第三十六話 「大好き」
レグルス様に誘われて、私は宮廷劇場へとやって来た。
ここへ来るのは赤月の舞踏会以来となる。
相変わらず壮観な見た目の宮廷劇場には、あの時と違って人はほとんどいない。
本ホールの方もがらりとしていた。
ただ、隣接している準備室の方から演奏のような音が聞こえてくる。
「宮廷劇場のホールは普段は使われていないけど、準備室の方は楽団の練習用に解放されているんだ」
「そういえば研究室にいる時もたまに聞こえてきますね」
宮廷劇場には広々とした部屋が数多くある。
だから楽団の演奏練習や劇の稽古に使われることが多いらしい。
そして今日はたまたま楽団の練習が行われていた。
「少し不恰好かもしれないけど、ここで楽団の演奏に合わせながら、赤月の舞踏会のやり直しをするっていうのはどうかな?」
「なるほど、そういうことですか」
赤月の舞踏会では踊る約束をしていたのに、色々といざこざがあってそれが叶わなかった。
だからここでその時のやり直しをするために、楽団の演奏に合わせて踊ろうと。
他の参加者がいなくて少し寂しい気もするけど、この宮廷劇場のホールでレグルス王子と踊れるなら私としては満足だ。
彼が差し伸べてくれた手をそっと取って、音楽に合わせて踊り始める。
広大な宮廷劇場のホール。そこは二人だけの空間。贅沢な時間が流れていく。
「本当なら改めて楽団を呼んで、正式に客人たちも集ってその場で踊りたいんだけど」
「いえ、これでも充分すぎますよ」
レグルス様の手を取りながら、二人で動きを合わせて静かに舞う。
レグルス様の人望があれば、今一度楽団と客人を呼び集めて、擬似的な赤月の舞踏会を開くことも可能だと思う。
けど彼はまた三日後から遠征任務へ向かわなければならない。
開拓されたばかりの魔占領域の整備も王国騎士団が任されているので、楽団やら客人を集めている暇は彼にはないだろう。
そして私の方も、これから少しずつ忙しくなる予定だ。
「そういえばまた“呪いの治療”について依頼が来ていたよ。来週辺りから本格的に解呪依頼の方も受けていくって話だったよね」
「はい」
私はポーション作りのおかげで魔力が大幅に成長した。
その影響で治癒魔法によって呪いも治せるようになり、それを知った人たちが私に依頼を出してきている。
世界には呪いに苦しめられている人たちが大勢いる。
体の一部が石化していたり獣化していたり、老化させられている人もいると聞く。
そういう人たちが私を頼って依頼を送って来ていて、私はそのすべてに応えようと思っているんだ。
これからきっと多忙になるだろう。
だからお互いに忙しい身となるので、改めて舞踏会を開いて一緒に踊るというのは難しい。
聖女として頼りにしてもらっている証拠でもあるので、それは嬉しい限りではあるが、少し寂しい気もしてくる。
「しつこいようだけど、本当に無茶はしないでくれ。呪いの治療なんてただでさえ力を使いそうなことなのに、ポーション作りの方も継続してくれるんだろう?」
「あくまで呪いの治療は私がやりたくて引き受けることですからね。宮廷薬師として仕事を受けるわけではありませんし、騎士団へのポーション製作を止めるわけにはいきませんから」
呪いの治療は個人的な依頼として引き受けるつもりだ。
宮廷薬師スピカではなく、聖女スピカとして。
かつて大聖女ザニア様がそうしていたみたいに、私も世界中の被呪者たちを自分の手で治したいと思っている。
「これからお互い、ゆっくりできる時間は来てくれなさそうだね。式の日取りについては、お互いに時間の余裕ができたらでいいかな?」
「はい、そうですね」
二人して頷きを交わしたところで、練習中の楽団の演奏が途切れた。
キリもいいところだったので、私たちはそこで踊りを終える。
でも、レグルス様は私の手を離さない。
何か言いたげな顔をして止まっていた。
「……もう少し整った雰囲気の時に渡したいと思っていたんだけど、次にこうしてゆっくり話せる機会がいつになるかわからないから、今渡すね」
「……?」
不意にそう言ったレグルス様は、懐から小さな箱を取り出す。
それを開いて中を見せてくれると、そこには宝石があしらわれた綺麗な指輪が入っていた。
「これは……」
「婚約指輪だよ。婚約を誓ったのにその類の贈り物を何一つ渡せていなかったからさ」
指輪なんて用意してくれていたんだ。
思わぬ贈り物に私は密かに心臓を高鳴らせる。
次いでレグルス様がそれを着けてくれて、指のサイズもぴったりと合っていた。
