第68話 夢と現実
空港に辿り着いた時、俺は事態が思っていた以上にマズいことを理解した。
大地の花束に押し上げられた建物は、形を保ってはいるものの、崩れかけてる。
おまけに、吉田さんを筆頭に空港に避難していた人たちはみな、苦しみながらその場に倒れているんだ。
俺とマリッサだけで全員を助けるのは、現実的じゃない。
直感的に、そう思ってしまう。
だけど、何もしないで逃げ帰る訳にもいかないよな。
「吉田さん! 椿山さん! 俺の声が聞こえますか!」
かなり大声で呼びかけてみるけど、2人とも顔をしかめているだけで反応はない。
皆に何があったのか。
その答えを、俺はなんとなく理解し始めていた。
「……そういえば、自衛隊駐屯地でも同じような状態だったな。いや、あれよりも苦しそうか」
以前、吉田さん達と一緒にエルフに捕まった時、俺は今と同じような光景を目にしている。
あの時は確か、会議室の中にあった青い光を発する物体のせいで、多くの人間が深い眠りについてた。
あの時と今の状況に共通するものと言えば、光ぐらいだよな。
「屋内にいるのにこの威力ってことは、迂闊に外に連れ出すのは危ないか?」
苦しんで、昏倒している吉田さん達は、それでもまだ、マシな状態なのかもしれない。
それだけ、空に浮かぶ光龍の巣が放つ光には、強い力が宿っているんだろう。
言ってしまえば、光と一緒に魔素が降り注いでるワケだから、無理もない。
「どうしたらいい? この状態で、俺に何ができる?」
動けるのは、魔素に耐性のあるエルフや俺、ウェアウルフのメイやドワーフも動けるみたいだ。
でも、ただの人間は、今の環境下で生きていくのは難しいのかもしれない。
そういう意味では、今、地球上で動けている人間は俺だけなのかもしれないんだよな?
「とりあえず、皆を一か所に集めるか」
他に出来ることが思い浮かばないから、俺は吉田さん達の脇を抱えて、なるべく近くに寄せ集めることにした。
本当に、何の意味も無い行動。
それでも、何もしないよりはマシだと信じて、今はとにかく体を動かす。
「ねぇ。何してるの?」
「見ての通り、取り敢えず皆を近くに集めてるんです。なんだったら……ふぅ。手伝ってくれてもいいんですよ?」
のんきに声を掛けて来る地龍。
そんな地龍に苛立ちを覚えながらも、俺は額の汗を拭った。
「止めとくよぉ。そんなことしても、何の意味も無いからねぇ」
「……っ。それじゃあ、今の俺に何ができるって言うんですかっ!?」
思わず感情に任せて声を荒げてしまう。
それでも動じない地龍は、俺の肩越しに視線を向ける。
咄嗟に振り返ると、そこには朧を抱きかかえてるマリッサの姿があった。
「僕だったら、彼女の手助けをしてあげるかな」
「手助けって。もちろん出来るならそうしたいけど……」
そこで俺は、少しだけ咽てしまう。
水龍の鱗を取り込んだせいで、いつもより呼吸がしにくいせいだな。
胸元にある鰓と肺が喧嘩してるみたいだ。
咳き込みながら呼吸を整えた俺は、だけど、そのおかげで少しだけ苛立つ頭を落ち着けることができた。
「大丈夫かい?」
「はい。それより、地龍様。マリッサを手伝えば、皆を助けることができるんですか?」
「う~ん。まぁ、そうだねぇ。少なくとも、倒れてる人間を一か所に集めるよりは、理にかなってるのかもしれないよねぇ」
言い方が回りくどい上に、間延びした口調のせいで、余計に分かりにくい。
だけど、地龍は確実に、今の状況を打破する方法を理解してるみたいだ。
その方法を、聞きだすことが、今の俺がするべき仕事だよな?
ったく、営業マンとしての腕が試されてるってワケか?
なんて、冗談はさておき。
俺は頭の中で地龍から聞き出すべきことを整理した。
「つまり、この状況を打破するためには、朧の力が必要だってことですね?」
「うん。そうだよぉ」
「朧の力……隠れ蓑の事か? それとも……」
そもそも、朧はどうして衰弱してるんだ?
光龍の巣が放つ光に、強力な魔素が含まれてるから?
いいや、よくよく考えれば、それは間違ってるはずだよな。
だって朧は、カラミティの後も俺と同じアパート付近に居たって話だから。
つまり、濃い魔素への耐性はある程度持ってるはず。
それじゃあどうして、倒れてる?
メイは、体内の地の魔素が原因で暴走してた。
それじゃあ、朧の体内にある魔素って、なんだ?
そう言えば、風龍が何か言ってったっけ?
