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Old Brothers

 郊外ならではの広い敷地内を見渡すと、一般大衆車から高級車までがずらりと並ぶ。

 自動車の群に埋もれるように、『沢渡オートアドバイザー』という看板をちょこんと掲げた店舗兼事務所が建っている。

 展示されているのは全て中古車だが、きちんと整備が行き届いていて、どの車もボディへ顔が映るほどに輝いている。

 フロントガラスに掲げられたプレートには、ポップな字で大きく車両価格と年式、走行距離など事細かに情報が書かれている。おすすめの特選車に飾られているのは、色とりどりの造花をあしらったアーチだ。どの車も綺麗に着飾って主となる人を待っている。

「おう兄貴!」

 所々にオイル染みがある作業用のつなぎを着た幸司は、肩に掛けたタオルで汗を拭くと事務所の入り口に突っ立っている兄、幸一郎へと声を掛けた。

 痩せ型で背が高く眼鏡を掛けた幸一郎はどことなく神経質そうだ。役所勤めできっちりとスーツを着込んだ姿勢の良い姿は、まさに公僕といったところか。 

 中古車販売会社を経営する弟の幸司は小さな会社ながら一端(いっぱし)の社長だ。社員と共に整備工場で仕事をすれば、どうせ汚れるので年中つなぎを着ている。

 兄弟だけあって幸一郎と幸司は姿形がよく似ているのだが、二人を見比べてみると随分と印象が違って見える。

「すまないな幸司。仕事中に……元気か?」

 確かに仕事中だが几帳面な幸一郎はきちんと連絡をして、休憩時間を見計らって来るのだ。幸司は相変わらず仏頂面の兄を応接室へ招き入れ、二人はソファへと体を沈めて一息ついた。

「おかげさまでな、元気だよ。こっちこそ悪いな、夜は寄り合いやら何やらであんまり時間が取れなくてさ。智ちゃん、ごめん。悪いけどお茶を淹れてくれないかな」

 事務の智子にすまなさそうにお茶を頼むと、幸司は兄の顔をちらりと見る。

「今日はまた一段と渋い顔してるなぁ兄貴」

「いつもと変わらん。渋い顔で悪かったな」

 幸一郎の答えは愛想もくそもない、変わらぬ兄の様子に幸司は苦笑した。役所勤めの生真面目な兄、融通が利かなくて叩いても割れない石頭だ。

「彩人から電話はあったか?」

「おいおい、またその話かよ」

 やっぱり開口一番に聞くんだな、いい加減に子離れしろよ。

 幸司はげんなりとした表情になった。

「そんなに心配なら俺に聞く前に直接電話しろ。彩人は兄貴の息子だろうが」

「なっ、何を言う! わ、私は心配などしていないっ!」

「まったく、素直じゃねえなぁ」

 テーブルに茶碗を置いた智子がくすくすと笑っている。度々目にする光景なので見慣れてしまったのだろう。

「あのなぁ兄貴。何度も言うけど、そんなに息子が心配なら勘当なんぞするんじゃないよ。彩人は良い子じゃないか、慎吾よりも手は掛からなかっただろ?」

「どっちもどっちだ。親不孝者という意味では変わらん」

 (こっ、この石頭が……)

 口をへの字に結び腕を組んで半眼で答える幸一郎に、幸司は思わず鈍く痛むこめかみを押さえた。

「まぁ食えよ、兄貴。この“かりんとう”は美味いぜ」

 気を取り直して少し兄の気分を和らげようと、幸司は木製の菓子鉢に盛られたかりんとうを摘み上げ、ぼりっといい音を立ててかじる。

 歯応えと黒砂糖の風味が何とも言えない、幸司がお気に入りのお茶菓子だ。

「甘い物はいらん」

 しかし甘味に興味が無い幸一郎は、かりんとうに見向きもしない。

 幸司は差し出した菓子鉢を仕方なくテーブルへ置いた。

(あんな良い子達に育ったんだ、贅沢この上ないぞ馬鹿兄貴。遙ちゃんに感謝してんのか?)

 幸司にも高校生で一人娘の一美がいるが、兄が要らないのなら慎吾でも彩人でも喜んで家に貰うつもりだ。

「ほんっとに意地っ張りだよな兄貴は、彩人からの電話はないよ。知らせが無いなら元気な証拠だって言うだろ」

「何度も言わせるな、いいか? 私は断じて意地など張っていないし心配もしていない。ただあの世間知らずが人様に迷惑を掛けていないか、それが心配なだけだ」

「彩人が世間知らずだって? 思ってもいない事を言うなよ」

 あまりに意地の張り過ぎだ。

 そっぽを向く幸一郎に、呆れた幸司は諫めるように言った。

 「それより再開店してから随分と経つよな、兄貴は茶館へ行ってみたのか?」

 これ以上は彩人の話に触れない方がいい。

 そう考えた幸司は茶館の話を持ち出した。

「いや、行っていない」

「これだよまったく。俺は開店の日に挨拶に行ったんだぞ」

 ぼそりと答える幸一郎、溜息をついた幸司は天井を振り仰いだ。

「いきなり茶館を再開店させるという馬鹿長男の無茶な頼みを聞いてあちこち連絡したんだ、私がどれだけ苦労したと思っている。それに私は知らないからなと慎吾に言っておいたはずだ」

「そりゃ役人の兄貴が公の手続きに詳しいからだよ。それに後は慎吾がひとりで全部やったんだろ。あのなぁ、親父や遙ちゃんが大事にしていた店なんだぜ? 知らん顔は無いだろう、薄情じゃないか」