そのことに安堵した様子を見せた彼は、こちらの目を真っ直ぐに見つめながら伝えてくれる。
「改めて、これからもよろしくねスピカ。愛してる」
「……」
レグルス様が正面から感情をぶつけてきて、私は思わず顔が熱くなった。
この人はこういうことをさらっと言うからずるい。
でも感情を素直に伝えられる精神力は見習いたいと思う。
その時、私はハッと息を飲む。
“あれ”を言うなら、今しかない気がする。
「レ、レグルス様、私も……」
「……?」
ポーション技術の発展によって、聖女の私はお払い箱になった。
婚約者も取られて宮廷を追い出されて、自分に自信が持てなかった。
だから私は、レグルス様に気持ちを伝えることができなかった。
レグルス様には他にいい人がいる。
私なんかでは釣り合うはずがないと思って。
でも、私は試しで始めたポーション作りで、自分の新しい価値に気が付くことができた。
みんなにも少しずつ自分の力を認めてもらえるようになった。
ポーション作りを通して聖女としても大きく成長することができた。
そしてこうして色々な人から頼られるようになって、改めて自信を取り戻すことができた。
だから、今なら言える。
「わ、私も……」
自分の気持ちを。
抑え続けてきた感情を。
ずっと伝えたかったあの言葉を。
私は、レグルス様の手を取って、素直な気持ちを二人だけのホールに響かせた。
「私も大好きです、レグルス様」
「……」
ひと時の静寂が二人の間に訪れる。
レグルス様は少し驚いたように、目を丸くしてピタッと固まっていた。
現代最強と謳われているレグルス・レオが、何もできずに硬直している。
私は私で当然恥ずかしいんだけど、レグルス様はどんな心境なんだろうか。
瞬間、レグルス様はバッと顔を俯けてしまった。
そのまましばらく下を向き続けたのち、レグルス様はおもむろに顔を上げる。
その表情は、いつもの冷静で穏やかな様子のレグルス様だった。
「……ありがとうスピカ。まさか君の方からそう言ってもらえるだなんてとても嬉しいよ。これからもっと好きになってもらえるように頑張るね」
「は、はい」
レグルス様はそう言うと、私の手を引いて宮廷劇場の出入口に向かって行った。
よかった。私の気持ちはちゃんと伝わったみたいだ。
少しレグルス様の様子がおかしかったから、正しく伝わっていないのかと不安になったけど。
これでようやく、私がしたかったことをすべて達成できた。
レグルス様と一緒に踊ること。レグルス様に気持ちを伝えること。
それらの大きな目標をやり遂げて、私は改めて思う。
ポーション作りを通して成長したのは、聖女の魔力だけじゃない。
私自身の弱気だった心も、きちんと強く成長することができたんだ。
聖女としてもっとたくさんの人たちを治してあげたら、ますます自分に自信をつけられるんじゃないかな。
そして願わくば……
現代最強の魔術師と名高いレグルス様と並んで語られるような、『大聖女』になりたいと私は思った。
――――
劇場を出て、宮廷の中へと戻って来た後。
レグルスはスピカと別れて自室へと戻った。
従者のベガも今は不在のため、たった一人の部屋で彼は深々と息を吐く。
そして誰も見ていないからと、レグルスは抑えていた気持ちを吐き出した。
「……お、驚いたな。まさかスピカからあんなことを言われるなんて」
いまだに心臓がバクバクと鳴っている。
スピカに『大好き』と言われて、自分でもわかるくらいに頬が熱くなってしまった。
だから咄嗟に顔を俯かせたけれど、いくらなんでも不自然だったなと少し後悔する。
でもああでもしていなかったら、きっとだらしのない顔をスピカに晒していたことだろう。
というかまだ顔が熱い。頬も勝手に緩んでしまう。
(いけないいけない、第一王子ともあろう者が……)
ベガが帰って来る前に平静を取り戻しておかないと。
しかし自分の感情を上手く抑え切れず、レグルスは笑みをこぼしてしまった。
(スピカが僕のことを好きだなんて、本当に夢みたいだ)
まるで自分に都合のいい夢でも見ている気分。
自分が一方的に好意を抱いているだけだと思っていたのに。
スピカの方も自分に好意的な感情を持ってくれていたなんて。
純粋に心から嬉しいと思う。
何より、『大好き』と告げてきた時の彼女の様子がまた……
(……とてつもなく、可愛らしかった!)
願わくば、もう一度あの顔で『大好き』という言葉を聞かせてもらいたいと、レグルスは密かに思ったのだった。




