第60話 知ってしまった責任
凄まじかった嵐が急に晴れて、なんとなく気持ちも一緒に晴れたような気がしていたその日。
私、仲之瀬志保は、日課の絵を描いていた。
自衛隊駐屯地が魔物達に襲われて、エルフ達に連れられる形で逃げて来たこの場所は、深い山の中。
魔術で出来た野営地だ。
それにしても、魔術って便利だよね。
あっという間に小さな城のような建物を造り上げちゃうんだから。
そんな城の中に居るんだから、私はもう安全だ。
なんて、そんな風にはどうしても思えない。
理由は明白、エルフ達が私に向けて来る視線が、あまりにも鋭すぎるから。
比喩とかじゃなく、彼らが本気になれば、私は一瞬で消し炭になるんだと思う。
ちっぽけで、軽い命。
だからこそ、私は今、絵を描いている。
それだけが、私の存在価値なんだと、理解してるから。
「ってのは分かってるけど……毎日毎日魔物の絵ばっかり描くのは、やっぱりちょっとしんどいなぁ」
どうせなら、少し前に描かせてもらえたウェアウルフの絵を、もう一度描きたいな。
メイちゃん……可愛かったし。
あぁ……あのモフモフ。触りたいぃ。
「……ダメ。全然集中できないな」
私が描いた大量の絵は、エルフの兵士達の指南書として利用されてるらしい。
ナレッジさんが言ってた。
なんでも、魔物の弱点とか諸々をメモできるようにして、戦力の底上げをしてるんだとか。
戦いとか、全然分からないから、それが本当に意味ある事なのかは分からないけど。
でも、絵を描くだけで私の価値を示せるんなら、やらないわけにはいかないよね。
「せっかく天気も良くなったし、ちょっと散歩にでも行こうかな」
固い椅子の背もたれに寄りかかり、窓の外に見える空を見上げながら、呟いてみる。
うん、やっぱり気分転換は必要だよね。
そうと決まれば、早速向かおう。
あんまりエルフ達に見られたくはないから、こっそり野営を抜け出さなくちゃいけない。
まぁ、影の薄さには自信があるから、多分大丈夫。
部屋の外に誰も居ないことを確認して、慎重に廊下に出た私は、そのまま建物を抜け出した。
そうして、野営地を取り囲んでる塀に沿って歩くこと数分。
足元に見える小さな隙間から、私は野営地の外に這い出した。
外の森に出るのは数日ぶりかな。
部屋に引きこもるのも好きだけど、こうして森の中を散歩するのも好き。
なんか、落ち着ける。
「今日はどこにしようかな」
森の中で、空を眺めていられる場所は、そう多くない。
そんな場所を探し求めて歩いていると、少し先のほうに、木の生えていない開けた場所があるのを見つけた。
幻想的な感じで陽の光が差し込んでるのも、高ポイント。
「あそこにしよう」
目的地を決めて、少しだけ足を速めた私。
少しだけ軽くなった心に身を任せて、鼻歌を歌おうとした私は、視界の端に動く影を見て、思わず足を止めた。
咄嗟にしゃがみ込んで、茂みに身を隠す。
見られたかな? 気づかれたかな?
もし、魔物だったらどうしよう?
こんなところに隠れてないで、今すぐ逃げ出した方が良い?
でも、私の足で逃げれるかな?
野営地に逃げ込んで、そのせいで魔物を引き込んでしまったら?
ただでさえ居場所がないのに、今度こそ追い出されかねないよね。
ダメだ。
頭がよく回らない。
動揺しちゃってる。落ち着かなくちゃ。
少しだけ茂みの中に隠れてたから、動揺はゆっくりと引き始めてる。
本当は、今すぐにでも逃げ出したいけど、それは危ないよね?
