第10話:世は情け
独りきりだった。母様はアタシが小さい頃に死んだ。父親は、最初からいなかった。
母様はアタシを身ごもり、ここへ逃げてきたらしい。
母様はアタシによく言っていた。
「強く生きなさい。私がいなくなっても、マオは生きていけるから」
母様が死んだ後、アタシは生きるためになんでもしてきた。
孤児院の門を叩いた。教会へお祈りしに行った。町中のお店に、働きたいとお願いした。
……全部、駄目だった。
アタシは汚い路地裏で、食べ残しでもなんでも食べた。生きるために。
盗みはしなかった。母様がしてはいけない、と言っていたから。
必死で、必死に毎日を過ごしていた。その日が来るまでは。
目を覚ますと、知らない通りにいた。周りに居たのは、評判の悪い男たち。
逃げた。起きたばかりで回らない頭でも、このままだといけないと逃げた。
けれどすぐに捕まった。アタシと違って、こいつらは盗みも殺しもする外道だ。アタシのように体も小さく、やせっぽっちじゃ逃げられなかった。
「おい、てめぇだろぉ?●△■ってのはぁ?」
「知らない、アタシそんなの知らないよ!」
「おいおい、とぼけてんじゃねーよこらぁ!」
「あぐっ……」
いきなり蹴られた。
「あまり乱暴にすんなや。まだまだ楽しみてぇんだからよぉ」
「おいおい、まだ貧相なガキだぜ?こんなので楽しめるのかぁ?」
「あーあー骨でもしゃぶりゃ味が出るんだからガキもしゃぶればいいんだよ、骨の髄まで」
「はっ、しゃぶる? しゃぶらせるの間違いだろぉ?」
ぎゃははははは、と笑う男たち。私には、会話が半分も理解できなかった。けれど。
「じゃ、お楽しみといきましょうかぁ?」
「---------っ!!」
ここで、死ぬと思った。
※
「ぜっぇはぁ、がひゅ、はぁあ……」
逃げた。体をこじあけられ、弄ばれ、好き勝手いじられたけれど、アタシは逃げ切れた。
服は破かれて、もう服として機能しない。
指は砕かれて、もう動かない。
どれだけの間あいつらのおもちゃになってたのかわからないけど、媚を売って今まで死なずに生きてこられた。
油断したすきをついて、必死で逃げた。後からついてくるんじゃないか、すぐ後ろにいるんじゃないかって思うと、歩くこともできなかった。
いつもねぐらにしていた通りにたどり着いて、倒れ込んだ。
あいつらに捕まってた間、まともなものを食べてない……
残飯がまともかどうか、ではあるけれど、あいつらに流し込まれたものよりはよほど上等だ。あんなもの、体の内側から腐っていくようだった。
「…………ぁ」
体が動かない。のろのろとバケツに手をかけ、あさろうとしたところで力尽き、バケツの中身をぶちまけた。
(死ぬの、かな)
体の芯から冷えていく感覚。まるで自分の体じゃなくなっていくかのようなそれは、しかし。
「あぐっ!?」
踏みつけられたような痛みで、消し飛んだ。
(まさか、あいつら……!?)
嫌だ。死んでもあいつらの元になんて戻りたくない。
そう願うアタシをあざ笑うかのように体を隠していた布がどかされ、そして。
「……………」
「……………」
「…………………………」
「…………………………ネコミミ?」
どこかぽやっとした印象の、男と対面した。
不思議な感じだった。じっとこっちを見る瞳は、アタシと同じ黒。髪も同じ色で、同郷かなと思ったけど獣の耳はなかった。
がしがしと頭をかいて――――
「よっと」
ふわっとアタシは持ち上げられていた。
「あんたなにすもがっ」
反射的に出た文句は、ぱさぱさとしたブロックに封じられた。
噛みちぎってやる、と口にいれた瞬間、世界が変わった。
(美味しい。美味しい、おいしい、おいしい!)
