2話 ラッキーパーソン?
今日の天気は1日中雨。朝から徐々に雨足が強くなって、帰宅時間が一番強い雷雨になりそうだと新人のお天気お姉さんが噛みながら話していた。
それだけでもテンション下がるのに、占いではしし座が最下位だった。いつもは占いなんて気にしないのに、今日はやたら気分が落ち込む。
‘’折が合わない人と出会ってピンチ。意地を張らずにうまく折り合いをつけよう‘’
ラッキーパーソンは、眼鏡をかけている人。
運気を上げたくなり、眼鏡をかけているクラスメイトや先生を多数思い浮かべ、隣の席の荻野もダサい眼鏡をかけていたことを思い出した。
だが、信じられるのは他人ではなく自分。自分が眼鏡をかけてラッキーパーソンになれば、ピンチを防ぐ確率が上がる、かもしれない。
ということで今日は、上の方だけグレーのフレームがあるハーフリムタイプの伊達メガネをかけてきた。メガネはイケメン度合いが半減するが、1日だけならいつもとは違う新鮮さが勝って好感をもたれる。
「おはよう、テルくん! 今日メガネじゃん!」
「メガネ似合うんだけどぉ!」
「てか、メガネイケメンとかヤバッ!」
「やっぱテルくん、ちょーかっこいいんだけど!」
思った通り、昇降口から教室に入るまで女子の称賛の嵐。同じクラスの陽キャ女子たちが席まで後を追ってきた。
すると、廊下の窓から元同じクラスの女子たちが顔を覗かせ、話しかけてきた。
「1年の時も、何回かメガネかけてたよね」
「そういえば、メガネ変えた?」
「伊達って言ってたよね? オシャレでメガネ変えるとか、さすがテルくんだよね」
「それな。イケメン以外許されない」
その発言は容姿差別だろと、笑顔を浮かべながら心の中で突っ込むと、現同じクラスの陽キャ女子たちが眉間にシワを寄せて怒りの表情を浮かべた。
「違うクラス、うざいんだけど」
「あたしらが先にテルくんと話してたんだけどぉ」
「てか、マウントとらないでよー」
「自分のクラス戻ってくださーい」
そこからは俺を挟んで、悪口の応酬。口の悪い女子は耐えられない。
「ごめん、俺、ちょっとトイレ行くから」
椅子を引いて立ち上がった時、何かにぶつかり、背後でドスンという音が聞こえた。振り返ると、隣の席の荻野が床に倒れていた。
「あっ、ごめん! 大丈夫?」
慌てて駆け寄り、腕をとって起こそうとすると、手が触れる前にさっと立ち上がった。機敏な動きに驚きながら、床に転がっている鞄を渡して再び声をかけた。
「怪我してない?」
荻野は奪うように鞄を受け取り、会釈をして冷たく硬い声ではっきりと言った。
「大丈夫です。わざとじゃないならいいんで」
思ってもいなかった反応に面食らって固まっていると、荻野はこちらを見向きもせず、自分の席に座って鞄から教科書などを取り出して引出しにしまい始めた。
恥ずかしさで目も合わせず、もごもごと何かを呟いて去っていく女子はいたが、あんなに冷たい態度をとられたことは初めてだった。よっぽど痛くて、俺に見惚れるよりも怒りが勝っているのかもしれない。もしそうだとしたら、ここでスルーしたら後味が悪くなりそうだ。
「ほんとに大丈夫? わざとじゃないけど、怪我させてたら悪いし、一応保健室とか」
怒っている人に声をかけたくはなかったが、罪悪感を軽減させるためにも話しかけると、荻野は手を止めて、はあーっとため息をつき、目を合わせずに応えた。
「保健室に行くほどの怪我はしてないです。大丈夫なので放っておいてください」
せっかくの親切心を無下にされ、ムカつき、つい余計な言葉が出てしまった。
「怪我ないなら良かったけど、怒ってる?」
「別に怒ってません。事故なので。トイレ行きたかったんですよね? もうすぐ先生来ちゃいますよ」
怒ってないと言いつつトゲのある言い方にイラッとするが、人前では性格もイケメンとして振る舞っているので、怒りを抑えて無理に笑顔を浮かべるしかなかった。
「怒ってないならいいや。じゃあ、さっさとトイレ行くわ」
教室を出ると、さっきまでバチバチ言い争っていた現同じクラスの女子たちと元同じクラスの女子たちがタッグを組んで、荻野に悪口を浴びせまくる声が聞こえた。
1対大勢で良い気分はしないが、自業自得、いい気味だとも思う。
本当に怒ってないなら、あんな言い方する必要はないじゃないか。ちゃんと謝ったし、気遣いまでみせたのに。
トイレに向かいながら先ほどの荻野の言動にふつふつと怒りがわいてきた。
基本、女子は皆俺に対して友好的なので、俺の気分を害するようなことはしてこない。だから女子から塩対応をされたことに、プライドが腹を立てている。
女子に対してここまでむかついたのは、我が家の頂点に君臨する社会人の姉1号と、その1号と結託して好き勝手する大学生の姉2号以来、他人では初めてのことだった。
折が合わないと言うのかは分からないが、今朝の占いは当たっていたのかもしれない。
何が、ラッキーパーソンは眼鏡をかけた人だ。その眼鏡をかけたやつが折が合わないやつとか、当たってるのか当たってないのかわかんねえよ。
俺のメガネ無意味じゃん。はずそうかな。
教室に戻ると、ちょうど担任が来たところで、急いで席に座った。隣の荻野をちらっと見ると、いつも以上に俯いて小刻みに肩を震わせている。
もしかして泣いてる?