熊に遭遇した時は、走って逃げちゃいけないって言うし。
今は、相手が何なのか、しっかり把握しなくちゃダメだ。
そう思って、恐る恐る茂みから様子を伺った私は、広場の端の地面から、何か白いものが這い出してきていることに気が付いた。
大きな2本の鎌と蛇のような胴体を持っているそれは、明らかに魔物。
熊なんかより、厄介だ。
「どうしよう……こんなところに、魔物の巣があるってこと?」
野営地からはそれほど離れてない場所。
そこに白い魔物の巣があるとしたら、かなり危ないはず。
すぐにでもエルフ達に教えなくちゃ。
だけど、私の言うことを誰が信じてくれるんだろう?
「……ナレッジさんに、言わなくちゃ」
幸い、鎌ヘビの魔物は私に気が付いてないみたい。
ゆっくりと、音を立てないように引き返した私は、そのまま野営地の中に逃げ込む。
大丈夫、魔物には追われてない。
あとは、ナレッジさんを見つけて、巣の場所を教えるだけ。
そう思って、野営地の中を探し回った私は、一向に彼女を見つけることができなかった。
この時点で、私は気づくべきだったのかもしれない。
だけどこの時の私は、エルフ達から向けられる沢山の視線を、どうやって逸らすのかしか考えてなかったんだ。
だから、どこからともなく遅れて姿を見せたナレッジさんを見て、私は喜んだ。
「ナレッジさん!!」
「どうしたんだい? シホ。随分と私を探し回ってたと聞いたけど」
「はい。ちょっと、お話したいことがあって、ですね」
「分かった。とりあえず、キミの部屋に戻ってから聞こうか」
「はい」
部屋に戻って、私がさっき見たモノを説明すると、彼女はその場所まで案内してくれと言った。
今回は、ナレッジさんが一緒だから、大丈夫。
そう思って、さっきの広場まで彼女と2人で向かった私は、広場の前で足を止める。
「で? 穴はどこにあるのかな?」
「えっと、あっちの方に……って、ナレッジさん!? 魔物が居るかもしれないんですよ!?」
「大丈夫だよ。魔物が出ても、私が何とかするから。それよりも早く、一緒に穴を探してくれないかい?」
「……分かりました」
怖いけど、言うことを聞かないわけにはいかない。
もしかしたら、巣を見つけることでエルフ達にも認められて、少しは居心地が良くなるかもしれない。
そんな下心が、私にはあった。
「おかしいな……このあたりから魔物が出て来てたはずなんだけど」
記憶を頼りに、地面をくまなく探すけど、穴らしいものはどこにもない。
このままじゃ、嘘を吐いたって思われちゃうかも。
なんてことを考えていた矢先、背後にいたナレッジさんが、私に声を掛けてくる。
「シホ。そこで止まって」
「はい? どうかしたんですか? ナレッジさん」
何事かと彼女の方を振り返った瞬間、ナレッジは私を見下ろしながら手を2回叩いた。
直後、足に鋭い痛みを覚えた私は、そのまま身体を地面の中に引きずり込まれてしまう。
視界がブラックアウトし、全身を何かに圧迫される。
そうして気が付いた時、私は暗い空間のなかに居た。
「何っ!? どうなってるの!? ナレッジさん!? どこに居るんですか!?」
慌てて周囲を見渡すけど、何もない。
……いいや、何かがいる?
よく見ると、無数の目のようなものが、私を取り囲んでいる。
「ひっ!!」
「見られちゃったからには、放っておくわけにはいかないからねぇ」
「ナレッジさん!? いるんですか? これは、一体。どうなってるんですか?」
「どうなってるって、見たんでしょ? さっき」
「魔物の事ですか? もしかして、ここは……さっきの魔物の巣なんですか!? 助けてください!! 殺されちゃう!!」
薄暗い中を目を凝らしてみると、右に左にも、さっきの鎌ヘビがいる。
このままじゃ食べられちゃう!!
心臓が音を立てているのが分かる。
怖い。助けて!
そう叫ぼうとした私は、目の前の鎌ヘビたちがