第二十八話 「古の大聖女」
「それでは参ります」
アルネブの転移魔法の準備が整い、私たちは宮廷から脱出することになった。
アルネブの肩に手を置いて、一緒に転移することになる。
転移魔法の存在そのものは知っていたけど、こうして体験するのは初めてのことだ。
正直少し不安です。
「【時空の跨ぎ】」
アルネブがそう唱えた瞬間、彼の周りに紫色の薄い光が発生した。
私もその光に巻き込まれて、そのままじっとしていると、パッと目の前の景色が一瞬にして切り替わる。
そこはもうすでに、赤月の舞踏会の会場だった宮廷劇場の部屋ではなく、見覚えのない木造りの家屋の室内だった。
ここが話に聞いた、宮廷近くに確保してあるという宿屋の部屋だろうか。
本当に一瞬で別の場所へと転移してしまった。
「これが転移魔法……。こんなにも簡単に宮廷内から抜け出すことができるんですね」
体には特に転移魔法による感覚はなかった。
空気の香りが若干変わったくらいで、痛みも異常も何もない。
これほど便利な魔法があったなんて。
と思っていたら、私の隣で立っていたはずのアルネブが、床にへたり込んで苦しそうにしていた。
「はぁ……はぁ……!」
「だ、大丈夫ですか?」
「申し訳、ございません……! 転移魔法は、かなりの魔力を消費するので……! 一度の使用だけで、こうなってしまうんです……」
息も絶え絶えにそう語る様子から、魔力の過剰消費による疲労が窺えた。
便利な魔法かと思ったけど、一度の使用でここまで消耗してしまうのは万能とは程遠い。
まあ、レグルス様とカストル様が先に周辺に張り込めるように、私たちは少し遅れて拉致場所に向かうことになっている。
彼には楽になるまで休んでもらうとしよう。
近くに椅子でもないかと思って周りを見渡すと、私は部屋にあったベッドに目を留めた。
そこで少女が眠っていることに今さらながら気が付く。
十歳前後と思しき長い茶髪の少女。
意識は眠っているようだが、高熱を出しているみたいに苦しそうな声を漏らしている。
長いまつ毛や目鼻立ちの整った顔に、どことなくアルネブに似た雰囲気を感じ取って、私は尋ねた。
「もしかして彼女が、呪いを掛けられたっていう……」
「そう、です……。俺の妹の、ハミルです」
やっぱりそうなんだ。
彼女がアルネブの妹さんのハミル・レプス。
話に聞いていた通り呪いを掛けられていて、かなり苦しめられているみたいだ。
悪夢にうなされているのか、布団の端をぎゅっと握り締めながら息を荒くしている。
「犯人に呪いを掛けられてからずっとこの調子で。意識が戻って食事などができる時もあるんですけど、一昨日辺りから呪いが強くなってずっと動けずにいて……」
「早く呪いを解いてあげた方がいいですね」
これが犯人に掛けられた呪い。
見たところ強い衰弱効果を与える呪いのようだ。
こんなことを言いたくはないけど、時間はあまりなさそうである。
言ってしまえばこれは私が巻き込んだわけでもあるから、絶対に助けてあげないといけない。
私はハミルの額に手を当てて、ゆっくりと撫でながら悔しい気持ちを吐露した。
「私が治癒魔法で治してあげられたらよかったんですけど」
「治癒魔法で治す? 魔物の呪いを?」
「大昔に別の国に『大聖女』様という方がいらっしゃったみたいで、歴代でも最大の白魔力の持ち主だったそうです。その方は呪いすらも打ち消せるほど強力な治癒魔法を扱うことができたそうですよ」
「の、呪いを治せるほどの治癒魔法……!?」
初耳だったのか、アルネブは大口を開けて驚愕を示す。
まあ、大昔のことだから今の人たちにはあまり馴染みのない話かもしれない。
私も聖女になった時、歴代の聖女様について勉強をしなければならず、その時に知ったことだから。
大聖女ザニア。
かつてユラナス王国で聖女を務めていた女性。
歴代でも最高位の白魔力を有していて、その治癒魔法は魔物の“呪い”すらも打ち消すことができたという。
当時のユラナス王国は特に魔物の呪い被害が深刻だったため、聖女ザニアの顕現はまさに女神降臨にも等しかったと歴史書に綴られている。
そしてザニアは国民たちだけでなく、他国で呪いに苦しめられている人たちも救い、その功績から『大聖女』という呼び名を得たとのことだ。
「けれど今世代まで同じだけの力を持つ聖女は一人として現れていません」
それほどまでに呪いの治療は困難で、ザニアの白魔力が規格外なほど強大だったという証明でもある。
「もし私が同じだけの力を持っていたとしたら、この子の呪いだってすぐに治してあげることができたんですけど」
「い、いえ、聖女様がそのようなお顔をする必要はありません。俺が大切な妹から目を離して、守ることができなかったのが悪いんですから」
お互いに悔しい気持ちを吐き出す。
いや、二人して辛気臭くなっている場合ではない。
犯人を上手く捕まえることができれば、彼女を苦しめている呪いを解くことはできるのだから。
ここは後ろ向きにならず気を引き締めていこう。
「体が充分に休まりましたら、すぐに指定の場所へと向かいましょう」
「はい、わかりました」
犯人が指示してきた期限は赤月の舞踏会の終了まで。
それまでに私を宮廷から連れ出して、東地区の酒場跡に誘拐しろと命じてきた。
舞踏会の終了は二十四時で、現時刻は二十時のため残り四時間の猶予はある。
けれど、妹さんの体を少しでも早く楽にしてあげるために、なるべく急いだ方がいいだろう。
それから私は、アルネブの回復を待ち、頃合いを見てから犯人の指定した場所へ向かったのだった。




