

 黒い帽子のつばを、すっと人差し指で撫でる。

「あいつとあの子は親子よ。それだけでも、浅からぬ縁で繋がっている。強い縁があれば、いつか必ず会えるわよ」

 私はおじさんに、精一杯明るく微笑んだ。


 ☆★☆


 今日は時折、太陽が雲に隠れ昨日のような苦しさを感じない。私は体の温度上昇を緩和させながら、ゆっくりと通りを歩く。何かを暗示しているのか、うるさい蝉の鳴き声も聞こえない。

 程なく私は、目的の公園へ辿り着いた。

 生い茂る木々に身を隠し、そっと公園内の様子を窺う。 

 大きな木の木陰、砂場で遊んでいるのは幾人もの幼い子供達。

 そして、その子達に目を配りながら、ベンチに座って本を読む少女の姿。

 ……何か私、張り込みしている刑事みたいね。

 あんパンと、牛乳を想像するのはなぜかしら?

 ダメよダメダメ、様子を窺っている場合じゃないわ。

 風が黒い外套を巻き上げる、私は広い公園に足を踏み入れた。夏の日差しに乾いた土を踏んで歩く、芝生の濃い緑色が眩しい。

 活字を目で追う少女を視界に捉える。うん、優しそうな子ね。地味だけど、きちんとした紺色のセーラー服。

「こんにちは」

 こんな真夏に暑苦しい姿なので、驚かせてはいけない。

 しかし少女は私を見ると、ベンチに下ろしていた腰を少し横に移動させて、

「こんにちは」と、柔らかく微笑んだ。

 ううっ、とても良い子だわ。

「この子達、あなたの子供なの?」

「え、ええ!?」

 心底驚いたような顔をしている。なるほどねー面白い反応、もっとからかいたいけど。

「冗談よ。小さい子の面倒見ながら勉強なんて、感心ね」

「いいえ、そんな……」

 少女は照れたように頬を染め、学生鞄に本を仕舞った。

 まだだ、まだ私は確信していない。 

「隣、ごめんなさいね」

 少女が了解する前に、すとんと隣へ座る。

「ねぇ、あなた」

 そっと話しかけてみる。

「はい?」

 素直な瞳が、私の姿を映した。

 ああ、そうだ、この瞳の色だ。あいつの瞳と同じ色、深い紫色……『すみれ色の湖』

 私には、とても信じられない。あいつから受け継いだ強大な力が、こんなにも安定して人間の少女の瞳の中に存在している。

 その瞬間、私の体に流れ込んで来た暖かな感情。双眸から涙が溢れ出し、堪えきれなくなった私は隣に座る少女を、いきなりぎゅっと抱きしめた。

「あ、あの!?」

 怖がらせたかな、少女が体を堅くする。

 でも――。

「もしもし、どこかお加減が悪いのですか!? 大丈夫ですか!?」

 少女は気遣う言葉と共に、優しく背中をさすってくれる。 

 私はその時感じていた。母親となるあの娘は、この子の瞳に宿る力を封じ込めるために。この子をお腹に宿したままで、どんなに辛い思いをしたのだろう、苦しい思いをしたのだろう。

 生まれ来る我が子へ懸命に注いだ、深い愛情と慈しみ。そして、愛する彼……あいつへの一途な想い。自らの命と引き替えにしてまで、貴女はよくこの子へ光を与えてくれた。

 私は、心より貴女に敬意を表します……。

「ごめんなさい、色々とこみ上げて来ちゃって」

 懐から黒いレースのハンカチを出して涙を拭い、ついでにちーんと鼻をかんだ。

 まだ心配そうな少女に、赤く腫れた目で微笑んでも説得力など無いけど。

「あなたの名前、聞いても良いかしら?」

「えっ! あの……」

 少女は口ごもった。

 無理もない。いきなり抱きついて、びーびー泣き出す怪しい女に名前など教えてくれないか……。

 でも。

「……川瀬 瞳子です」

 掠れる声が耳に届いた。

「それは違うでしょう? 親戚の姓じゃなくて、あなたの姓よ」

 すかさず突っ込む、少女は驚いたように私を見た。

 多分この子は、私の姿に何かを感じているはず、ちょっと鈍そうなので自信はないけど。

 光の加減で紫色に見える瞳の中で、頼りない光が揺れている。一度俯いて、唇を噛んだ少女は顔を上げた。

「水無月……水無月 瞳子です」

「ん、よろしい。瞳子ちゃん、あなたのお父さんもお母さんも、お互いに心から愛し合っていたわ。あなたは二人の愛情をたくさんその身に秘めて、この世界に生まれたの。大丈夫、誇りを持ちなさい。この私、黒衣の画家、真行寺 瑠璃子が保証するから」

 うあ……私、今何を言った?

