第二十五話 「冷血の片鱗」
「レ、レグルス王子……!」
青年はレグルス様の介入に戸惑いながらも、なんとか拘束を振り払って私たちから距離を取る。
いまだに稲妻が迸っている手を構えながらこちらを睨んできていて、レグルス様はすかさず私の前に立ってくれた。
「女性を人気のない場所に誘い込み、魔法によって意識を奪おうとしていた。それだけでも重罰だというのに、よりによってスピカを狙うとはね」
レグルス様が冷たい声を発すると、途端にこの場の空気が重たくなる。
彼が心の底から憤っているということが、声と背中姿だけで直感的にわかった。
そして、その理由についても……
「彼女が、第一王子レグルス・レオの婚約者と知っての狼藉か」
「くっ――!」
レグルス様の怒りを目の当たりにした青年は、怯えるようにして後方へ走り出した。
出口はお互いの真横の位置にあるので、距離的にレグルス様に捕まると判断したのだろう。
だから後ろに見える窓から逃走を図ったようだ。
けれど……
「【神の怒り】」
レグルス様がそう唱えた瞬間――
相手の頭上に、『ズガンッ!』と唐突に雷が落ちてきた。
「がっ……あっ……!」
瞬くような閃光が見えたかと思うと、青年はその場で足を止めて硬直しており、衣服のあちこちが焼けて剥がれている。
やがて力なく床に倒れると、レグルス様はその彼の元に歩み寄って膝をついた。
「かなり手加減はしたよ。これなら喋れる余裕くらいはあるだろう」
青年の体を押して仰向けにさせると、その顔を覗き込みながら問いかける。
「いったい何が目的でスピカを襲おうとしたんだ」
「……」
いつになく尖りのある声音で尋ねるが、青年はレグルス様から視線を逸らして黙秘する。
何かを隠しているのか、徹底して黙り続けるつもりのようだった。
「……そうか」
青年のその態度を見て、レグルス様の声音がさらに冷たくなる。
「手心を加えられて、少し安心しているみたいだね。なら、こうするか」
ゴキッ!
前触れもなく、鈍い音が鳴った。
見ると、青年の右手の人差し指が、ありえない角度で曲がっていた。
「う、がああぁぁぁ!!!」
「こう見えても僕は今、相当気が立っている。魔法に手心を加えたのはあくまで君を尋問するためだ。僕を優しい人間だと思わない方がいい」
レグルス様の目が、冷酷に細められていく。
尋問のために雰囲気を出している、というわけではなく、心からの憤りで視線が鋭くなっているように見えた。
「なぜスピカを狙ったんだ。王子の婚約者として攫って、王家に身代金でも要求するつもりだったのか」
「い、言わ、ない……!」
「……」
青年が抵抗し続けて、レグルス様の目がさらに細くなっていく。
次いで右手を伸ばして青年の襟元を掴むと、顔を近づけてさらに威圧した。
「奇しくもこの舞踏会は、赤月の舞踏会と呼ばれている。それに相応しくなるよう、月が覗く天窓を君の血で赤く染め上げてみようか」
刹那、レグルス様の体から、“黒い風”のようなものが迸った。
これはもしかして、可視化された“黒魔力”?
