カレーは普通に美味かった
「おかえり、南」
「鍵を渡した記憶がないんだが」
「いいでしょ細かいことは。カレーできてるよ」
「……ありがとう?」
大学から帰って来たら、呼んでもいない客に出迎えられた。
涼しい顔をして俺のエプロンを身につけるこいつは、寺沢侑。大学の同期だ。
顔が良いからってやって良いことと悪いことがあるだろうと思いつつ、カレーは好物なので素直に嬉しい。
不法侵入された驚きで気づかなかったが、見れば包帯でぐるぐる巻きにした左腕を吊るしていた。骨でも折ったのか?
「侑、腕どうしたんだ」
「いや別に?」
「…答えたくないならいいが、お大事にな」
腕一本使えないのに作ったのか。ありがたいが無理はしないでほしい。
侑と出会ってからそろそろ一年になる。侑は学内では相当な有名人だ。まず見ての通りのこの美貌。首席入学に加えて親が大企業の社長。存在が嫌味だ。そんな侑となぜ交流があるのか。
俺もよくわかっていないのだが、夜中に視聴覚室に忘れ物を取りに行ったとき、うずくまっていた侑を介抱したら覿面に懐かれた。
俺は表情筋があまり作動しないので、侑の柔らかい笑みを眺めているだけで楽しい。
それを別の友人に話したら引き攣った顔で「あいつ笑ったりすんのかよ……」と言われた。侑は結構表情豊かな気がしていたのだが、俺の基準がおかしいんだろうか。
「ねーえ、南」
「なんだよ」
少し硬い肉をかみつつ、にこにこと俺の挙動を見つめる男に目をやった。
その表情に何か違和感を覚えて小さく首を傾げる。…そうか、目が笑っていない。
「美味しい?」
「ああ」
ふとまずいな、と思った。
こいつはたまにこういう目をする。深く暗い海の底のような、全てを諦めているかのような、光のない目。
「その肉がさあ、」
口に含んでいたカレーを飲み込む。
「俺の左腕だって言ったらどうする?」
「へ」
硬直。包帯でぐるぐる巻きにされた侑の「左腕」を凝視する。
「腕あるじゃんって?」
侑は見透かすように軽やかに笑う。
「これ、布丸めて上から包帯巻いただけ」
「侑、お前」
「吐く?」
言葉に詰まったのは一瞬だけだった。
俺の答えなんぞ初めから決まっている。
「…いや」
俺はスプーンを手に取り直した。米とルーを1対1の割合で掬う。
「お前がわざわざ作ってくれたんだろ」
わずかに侑が動揺する気配。なんとなくそれが可愛く思えて俺は思わず口元を緩める。まあ実際は表情筋は一切動いていないのだろうけど。
「なら俺がそれを残すわけがない」
言って俺は食事を再開する。にんじんもじゃがいもも、少し硬いこの肉も。どれも味が染み込んでいる。時間をかけて作った証拠だ。もぐもぐと躊躇いなく咀嚼し、嚥下する。
そんな俺を見て侑は大きくため息をつき、机に突っ伏した。
「安心したか」
「…………はは」
呆れたような笑い声。
「さっすが、南はやっぱ南だなあ」
「そりゃどーも」
しばらく俺のもぐもぐやる音だけが部屋に響く。最後の一口をぱくり。
瞬間、いつの間にか背後に回った侑にがばりと抱きつかれる。急いで飲み込んで小さく苦笑する。
包帯を解いて現れた左腕をぽんぽんと叩いた。よかった、異常なし。俺の肩にぐりぐりと額を押し付けて侑はただ黙っている。
「何が不安だ」
「……別に」
不貞腐れたような声。情緒不安定かよ。言って俺は剥き出しになった綺麗な左腕をゆっくりと撫でる。
「侑」
「なに」
抱擁がぎゅっときつくなる。
一瞬の躊躇いもなくなめらかなそこにがぶりと噛みついた。
侑が小さく息を呑む。それに今度こそ笑みを浮かべて、俺は歯形をぺろりと舐めた。
「ごちそうさま」
その顔は反則でしょという声を無視して、食器を洗うべく俺は立ち上がった。