第三十話 「操り人形」
『後日、スピカ様の生家の方に、少なからずの慰謝料を手配いたします』
私がハダル様に婚約を破棄されて、宮廷から追放されたその日。
宮廷を出る直前に、ハダル様の従者のリンクスから淡々とそう告げられた。
それ以来の再会となり、思いがけない彼の登場に私は呆然とする。
その様子を横目に捉えたのか、レグルス様が問いかけてきた。
「どうしたんだいスピカ? もしかしてこの男のことを知っているのか?」
「は、はい。彼は私の元婚約者の従者を務めている者です。名前をリンクス・アルシャウカと言います」
そのことを伝えると、レグルス様たちは揃って息を呑む。
私もかなり驚いている。
まさか元婚約者の従者とこんな形で再会することになるなんて。
宮廷ですれ違ったら軽く挨拶をする程度の間柄ではあるが、まったく知らない仲というわけでもない。
リンクス・アルシャウカ。
アルシャウカ公爵家の次男として生まれ、六年ほど前からハダル様の従者を務めている。
人形のように常に無表情が張り付いていて、笑ったところを一度も見たことがない。
どころか感情を表に出しているところも見た記憶がないほどだ。
ハダル様への忠誠心、というより王家に対する敬意が強く、ハダル様の命令には絶対服従だったのが印象的である。
どうして彼がここに……
「どうして元婚約者の従者がスピカのことを拐おうとしているんだ? 僕はてっきり無関係の不届き者が、聖女の力を利用しようとして誘拐を企てたのかと……」
「俺もそんな気がしてたんだが、まさかスピカちゃんの知り合いの犯行だったとはな」
レグルス様とカストル様だけでなく、私だってそう思っていた。
私を狙う理由なんて聖女の力くらいしか心当たりはないし、そうなると誰が犯人であってもおかしくはないから。
「まあ理由については本人から直接聞かせてもらおうぜ。周囲を確認したところ他に仲間もいないみたいだし、この男の単独犯行ってことで間違いないだろう」
カストル様がそう言うと、床で拘束されているリンクスにレグルス様が近づく。
「なぜスピカを狙ったんだ。彼女を拐っていったい何をするつもりだったんだ」
顔を覗き込みながら問いかけると、リンクスは相変わらずの見慣れた無表情で答えた。
「聖女を従えてその力を金儲けに使おうと考えていた。聖女の秘薬を独占できれば、莫大な利益も同時に独占できると思ったからだ」
「金儲けだと? そんなことのためにスピカを……」
レグルス様の声と目つきがまた一層鋭いものになる。
この場の緊張感が一段と強まる中、カストル様だけは変わらぬ様子で冷静に話した。
「ま、概ね予想通りだったな。聖女の秘薬は今や全国的に名高くて、他国の方じゃ超高額で取引されている例もあるそうだし。スピカちゃんの力を利用しようって輩はいつかは現れると思っていたさ」
「知人ということもあって、何かスピカを従えさせるような算段でもあったのかもしれませんね。ただそれもこうして捕まえてしまえば意味もありませんけど」
その話を傍らで聞いていて、私は密かに違和感を抱く。
聖女の力を金儲けに使おうと企んでいた? あのリンクスが?
確かに聖女の秘薬を独占すれば、その儲けも丸々独り占めすることができる。
でもリンクスは別に金銭的に困っている人間でも、そのような家系でもない。
むしろ裕福な側の人間だったはずだ。
そもそも彼が自発的に行動していることさえ不自然に思える。
「んじゃ、お前さんを今回の事件の犯人と断定し、王国騎士として捕縛させてもらう。地下牢に連行する前に色々と話を聞かせてもらうから、全部正直に話して……」
申し訳ないとは思ったが、私はカストル様の言葉を遮って声を上げた。
「あ、あの、ちょっと待ってください」
「……?」
「その前に一つリンクスに聞いておきたいことがあります。リンクス、今回のこの事件、本当にすべてあなたの仕業なの?」
「……」
リンクスは相変わらず表情を変えなかったが、眉の端が微かに動いたのを私は見逃さない。
するとアルネブが不思議そうな顔でこちらに問いかけてきた。
「ど、どういうことですか? 実際に聖女様を引き受けに来たのはこの男ではありませんか? 犯人はこの男で間違いないのでは……」
「いえ、その通りではあるんですけど……」
状況を見れば確かにリンクスがこの事件の犯人だ。
けれど私は、彼が自発的にこのようなことをしない人物だと知っている。
そう、彼が何かをする時は、決まって“あの人物”が関わっているのだ。
「もしかして今回の件、すべて“ハダル様”の指示なんじゃないの?」
「ハダル?」
リンクスはやはり表情を変えず、代わりに周りにいる人たちが怪訝そうな顔をする。
「私の元婚約者の名前で、リンクスの主人です。私が知っているリンクスは、自発的に何かをするような人物ではなく、いつも主人のハダル様の指示で動いています」
私は事件の真犯人が、ハダル様である根拠を明かす。
「そしてハダル様なら、私のことを拐おうとしてきても不思議ではありません。宮廷から追い出した私に利用価値があったのだと遅れて気が付き、連れ戻そうと考えてもおかしくない人ですから」
もしくは私を追い出したことを父親のリギル国王から糾弾されて、慌てて連れ戻そうしているか。
いずれにしてもハダル様なら、私を誘拐する理由はいくらでもあるということだ。
そしてそれをリンクスを使って実行しようとするのも、いかにも彼らしい。
『聖女という存在自体に価値が無くなるのだ。そのためこの俺との婚約も破棄とし、宮廷からも解雇とする。そして俺はここにいる侯爵令嬢のカペラ・ラビアータを新たな婚約者として迎え入れることを宣言する』
あれだけ自分勝手な人間なら、自分の立場を生かすためにどのような手も使ってくるだろうから。
けれど、リンクスは徹底して関与を否定した。
「いや、これはすべて私が仕組んだことだ。私が私利私欲のために聖女の力を欲しただけで、ハダル様は関係ない」
「嘘を言わないで。ハダル様の……いいえ、ハダルの仕業なんでしょ!」
「……」
力強く詰めても、リンクスは一向に口を割ろうとしない。
たぶんハダルにそういう指示を受けているのだろう。
もし私の捕縛に失敗して、騎士たちに拘束された場合は、すべて自分の犯行ということにしろと。
あの男ならやりかねない。
すべての罪をリンクスに擦りつけて、自分だけは罪から逃れるつもりなんだ。
「ハダル……!」
私は人知れず両拳を握りしめる。
十中八九ハダルの犯行だとわかっているのに、それを咎める術がない。
ここでリンクスだけを捕まえても意味はないんだ。
あの男を放っておいたらまた別の無関係な人を巻き込んで、また私を拐おうとするかもしれないから。
なんとかして奴を止めないと。
けど、あの男が指示を出したという決定的な証拠があるわけじゃないし、リンクスもこの調子だと何も話してくれそうにないし……
「裏で誰かが手を引いている可能性は確かにありそうだな。ま、それを明かすよりも先に、とりあえずはアルネブ君の妹ちゃんの呪いを解かせるのを優先させないか?」
カストル様が至って冷静な提案をしてくれる。
確かにその通りだと思って、私は今一度心を落ち着かせてリンクスに呪いを解くように命じようとすると……
彼は、思いがけない返答をしてきた。
「私は少女に掛けた呪いを解くつもりはない。私を裁きたければ好きに裁くがいい」




