第三十一話 「夢中と成長」
「な、なんだと!?」
リンクスの言葉を受けて、アルネブは声を荒らげる。
「妹の呪いを治さないとはどういうことだ! お前、この期に及んで往生際悪く足掻くつもりか」
「こうして捕まった今、どの道私は裁かれる運命だ。であれば貴様の妹も道連れにしてくれよう」
「こ、このクズが……!」
……違う。
リンクスは確かに妹さんの呪いを治すつもりはないみたいだけど、それは彼の考えじゃない。
これもたぶんハダルの指示なんだ。
もし捕まった時は、アルネブの妹の呪いを解かずに全責任を背負って裁かれろと。
その方が怒りの矛先がリンクスに集中しやすくなり、一層ハダルの関与を隠蔽しやすくなる。
だけでなく、妹さんを呪うために使ったであろう魔物も手元に残すことができるから。
手軽に人に呪いを掛けられる魔物。
それは脅しの道具としてかなり貴重だ。
そんな魔物を何匹も抱えているとは考えにくいので、私たちに討伐されたくはないだろう。
今回の作戦が失敗した後も、同じ手口でまた犯行を繰り返すことができるので、手放したくないと考えているに違いない。
そもそもその魔物は今、ハダルが抱えているはずなので、アルネブがどうこうできる話でもないのかもしれない。
「妹に……ハミルに呪いを掛けた魔物をさっさと出すんだ!」
「断る。さあ、さっさと私を連行するといい」
リンクスはまるで主人の関与を認める様子はなく、呪いも解くつもりがない姿勢を貫いた。
それに対してアルネブが怒りのあまり手を出しかけるけれど、私はそれを遮るように言葉を挟んだ。
「関係のない人を巻き込んで、あなたは本当にそれでいいの?」
「……」
リンクスのことは深く知っているわけじゃない。
けど、彼が無闇に他人を傷付ける人物ではないというのはわかっている。
いつもハダルの忠実な従者であったが、他の人の言うことをまるで聞かないというわけじゃない。
宮廷内では使用人に手を貸す姿を度々目にしていたし、周囲からの評判もそれなりによかった。
感情が窺い知れない無表情が張り付いている人物だけど、彼にだって良心は必ずあるはずだ。
「あの男の言いなりになって、その罪を背負わされて、そんな目に遭ってあなたは悔しくないの? 関係のない人を犠牲にして、あなたは本当にそれでいいの?」
「……先ほどからも言っているだろう。これはすべて私が独断で行ったことだ。呪いを掛けた少女に関しては、どうせ捕まるくらいなら道連れにしてやろうと考えたまでのことだ」
頑なに言い分を変えようとしない。
あの男に指示されてやったことだって言ってくれたら、それで充分なのに。
リンクスが何も語ってくれなかったら、ハダルを裁くことも妹さんの呪いを解くこともできない。
「どうしてそこまでして、あんな男を庇おうとするの。あの男は本当に、あなたがそこまでして守らなきゃいけないほどの人間なの……?」
私はハダルの顔を思い出しながら、悔しい気持ちで問いかける。
きっとリンクスは何も答えてくれないだろうと、私はそう思ったのだが……
「…………仮に、今回の件の首謀者がハダル様だとしたら、尚のこと私はあの方を庇っていたことだろう」
「えっ?」
リンクスは不意に話し始めた。
「私は王家に恩義がある。特に現国王のリギル国王様に。祖父が先代の当主を務めていた際、領地内で魔物の異常発生が起きた。その時にリギル国王様が王国騎士を総出で領地に向かわせてくださり、復興に関してもあらゆる手を尽くしてくださった」
リンクスが王家に対して並々ならぬ敬意を持っているのは知っている。
でもまさか、そんな理由があったなんて。
「一国の王であれば当然の責務と思われるかもしれないが、当時のアルシャウカ公爵家にとってはリギル国王様こそ希望の光に見えたのだ」
そして多忙な身でありながら、魔物災害に関する対策も深く練ってくれたという。
手を離れた領地に関して関心が薄い王も散見された昔の時代。
確かにそこまで手を尽くしてくれる王様は珍しく、リンクスたちにとってはまさに救世主のように映ったことだろう。
それにあの方ならそうしても不思議ではないと思える。
