第十九話 「聖女の解毒薬」
「――っ!」
レグルス様は痛みを感じてか、ほんの僅かに右の目尻を細める。
その程度で済んでいるのが信じられないほど、右腕からは相当量の血が溢れていた。
凄まじい忍耐と精神力に驚かされてしまう。
下手をしたら食い千切られてしまってもおかしくないのに、躊躇なく鉄格子に腕を入れられる度胸もさすがのものだ。
「そろそろ充分かな。忌避剤の散布を頼むよ」
「はっ!」
レグルス様の指示を受けて、王国騎士の一人が持っていた小瓶の中身を蛇に振りかける。
それは蛇が嫌う臭いの植物を煮詰めて作った忌避剤らしい。
魔物に対しては効果が薄いようだけれど、その液体を直接浴びた蛇の魔物は僅かに怯んだ。
その隙にレグルス様は腕を引き抜く。
幸い、腕を丸ごと食い千切られるという事態にはならなかったけれど、傷はかなり深いように見えた。
「はぁ……はぁ……!」
最初こそ、傷の痛みにも動じていなかったレグルス様だが、次第に息が荒々しくなっていく。
ついには額に汗を滲ませながら倒れそうになり、そこを王国騎士の人たちが咄嗟に支えた。
魔物の猛毒が回った証拠。
そうとわかって、レグルス様は左手に持っていた私の解毒ポーションを掲げる。
「それじゃあスピカ、使わせてもらうよ」
ゴクゴクッ。
私の作った解毒ポーションが、レグルス様の体に入っていく。
コルブス魔占領域の魔物の毒は強力だ。
これはその毒に有効かどうか調べるための治験。
もし私の解毒ポーションが粗悪なものだったら、毒を治せずにレグルス様を苦しめることになってしまう。
最悪、通常の解毒ポーションの毒の分解も間に合わず、レグルス様の命が危険な目に……
だからお願い、私の解毒ポーション。レグルス様の毒を治して……!
「毒の分解には時間が掛かります。一つだけで足りなかった場合は、追加で服用させる必要がありますのでご準備を!」
「は、はい!」
王国騎士の人にそう言われて、私は咄嗟に二個目の解毒ポーションを取り出す。
それを持ってレグルス様の方へ近づこうとした、その瞬間――
「えっ……?」
信じがたい光景が、私の目に飛び込んでくる。
なんと騎士たちに背を預けていたレグルス様が、すっと体を起こした。
まるで、何事もなかったかのように。
「……レグルス……様?」
「……」
荒々しくなっていた息も整い、吹き出していた汗もすでに止まっている。
支えになっていた騎士たちも呆然とした様子でレグルス様を見ていて、彼もまた自分の体を見下ろしながら言葉を失っていた。
これは、もしかして……
「…………毒が、治ってる」
「えぇ!?」
レグルス様のその呟きに、その場にいた全員が目を見開いた。
毒がすでに治っている?
ポーションを飲んでから、まだ五秒くらいしか経っていないような。
毒の分解には時間が掛かると聞いていたのに。
でも確かにレグルス様の表情は至って平凡で、苦しそうな様子は微塵も感じられない。
「ど、どうしてもう毒が治っているんだ? この魔物の毒が弱かったってことか?」
「いや、つい先日事故でこいつに噛まれた奴がいたが、解毒ポーションを三つ使って五分ほど解毒に時間が掛かってたぜ」
「じゃあ、どうしてレグルス様は……」
私のポーションを一つ飲んだだけで、僅か数秒で全快してしまったのか。
「まさか、スピカの解毒ポーションは……」
というレグルス様の呟きに、副師団長のカストル様が微笑んだ。
「まあ、にわかには信じられねえが、おそらく“そういうこと”なんだと思うぞ。一応念のために、副師団長の立場として俺もやらせてもらうよ」
すると今度はカストル様が、鉄格子の中に腕を入れて魔物に噛ませた。
そして自分で忌避剤を使って魔物を怯ませると、即座に腕を抜いて私から解毒ポーションを受け取る。
この人もこの人でとんでもない度胸があるな、と思っていると、カストル様にも毒が回って息が荒くなっていった。
直後、すぐに私の解毒ポーションを服用する。
その瞬間――
「……うおっ、マジかよ。本当に一瞬で楽になりやがった」
レグルス様と同様に、カストル様もすぐに全快した。
猛毒を受けていたのが、まるで嘘だったみたいに。
「やっぱりそうだ。スピカの解毒ポーションは、他の解毒ポーションより効力が強いんだ。それも“桁違い”に」
「桁、違い……?」
「聖女の魔力によって効力が底上げされるのは、治癒ポーションだけじゃなかったってことだよ」
聖女の魔力に、そんな力があったなんて……
にわかには信じられないことだが、実際に目の前の二人がそれを証明してくれた。
通常であればこの猛毒は、三つの解毒ポーションを使い、時間を掛けてようやく治せるもの。
しかし私の解毒ポーションは、たった一つを服用しただけで、一瞬で猛毒を治すことができる。
それだけ通常のものよりも効力が強く、毒の分解量と速度が規格外であることを示している。
じゃあ、私の解毒ポーションは……
「開拓作戦に投入、で問題はないよなレグルス君」
「問題はないどころか、優先的に採用したいくらいですよ。まさかこれほどとは思っていませんでした。これで滞っていたコルブス魔占領域の開拓作戦が、大幅に進行します」
師団長と副師団長のそのやり取りを聞いて、周りの王国騎士たちも何やら大いに盛り上がっていた。
厄介な毒を扱う魔物たちのせいで、開拓作戦が難航しているというのは聞いている。
だからその問題が私のポーションで解決しそうということで、それは嬉しい話ではあるんだけど……
私の心中は、それどころではなかった。
すぐにレグルス様の元に駆け寄り、右腕の傷口に両手をかざす。
「【癒しの祈り】」
すると私の手に純白の光が灯り、いまだに血を流しているレグルス様の傷を、ゆっくりと塞いでいった。
その光景を、みんなは呆然と見つめる。
「今の、もしかして……」
「せ、聖女の治癒魔法だ……!」
「は、初めて見た」
治療を受けているレグルス様も驚いた様子で固まっている。
やがて傷口が完全に塞がると、私は解毒が成功したことの安堵もあって、深いため息を漏らした。
本当によかった、何事もなく終わって。
「ありがとうスピカ。でも貴重な魔力を消費してまで治すような怪我じゃ……」
私はレグルス様の右腕をそっと撫でながら、懇願するように告げた。
「二度と、このような無茶はしないでください」
「……あ、あぁ、そうだね。これからは気を付けるようにするよ」
レグルス様は心なしか言葉をつかえさせながらも、私に頷きを返してくれた。
彼が目の前で傷付くのを見るのが、こんなに辛いことだなんて思わなかった。
いつも私のことを過保護に心配してくださるのなら、同じくらい自分の体の方も大切にしてほしいです。
その後、カストル様の傷も癒して、私の解毒ポーションの治験は無事に終了したのだった。