ぎょっとして視線を壁際にそらす。さっき女子たちに責められて酷い悪口を言われたのだろうか。もしかしたらいじめの対象にされてしまったのかもしれない。
いやいや、だとしても、俺には関係ない。
ぶつかったのは悪かったけど、謝ったのにあんな言い方する方も悪いだろ。
それに、例えいじめの原因が俺だとしても、いじめには関わらない方がいいって学んだんだ。
あれは4年前の中1の時だった。
あの時の俺は、まだ女子という生物を理解しきれていなかった。
俺が微笑むだけで歓声を上げて喜び、陰でファンクラブをつくって勝手に盛り上がったり、下駄箱や机の上に手紙やお菓子などを詰め込んできたりしながらも、直接好意を伝えられることはなかった。おそらく、「テルくん」というアイドル的存在が身近にいることに優越感を覚え、遠目で眺めているだけで満足しているのだろうと思っていた。
女子の理想を壊さないよう、女子とは適度な距離を保って、顔も内面も女子の理想を壊さないようイケメンを追求し、男女、年齢問わず誰にでも親切にすることを心がけた。
だが、その親切心が仇となり、クラスメイトの陰キャ女子がいじめられる原因を作ってしまったのだ。
いじめの対象となった女子が、俺に話しかけていた陽キャの女子軍団にぶつかり、持っていたノートを落としてしまった。俺が咄嗟に拾って、廊下でたむろっていたせいでごめんと謝り、つい癖で微笑みかけてしまった。その女子は顔を赤らめて走り去り、それが陽キャ女子軍団の癪に障ったのか、何なのか、いじめの対象にされてしまったらしい。
放課後、トイレに寄ったら、女子トイレからゲラゲラ笑う声が聞こえ、ずぶぬれになった陰キャ女子が泣きながら飛び出してきた。
そのまま放っておけば良かったのだが、善人でありたいとしたばっかりに、走っていこうとする陰キャ女子を呼び止め、女子トイレで笑っている陽キャ女子軍団に声をかけ、陰キャ女子をかばい、陽キャ女子軍団たちによってたかって卑怯だ、いじめは最低だ、なんて言って責めてしまった。
このことがきっかけで、いじめはなくなったものの、他の問題が発生した。
陰キャ女子が隠れるようにこそこそと俺の後をつきまとい、熱い視線が四六時中向けられ、下駄箱や引出しにラブレターを何度も入れられた。おそるおそる読んでみると、「輝くんは私のことが好きだからあの時助けてくれたんでしょ。私たちは両想いだから、恥ずかしがってないで今すぐ付き合いましょう」と、勘違い甚だしい妄想が便箋10枚にわたって綴られていた。挙げ句の果てには自宅までついてきて、ストーカーと化し、恐怖とストレスでイケメンのバマフォーマンスが著しく下がってしまった。屈辱だったが背に腹はかえられないと、最終兵器の姉たちに助けを求めると、1ヶ月間姉たちの言うことを何でも聞くことを条件に解決してくれた。
奴隷のような1ヶ月は忘れられない辛い日々だった……。
もう二度とあんな思いはしたくない!
いじめと陰キャ女子には絶対関わらない!
そう決心したのだ。
だから荻野にはこれ以上関わらないようにしよう。そう思って、壇上で話している担任に目を向けると、隣からカリカリ、カリカリとシャーペンで筆記する音が聞こえてきた。ホームルームで何を一生懸命書いているのか気になり、横目で見ると、A4サイズの罫線ノートの見開き1ページにびっしりと何やら文字を高速で書き連ねている。
さっき見た時はノートとシャーペンに気づかなかったが、肩が震えていたのは泣いていたからではなく、筆記していたからだったようだ。
表情は見えないが、荻野の周りだけ重々しい空気に包まれている。狂気を感じ、さっと視線を前に戻した。
陰キャ恐すぎる……。
かけていた伊達眼鏡がずり落ちてきた。
眼鏡を外し、鞄の中のメガネケースにそっとしまっておいた。