たしか、朧の魔素は見えないとかなんとか……。
だから、闇か光のどちらか……。
「朧は……闇の魔素を持ってるのか! だから、光の魔素が強くなったことで、衰弱して」
「はずれ~」
「え? どうしてですか?」
「もう~。ちゃんと読んで理解してって言ったのになぁ~」
そう言った地龍は、ため息を吐いたあと告げる。
「光は無限なんだよぉ。だから、どんどん強くなる。そうして光が強くなればなるほど、闇は深くなる。キミも知ってるはずだよ? 光が強いほどに、影は濃くなるんだからねぇ~」
「光が強いほど……闇が深くなる。つまり、朧の持ってる闇の魔素は強くなってるってことですよね? それじゃあどうして、暴走じゃなくて衰弱するんですか?」
「強くなるんじゃなくて、深くなるんだよ? 深淵。だからね。深い深い眠りに落ちてくんだ。キミたち人間は、夜の暗い時間に眠るんでしょ? それと同じだよ」
「眠りに落ちる? それじゃあ、弱ってるワケじゃないってことですか?」
「そうだねぇ。だから、今キミがするべきなのは、闇に沈んで眠りにつこうとしてるあの子を、叩き起こしてあげる事なんだよねぇ」
「それは……どうやって」
「そんなの、さっきからあの娘がやってるジャン。あとは、彼が目覚めるかどうか判断するだけでしょ?」
涙を流しながら、何度も朧に呼びかけてるマリッサ。
そんな彼女の傍に歩み寄った俺は、微動だにしない朧の頭をそっと撫でつける。
「朧」
隣で鼻をすするマリッサに目配せをした俺は、彼女から朧を受け取って抱えた。
なんて声を掛ければいいんだろう?
腕に抱えた彼はとても軽くて、俺は思わず、いつものような軽口を叩きそうになった。
でも、それじゃダメだよな?
地龍が言ってたことが本当なら、朧は今、眠りにつこうとしてる。
それが具体的にどういう意味なのかは分からないけど、夢の中が心地いいと思われたら困るってワケだ。
逆に言えば、こんな夢なんか見ていたくないって思わせれば、良いってコトだろ?
そんなこと、簡単だ。
辛くて重たい現実を、語り掛けてやれば良い。
もうやめろって文句を言いたくさせてやれば良い。
それはある意味、俺が今まで避けて来たことかもしれないな。
だって俺は、カラミティが起きる前の世界が、全部無くなってくれたら良いって思ってたんだから。
「朧はさ、後悔とか、したことあるか?」
動かない朧の頭を撫でながら、俺は続けた。
「俺はあるぞ。その中でも一番デカい後悔はさ、親父についてなんだ」
「ハヤト……」
隣のマリッサが小さく声を漏らすけど、俺は気にせずに話した。
「カラミティが起きる少し前に、俺の親父は死んだんだ。車に轢かれて。事故死だよ。そんな親父のことを、俺はもっと助けてやればよかったと思ってる」
ここで一旦言葉を区切る。
相変わらず、朧は反応なしだ。
「今思えば、親父は本当に不憫だった。若い頃に生まれた俺を育てるために1馬力で働きづめて。ようやく俺が成人したと思ったら、俺の母親が不倫して離婚。仕事ばっかりだったから、俺以外に知り合いも殆どいなくて、寂しそうだった。だけど、新しく始めた趣味に打ち込み始めた頃、事故にあったんだ……これから、もっと楽しくなるって、張り切ってたのにさ」
それからだったかな。
俺は普通に生きていくことが、とてつもなく息苦しく感じるようになっていった。
「俺さ。カラミティが起きた時、かなり不安だった。だから、お前が階段から現れた時、かなり嬉しかったんだぞ? まぁ、驚いたけどさ。普通に話すから、化け猫かよって思ったっけ。でも、それでもよかった。化け猫だろうとなんだろうと、俺はお前が一緒に居たから、今まで生きてこれたと思う」
実際、助けられたことも少なくないし。
「で、いつだったか気づいたんだよ。俺は多分、自分の居場所がないことが不安だったんだ。親父のために頑張ろうって、そんな居場所がなくなって、世界までぶっ壊れて。心細かったんだ」
そこで言葉を区切った俺の腕の中で、朧が小さく唸る。
意識が戻り始めてるのか?
だとしたら、この際聞いておきたいことがある。
「なぁ朧。俺さ、ずっと不思議に思ってたんだけど」
ピクッと動く朧の耳。
同時に口元を両手で覆うマリッサ。
それらを目で確認しながら、俺は口を開いた。
「どうしてあの時、俺に声を掛けてくれたんだ?」
すると、俺の腕の中から掠れる声が返ってくる。
「……お前さんが、オイラに似てる気がしたから。それだけだ」