高い魔力を持つ者は、感情の激動によって魔力が外部に漏出し、可視化までされると聞いたことがある。
レグルス様の黒魔力はあまりの激情によって荒ぶり、肉眼ではっきりと映るまでになったみたいだ。
それほどまでに凄まじい怒りを燃やしている証拠。
傍らの私も思わず息が詰まる。
青年もひどく怯えた様子になるが、それでも頑なに口を割ろうとしなかった。
レグルス様の黒魔力が、さらに激しく渦巻いた。
「そこまでだレグルス君」
「――っ!」
その時、不意に部屋の出入口の方から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
第一王子に対してこんな接し方ができる人は……
「カ、カストル様……?」
そこには第一師団の副師団長、カストル・ジェミニ様が立っていた。
カストル様はこちらに対して軽く手を上げると、レグルス様に諭すような声音で告げる。
「何が起きたのかはだいたい想像ができるが、ここは一旦冷静に行こうぜ。下手に騒ぎを大きくしたくない」
「も、申し訳ございません」
口に人差し指を当てるカストル様を見て、レグルス様は冷静さを取り戻していった。
黒い旋風も緩やかに落ち着いていき、私も詰まっていた息をゆっくりと吐き出す。
とてつもない緊張感だった。
魔力の可視化なんて初めて見たし、レグルス様があそこまで感情を乱すなんて。
楽団による演奏のおかげでこの騒ぎはメインホールの方には聞こえていないらしく、カストル様は魔法の発生をただ一人感じ取って様子を見に来てくれたらしい。
そんな彼に、簡潔に事の経緯を説明する。
話し終えると、カストル様はあらかた予想できていたらしく、得心したように頷いていた。
色々と鋭い人だ。
「つい感情が昂ってしまい、強引な手に出てしまいました。冷静になるべき場面だったと反省しております」
「まあ、気持ちはわかるがな」
カストル様は私の方を見る。
レグルス様はたぶん、私が傷付けられそうになったからここまでの憤りを見せたんだ。
つい数時間前に使用人さんたちから聞いた、『血染めの冷血王子』たる由縁の片鱗を見たような気がする。
『レグルス様はご自分が大切になさっているものが傷付けられそうになると、少し冷静さを欠いてしまうところがあるそうです』
『特に物ではなく、家族、友人、部下などに危険が迫ると、感情が昂って力が過剰に溢れてしまうのだとか』
彼女たちが言っていたのはこういうことだったのかもしれない。
こんな時で不謹慎かもしれないけれど、私もレグルス様に大切にしてもらっている人の一人だとわかって、密かに嬉しい気持ちになった。
「けど、ただ感情的にぶつかっても相手の口を割らせることはできないよ。とりあえずここは俺に任せてくれ」
レグルス様の肩に手を置きながらカストル様はそう言うと、いまだに倒れている青年に近づいて顔を覗き込んだ。
「なんでこんなことしちゃったの? スピカちゃんに一目惚れでもしちゃった?」
「……」
冗談交じりの問いかけに対して、青年は相変わらずそっぽを向く。
取りつく島もない様子に、カストル様でも尋問は難しいかと思っていると……
「んっ? 確か君、レプス侯爵家の跡取り息子じゃなかったか?」
「――っ!」
青年はハッとした様子で息を呑んだ。
カストル様は顔が広い。
レグルス様が王国騎士団に入るまでは、第一師団の師団長を長年務めていた実績もある。
人当たりの良さから今回の舞踏会でもたくさんの人たちと交流している姿を見たので、おそらく招待参加者の中で知らない顔はないのではないだろうか。
どうやらこの青年にも見覚えがあるらしい。
「キルキヌス公爵家に騎士修行に来ていた子だろ。何度かあの家の屋敷ですれ違ったはずだが覚えていないか? 名前はアルネブ君で合っているよな?」
そう呼ばれた彼は気まずそうな顔をする。
わかりやすく表情を変えたので合っているようだ。
「勤勉で努力家、騎士修行もつつがなく終えて、かなり優秀だったって聞いているよ。物腰も柔らかくておまけに家族想いで、悪い評判はまったく聞かなかったんだけどな」
アルネブと呼ばれた青年は、カストル様の言葉を聞いて顔の気まずさを増していく。
その表情からはどことなく、申し訳なさそうな雰囲気が伝わってきた。
「何か理由があるんだろ? 君ほどの人物がここまでしなきゃいけない理由が。それを解決してやると断言はできないが、少なくとも君の力にはなってみせるよ。だからよかったら、俺たちに話してくれないか?」
「……」
優しく距離を縮めようとするカストル様。
その優しさに心を動かされたのか、アルネブは苦しそうな顔で涙を滲ませる。
やがて彼はゆっくりと、重く閉ざされていた口を開いて話し始めた。
「……妹の、ためなんです」