リギル国王様は現実主義かつ王族の誇りを強く持っていて、自分の領域を荒らされることを何よりも嫌っていたから。
「そんな彼の実子から犯罪に手を染めた者が現れたとなれば、私は当然この身を捧げてでも真実を隠蔽しようとするだろう。“リギル国王様”の名誉のためにもな」
リンクスは力強い様子で、しかしどこか悔やむような表情でそう言った。
その姿を見て私は密かに悟る。
そうか、リンクスだって悔しいんだ。
ハダルの言いなりになっていることが。
関係のない人を巻き込んでいることが。
事実、彼は一度もハダルのためと言っていない。あくまで“リギル国王様”の名誉のためと言っている。
リギル国王の実子から犯罪者を出したくないから、ハダルの言いなりになって罪を被るしかないんだ。
その悔しさを、少しでも誰かにわかってほしかったから、わざわざ今の話を打ち明けてくれたのかもしれない。
同時に遠回しに、自分への説得は無駄だと告げてきている。
リギル国王の名誉のために、自分はどんな犠牲も払うつもりでいると示しているんだ。
こんなの本当に、誰も救われない。
ハダルに罪を被せられているリンクスも、呪いを解いてもらえないハミルも。
「あの男……!」
あの男だけが、なんの犠牲を払わずに、高みから傍観を続けている。
我が身可愛さに従者を捨て駒にし、私利私欲のために他人を平気で巻き込んでいく。
ハダルさえこんな馬鹿げたことを考えなければ、誰も犠牲になることはなかったのに。
私は静かに拳を握りしめる。
「ハダル、私はあなたを……」
あの男の顔を思い出しながら、沸々と怒りを募らせていき……
私はその感情を表に出した。
「絶対に許さない!」
刹那――
私の体から、“純白の風”が吹き荒れた。
「えっ……」
その現象に、その場にいる全員が驚愕する。
白い旋風が、まるで私を中心にするように渦を巻いている。
しかし風そのものに実体はなく、周りには何も影響を与えていない。
「ス、スピカ、それはいったい……?」
「わ、わかりません。私も何がなんだか……」
元婚約者への強い怒りを自覚した瞬間、この謎の白い風が体から放たれ始めた。
いやでも、私はこの現象に少しだけ見覚えがある。
というかそれはついさっきのことだ。
宮廷でアルネブに気絶させられかけた時、駆けつけて来てくれたレグルス様がそれを見せてくれた。
すごく似ている。レグルス様が怒りのあまり発生させた、あの可視化された“黒魔力の旋風”と。
「まさか、魔力の可視化……?」
これはもしかして、私の白魔力が可視化された光景なのかな?
ハダルに対する怒りが限界を超えて、その激情によって魔力が外部に漏出しているのだろうか。
けど、魔力の可視化は“高い魔力を持つ者”だけにあらわれる現象だと聞いたことがある。
それこそ現代最強の魔術師と名高いレグルス様と同等の魔力の強さでなければできないはずだ。
肉眼で視認できるほど高い魔力なんて、私は持っているはずが……
「まさかスピカも魔力の可視化ができるほどになっていたとはね。けどまあ、あれだけ毎日大量のポーションを作り続けていたら、これくらい成長していても不思議じゃないかな」
「せい、ちょう……?」
ポーション作りをしていたおかげで?
確かに日に日に、一日で製造できるポーションの数は増えている。
それこそ魔法薬師になった当初と比べて、およそ倍以上に。
もしかして私は、自分でも気が付かないうちに、魔力を可視化できるほどまでに成長していたのかな。
見ると、レグルス様も驚きというより納得といった顔をしていた。
私はそれだけ、ポーション作りに熱中していたってことなんだ。
誰かの役に立てていることに喜びを感じていたってことなんだ。
技術発展を遂げたポーションは、私から職を奪って苦しめてきた存在だけど……
同時に私に新たな価値を見出させてくれて、さらに成長する要因にもなってくれた。
今なら、もしかしたら……
「リンクス、彼の妹に呪いを掛けた魔物、もう出す必要はありませんよ」
「えっ……?」
次いで私は、アルネブの方を振り向いて、純白の旋風の中で笑みを浮かべた。
「アルネブ、妹さんのいる宿屋に案内してもらえませんか?」