 ほんの少しだけ強い口調で言った幸司は、茶碗を持ち上げて煎茶をすすった。

 しかし、まさか慎吾が「画廊茶館」を再開店させるなどと言い出すとは思わなかった。

「まぁ、兄貴は公務員だから下手な事は出来ないし。そりゃ、俺も兄貴の気持ちが分かるけどな」

 幸司は兄がどれほど、先妻の遙を大切にしていたのかよく知っている。その事を考えれば幸司も強くは言えない。

 兄にとってあの茶館には、遙の思い出がありすぎるのだろう。

「それでも、水無月さんには一度会っておけよ。彼女は良い娘だぜ? べっぴんさんだしな」

 幸司は意味深な笑みを浮かべた。

「優しくて器量良しだって、商店会長も言ってたぞ? へへへ、こりゃあひょっとして、ひょっとするかもな」

「どう言う事だ?」

 不機嫌そうな幸一郎は、へらへらと笑う幸司を眼鏡の奥からじろりと睨み付けた。

「どうもこうもないよ、そういう事さ。慎吾と水無月さんはお似合いだなぁ。彼女は、あいつの嫁さん候補筆頭かも知れないぜ?」

「ふん、またお前がくだらん冗談を言う! あんな風来坊を相手にしてくれる女性などいるものか」

 幸一郎は鼻で笑い飛ばす。自分の息子だろうに、また随分な言種だ。 

「……それにな」

 表情をあらためた幸一郎は、小さなため息をついた。

 不意に目にした兄の肩を落とす姿に、幸司は眉をひそめる。

「私は茶館に関わらない事にしたんだ」

「どうしてだよ?」

「お前も知っているだろう、あの店は少し変わった店だ」

 幸一郎の眼鏡の奥、目尻に皺が浮いている。 

「茶館はもう随分昔に遙を失い、永い眠りについてしまった。しかし今、私の力添えなど無くても、茶館はその眠りからちゃんと目覚めた。……舞台の筋書きが変わったんだよ、もはや私の出番は無いという事さ」

 つまらなそうに言って、幸一郎はソファから立ち上がった。

「それに私は、茶館を取り壊そうとしたんだぞ?」

 悔いているような、兄の表情。

 つま先に視線を落とし、幸司はわざと見ない振りをした。

「もう帰るのかよ?」

「お前も、そろそろ休憩が終わる時間だろう」

 幸司は壁の時計を見て、ぬるくなった残りの煎茶を飲み干した。

「兄貴、紫織さんによろしくな。何とか都合を付けるから、また家へ遊びに来いよ。旨い肴を用意するから一杯やろうぜ」

 遙を失ってからというものの、なかなか大変な本家の状況だが。

 兄が再婚した女性、慎吾と彩人の継母になる紫織さんに任せておけば大丈夫だ。

「心配だろうが、彩人なら大丈夫だよ」

「だから、私は心配などしていない。まぁいい、邪魔をしたな……幸司」

 幸一郎は、振り向かずにぽつりと答える。

 兄がどんな表情なのか幸司には分からなかったが、その後ろ姿がやけに小さく見えた。事務所で智子にお茶の礼を言うと、兄は振り返りもせずにさっさと帰って行った。

「やれやれ……」

 兄を見送った後、幸司は時計をちらりと見ると、再びソファに身を投げ出した。

 ふと甥っ子、彩人の事を思う。

 幸司に懐いていた彩人は、遙に連れられてよく家に遊びに来ていた。

 幼い頃は女の子のような容姿だった。まるで遙のミニチュアが手を引かれて、とことこ歩いている様子が微笑ましく思えたものだ。

 そして幸司は、あの冬の日を忘れない。

 突然会社に姿を見せた雪まみれの彩人が、進路について父と大喧嘩したと言った。

 よほど悔しかったのだろう、血が滲むほどにきつく唇を噛みしめていた。話し合いにすらならなかったと、俯いて肩を震わせ拳を握りしめていた。

 あの大人しい彩人がと、幸司はどれだけ驚いたことか。

 現役で大学入試を突破した彩人は高校を卒業して上京し、喫茶店の二階に間借りして美大に通っている。

 優しい顔をしているが芯が強い子だ。こうだと決めた己の信念を曲げるような事は絶対にしない。

 幸司はそれをよく知っている。

 心配はない、彩人はきちんと大学を卒業するだろう。

「しかし、あれこれと迂闊なことが言えなくなったよなぁ」 

 首を捻って苦笑する、これからは上手く立ち回らなければならないだろう。

 兄には黙っていたのだが、この間も彩人から連絡があったばかりだ。元気にやっているようなので、幸司は紫織さんにそっと知らせておいた。

 しかし彩人の兄、慎吾からは再開店した画廊茶館の事を、彩人に黙っていて欲しいと頼まれている。慎吾の事だから、何か考えがあるのだろう。

 茶館は固く閉ざしていた扉を、再び開く事になった。

 どんな経緯で、水無月さんが茶館で働く事になったのか幸司は知らない。

 台本を渡される事がない兄も自分も、どうやら役者の内には入っていないらしい。

 しかし、それでもじゅうぶんだ。

 それなら喜んで裏方を引き受けてやると、幸司は考えている。

「分かってないよなぁ兄貴は、俺達でないと出来ない事だってあるんだぜ」

 幸司は勢いを付けて、ソファから立ち上がる。

 さて、仕事を始めよう、休憩時間を二十分もオーバーしてしまった。

 社長がこれでは、社員達への手本にならない。今日は車検が二台に代車との入れ替え、オイル交換が何台も待っている。

 商売繁盛! ありがたい事だ。

「そうそう、仕事仕事っ! これだけは、真面目な兄貴を見習わなきゃあな!」

 そうつぶやいて気持ちを切り替え、幸司はぐるぐると腕を回しながら整備工場へと入っていった。

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