 ストレートに伝え過ぎ。これじゃ、怪しい電波受信しているお姉さんじゃない。

 しかもフルネーム名乗っちゃった。しかも、そのままのふたつ名まで。 

「あ、あのっ! あなたは私の両親をご存じなんですか!?」

 すがるような瞳を私に向ける。

 あ、聞いてくれてた。

 でも、これ以上私に答えられるはずもない。

 その時……。

「お姉ちゃん、お腹空いたー」

「あたしもー」

 わらわらと駆け寄ってきた子供達が、口々に訴えかける。

 瞳子ちゃんの手を引く子供達の表情からは、彼女を信頼している事がよく分かる。

「ほら、子供達が帰ろうって」

 瞳子ちゃんは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに学生鞄を提げてベンチから立ち上がった。

「うん。じゃあ、帰ろっか!」

 子供達に、明るく優しい笑顔で答える。

「お姉ちゃん、早くー」

「お姉ちゃんと手をつなぐのは、あたしー」

「あーっ、ずるいぞ!」

 私を見た瞳子ちゃんは、一瞬何か言おうとしたのか唇を開きかけた。

 ほんの、ほんの僅かな間逡巡した後。静かに微笑むと、さっぱりとした表情で深く丁寧にお辞儀をした。子供達に囲まれて彼女は家路につく、住んでいる施設の名前は……聞いておかなくてもいいだろう。瞳子ちゃんの後ろ姿を目に焼き付け、私は踵を返した。

 うまくいった。

 抱きついた時に彼女の心の中に少しだけ、私の存在の欠片を残して置いた。彼女に危機が訪れた時、きっと役に立つはずだから。

 あの瞳は、それだけの力を持っているのだから。


 ☆★☆


 部屋へと戻り、疲労感でぐったりとしながらも、私はあの子の『縁』に興味を覚えて辿ってみる。

 そっと、運命の糸をたぐり寄せる……。

 その時、私の脳裏に広がった色は、鮮やかなエメラルドグリーン。この色の光を纏う女を、私は一人しか知らない。

 はるか、ハルカ、沢渡 遙……。

「また、あんたかっ!」

 天然娘の遙は私の弟子だ。ええい、何だってあんたが……。私は床に転がって、じたばたと手足をばたつかせて駄々っ子のように喚く。ぱたりと床に大の字になったままで、じっと天井を見つめた。

 でも、遙との縁なら私も安心だわ。遙ならきっと、あの子をちゃんと導いてくれるだろう。

 ふと気が付くと、窓の外はもうとっぷりと日が暮れていた。

 あら、もう夜なの? 随分と長く、ここで過ごしたものね。

 私はふと思い付いて、スケッチブックを手に取ると鉛筆を走らせる。少し時間が掛かったけど、小さな古い喫茶店の絵が出来上がった。


 ☆★☆


 翌日の朝早く。

 ……旅支度は終わった。

 今から、あいつに会いに行く。娘の話を聞いたら、どんな顔をするのだろう。

 少し長い旅になるけれど。私にとって、時間はそれほどの障害にならない。

 ただ、深い孤独に飲み込まれなければいいだけだから。

 特別にお土産も用意した。緑色の屋根をした小さな喫茶店のスケッチ。父娘が対面出来るかもしれないから、その道標になればと思って描いた。

 あいつに会ったら、伝える事を伝えたら、私はまたここに戻ってくるつもり。

 いや、戻って来なきゃならない。

 遙のヤツ、私まで巻き込んでどうするつもりなの? まだ教わり足りない事があるのかしら?

 ううん、違うわね。私が興味を持ったのよ。

 あなたの時と同じ。ほんの少しだけ、あなたの息子に力を貸してあげるつもり。

 待っていなさいね、彩人君。いつになるか分からないけれど、近いうちに必ず顔を見に行くわ。


 そして瞳子ちゃん。私はもう、あなたに会う事はないでしょう。

 これから色々とあるのだろうけど……。

 あなたを大切に思ってくれる人達との、大切な絆を信じて頑張ってね。

 私は心から応援しているわ。

「じゃあ、行ってきます」

 トランクを手にした私は部屋へと言霊を残し、静かに扉を開いた。

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