第八話 「後悔」(ハダル視点)
スピカがヴィーナス王国を離れてから一月が経過。
ここヴィーナス王国でも、スピカの作ったポーションの噂が広まるようになっていた。
いわく、驚異的な治癒効果を持つ奇跡のポーションが、隣国のアース王国で作られていると。
そしてそれを手掛けているのが、この国を去った『聖女スピカ』だと。
そのため誰が呼んだか、奇跡のポーションは『聖女の秘薬』と謳われていた。
「くそっ……! くそっ……! くそっ……!」
そんな聖女スピカとの婚約を破棄し、宮廷から追い出したハダルは、噂が広まってからというもの気が立っていた。
それもそのはず、彼が逃がした魚はあまりにも大きすぎたから。
「あいつの魔力に、そんな使い道が……!」
千切れた手足を再生させ、失われた部位を復元する奇跡の秘薬。
それだけでいったいどれだけの国民たちが救われるだろうか。
現在流通している治癒ポーションでは、救える命にも限度がある。
大怪我を瞬時に塞ぐとは言っても、腕が千切れたら再生なんかするはずもなく、体に大穴が開けば塞ぎ切ることはまずできない。
だが、聖女の秘薬ならそれができてしまう。
どころか体を両断されたとしても、息があってポーションさえ飲むことができれば、一瞬にして肉体は元通りになるのだ。
どれだけの軍事的価値と金銭的価値が含まれているか、言われずともわかってしまう。
そのポーションの生産口を抱えているだけで、その国は世界的に優位に立てるだろう。
これで治癒ポーション以外のものも規格外の効果を宿していたとしたら、聖女の価値は絶大なものに……
そんな存在を、この自分がみすみす手放してしまった。
「ち、違う……。これは、仕方のないことだったのだ……。そんなの誰にも、わかるはずないではないか……!」
わかっていたとしたら、手放すことなんてしなかった。
婚約者として自分の懐に囲い、莫大な利益を得るためにポーションを作らせ続けていた。
だからこれは、自分の責任では……
「聞いたぞ、『聖女の秘薬』の噂について」
「……兄上」
遠征任務から戻って来た兄のプロキシマ・セントが、ハダルの自室にやって来た。
この事態を知られたくない人物の筆頭で、ハダルは思わず歯噛みする。
「私や父に相談もなく独断で婚約破棄。しかもその相手が今話題の秘薬作りの聖女ときた。各界の重鎮たちはもちろん、当然父上も貴様の此度の愚行にお怒りだ」
「し、仕方がないではないですか! 他の誰もあいつの魔力の可能性には気が付いていなかった! 知っていれば俺だってこのようなことは……」
「百歩譲って、聖女の魔力にこのような価値が宿っていることを見抜けなかったのはまだいい。だが婚約破棄については貴様の私情と独断で行ったことだ」
「……っ!」
痛いところを的確に突いてくる。
そう、ハダルが独断専行でスピカとの婚約を破棄しなければ、秘薬はセント王家が独占できていた。
知らなかったから仕方がない、では済まされない事態である。
「貴様が身勝手に行った婚約破棄が、結果的に莫大な損失を招いた。相応の罰は覚悟しておくんだな」
次いでプロキシマは手に持っていた書類の束を机に置いた。
「それと婚約破棄の責任についても当然取ってもらう。伯爵家への慰謝料も貴様の私財から賄われる予定だ。下賜される予定だった土地。高価な私物。その査定表に目を通しておけ。最低限の必需品以外は残らないものと思った方がいい」
そうとだけ言い残すと、プロキシマは部屋を後にした。
ハダルは恐る恐る書類に目を通し、自分の失ったものの大きさを痛感して背筋を凍えさせる。
まさかここまでの事態になるとは思いもしなかった。
ポーション技術の発展によって聖女スピカは不要になると、父のリギル国王もそう考えると思っていたのに。
莫大な損失。信用の墜落。科せられた重罰。
逆に、もしスピカを手放していなかったら、今頃は自分の指示でポーションを作らせて莫大な利益を独占できたというのに……
「スピカさえ、手放していなければ……!」
いや、あるいはただの聖女としてではなく、スピカ個人のことを愛する努力をしていたら……
第二王子のハダル・セントは、そんな取り返しのつかない後悔に苛まれるのだった。