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大切なもの

 「瞳子ちゃん、綺麗でしょう? この絵は油彩画よ。モチーフは紫陽花、近くからだと筆のタッチが大きく見えてしまうから、観賞するには少し離れてね」

 遙さんはそう言って、壁に飾られた絵を指さしました。

「浅野さんっていってね、自然に咲く色々なお花を描く事がとても好きな方だったのよ。カキツバタとか、山シャクヤクとかね」

 遙さんの綺麗な指先が、絵を収めた額縁をそっとなぞります。

 暑い夏も過ぎ去り、何をするにも良い季節になりました。朝夕が涼しくなり、日に日に深まっていく秋の気配。

 茶館では一日の中で、お客様が数多くいらっしゃる時間帯は、だいたい決まっています。

 お客様の波が途絶えた頃を見計らったように、遙さんは茶館にいらっしゃいます。

 昼下がりの茶館でお茶を楽しみながら、穏やかな時間の流れの中で遙さんのお話を聞くのです。

「静物画がお好きだったのは西村さん。この絵は水彩画よ、光の表現が巧みでしょう」

 遙さんは本当に楽しそうにお話されます。

 茶館に飾られている絵を描かれた方についても、それぞれ事細かに覚えていらっしゃるのです。

「あのね、結城さんは奥さんの肖像画ばかり描かれていたわ。もう奥さんに惚れ込んでいらして!」

 肖像画に描かれている奥さんが、描き手である旦那様に向ける信頼と優しさを感じる笑顔。そんな夫婦の信頼し合う心の様子が、とてもよく現れています。 

「もう古い話ね、お義父様が茶館のマスターをしていらした頃だもの」

 遙さんはその頃、茶館でウエイトレスとして働いていらしたのだそうです。

 毎週のように茶館で開かれていた品評会。そんな賑やかな茶館の様子を想像するだけで、私も自然と笑みがこぼれます。

 「あの、遙さんも絵がお好きなんですよね、描いたりされなかったのですか?」

 画材や絵画の技法などについても、遙さんはとても良くご存じなのです。

 私の問いに遙さんは微笑んで、

「そうね。観賞することも描くことも好きだったわ、とにかく絵に関わっていたかったから」

 小さいけれどしなやかな手で、まるで筆を持ちキャンバスに色を乗せるようなその仕草。

 どこかうっとりとしたその表情。

 私は、何かにひたむきに気持ちを傾けるという思いを知っている遙さんを、羨ましく思いました。

「じゃあ遙さんの絵も、お店の中に飾ってあるんですよね」

「え? うふふ、私の一番大切なものを描いたのよ。分かる?目に入れたって、痛くないっていうでしょう」

 くすりと笑った遙さんは、つん! とそっぽを向いてしまいました。

「あ、いじわるです」

 私の非難も耳に届かぬ風で、遙さんは知らん顔。

 遙さんの絵が見てみたくなった私は、店内の壁に飾られている絵を一枚ずつ眺めていました。

 まだ説明を聞いていない絵を探していきます。  

「あら……」

 ふと気づくと、目の前に遙さんの姿がありません。確かにカウンターに座っていらしたのですが、その姿が忽然と消えてしまったのです。

 遙さんの存在を考えれば何でもないことなのですが、急に姿が見えなくなればやっぱり心配してしまいます。

 その時、背後に気配が!

「きゃあ!」

 私は驚いて数歩跳びすさります。

 一瞬我が目を疑いました。

 いつの間にやらカウンターに入り込んだ遙さんが、冷蔵庫の前で私に背を向けていらっしゃいます。

「とうこひゃん、おいひいわひょ」

 振り返ってそう言った遙さんは、冷蔵庫から何やら取り出して、もぐもぐ食べていらっしゃるではないですか。

 よく見ると、遙さんが手に乗せているお皿は……。

「あっ! 遙さん、そのチーズケーキ!」

「え? うん、良く出来てるわね。チーズクリームの風味が豊かで生地もしっとりしてる、とっても美味しいわよ」

「美味しいわじゃありません! それはお店が終わったら、お出ししようと思ってたんです。もう半分食べちゃったんですか!?」

 すると遙さんは怒られた子供のように、上目遣いで私を見ながらまたチーズケーキをフォークですくってぱくっと口の中へ。

「だって、お腹が空いたんだもん」

 フォークをくわえたまま、拗ねたような口調でぽつりと一言。

「もう、子供みたいなんですから!」


 あ? こども、コドモ、子供!?

 

 そういえば、遙さんは大切なものって言われました!目に入れても痛くないものと言えば。

「分かりました、遙さんの絵!」

 私は声を上げて、茶館の壁に飾られている絵の中から一枚を指差しました。

 画材や技法については分かりかねますが、優しい色合いの温かい雰囲気の絵です。

 幼い子供が二人、黒髪で逞しい感じの男の子と、栗色の髪で可愛らしい男の子が描かれた絵。

 よく見れば栗色の髪と瞳をした男の子は、生き写しといえるくらい遙さんにとてもよく似ているのです。

「あらあら。恥ずかしいわね、分かっちゃった? 私の子供達を描いたのよ」

 遙さんは気恥ずかしげに、はにかみました。

 満面の笑みを浮かべたお兄ちゃんが、照れた様子で前に立っている弟の両肩に手を置いていて、絵からは二人の仲の良さが伝わってきます。

 そして、遙さんが幼い子供達に注ぐ温かい愛情も。

「お兄ちゃんは慎吾さんですね、よく分かります! 下のお子さんは……」

 興奮していた私はそこで言葉を切り、カウンターから身を乗り出して、じ~っと絵を見つめます。

「あの、遙さん。下のお子さんは男の子ですよね?」

 遙さんは、空になったお皿をコトリとカウンターへ置き、

 「うふふ、やっぱりそう見える? その子、名前は彩人あやと、間違いなく男の子よ」

 そう言うと堪えきれなくなったのか、お腹を抱えて笑い出されました。

「あ、良かったです」

 私は目を擦って、もう一度じっと絵を見つめます。

 とても可愛いらしいので、女の子かと思いました。

「きっと今頃、くしゃみしているわね」

 目尻の涙を拭いながら、遙さんはまだ笑っていらっしゃいます。 

 遙さんの人柄を感じられる、優しく温かい雰囲気の絵。

 二人の可愛い子供達は、絵のモデルになっている事が分かっていたのでしょうか。自分達を見つめるお母さんの真剣な眼差しに照れている、そんな幼い兄弟の絵を私はもう一度見つめました。

「瞳子ちゃんのチーズケーキ、とっても美味しかったわ。今度は一緒にガトーショコラを作りましょうね。私、得意なのよ!」

 遙さんは楽しそうにそう言って、ウィンクをひとつ。 

 また楽しみがひとつ増えました。

 でも、結構な大きなチーズケーキだったんですけど。

 遙さん、そんなに食べて大丈夫なんですか?

 

 私は、ちょっと羨ましくなりました。

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