今まで食べた事のない、それはとてもとても美味しかった。どこかへ運ばれても、それでもいいかと思えるほどに。
※
「服、脱げ」
「…………」
裏切られた。そう思った。ふろ、というのが何か知らないが、向こうの扉から湯気が出てきているから熱湯があるのだろう。
アタシを煮て食べるつもりなんだろうか、この男は。
「なあ、せめてなんか喋ってくれ。そもそもお前、男なのか女なのかもはっきりしないんだよ。もし女で、俺に見られたくないってんなら他の人に頼むからさ」
「…………」
男なのか女なのかはっきりしないというのには文句をいいたいが、煮て食べるつもりのくせに見られたくないのかとはどういうことだろう。最後だから見る人は選ばせてやるということなんだろうか。
「いや、だからな……」
なんだか困ったように見える。少し可愛いかな、なんて思っていたら、
「ええいなら無理やり放り込むまでよ! くらえ必殺放り投げ―!!」
「え!? きゃわっ!」
さっと抱えあげられ、鍋の中に放り込まれた。
ばたばたと手足が勝手に暴れる。まだ死ぬほど熱くはないけど、煮て殺されると思っていたせいか、パニック状態で体が言う事を聞かなかった。
「おい、ちょっとお前大丈夫か!?」
お湯の中から担ぎあげられた。何をするんだろう、食べるつもりのくせに。
でも文句くらいは言っていいかな。
「何すんだアンタ! アタシを煮て食う気か!」
「はぁ!?」
ものすごい呆れた顔をされた。
後で聞いた話だけど、風呂というのは体をお湯できれいにするための場所らしい。しょうがないじゃない、そんなもの聞いたこともなかったんだから。
「かゆいところとかないかー?」
「んーんー」
わしわしと、頭をもまれる。しゃんぷーとかいうものはあわあわで、おもしろかった。
頭を軽くかかれるのも気持ち良く、耳の奥まで洗ってもらった。
「本当は女の人に頼むべきなんだろうけどな」
男の人はそう言って、アタシの体を洗ってくれた。ぼでぃそーぷというのもあわあわで、つるつるしていた。
アタシの体は汚れ放題で、お湯もどんどん汚くなっていったけれど、男の人は嫌な顔ひとつせずにきれいになるまで洗ってくれた。
ゆぶねは、お湯がたっぷり入った箱だった。お湯につかると体の痛みがとれていくようで、ごろごろとつい喉を鳴らしてしまうほどだった。
布を手放すように言われたけれど、それはできない。きっとこんな手、見られたら気持ち悪いと思われてしまう。
嫌だ。知り合ったばかりだけど、嫌だった。嫌われたく、ない。
※
男の人の部屋に行った。
「では治療を始めます。おとなしく手を差し出しなさい」
「やだね」
また手を見ようとされた。気になるのはわかってるけど、こんなもの見せられるわけが
「お嬢ちゃん、食べ物あげるから手を出して?」
さっ←私が手を出す音
あ。
彼が向けてきた生温かい視線が、妙に恥ずかしかった。
※
好き勝手に手をいじくられた。
とんでもない痛み、あいつらにやられたときだってここまで痛くなかった。
でも、目が覚めて薬を飲んだら、手が治ってた。
嬉しくて嬉しくて、お礼を言ったら泣かれた。おまけに、なぜかこっちが感謝されていた。変な人だと思う。
それから少し話をした後、カエデが真剣な顔をして、話を切り出してきた。
「でさ、マオ。これから行くところとか、ある?」
ぐうっ、と体の中から何かが込み上げてきた。
「……行くところなんて、ない。アタシは孤児だけど、孤児院とかには亜人だから入れないって言われたし、あの道にいたら、男の人にお、襲われたし……」
記憶が蘇る。
最悪な、思い出したくもない記憶が。もうあの通りにはいられないだろう。あいつらは私がどこに住んでるか知ってるんだから。
ぎゅ、っと抱きしめられた。あいつらのように乱暴でなく、優しく、それでいて力強く。
駄目だ。泣いてしまう。泣いたら強くない、アタシは強く生きていかなきゃいけないのに―――!
「う、うえっ。うわああああああああん! 痛かった、怖かったよぉ……! い、嫌だって言ったのに、や、やれって。それでも嫌って言ったらゆ、指を」
「もういい」
さらに力を込められる。それは母様に抱きしめられた記憶を思いださせた。安心できる、自分を任せられる、そんな記憶。
「もう、我慢しなくていいんだ」
この人と生きていきたい、そう思った。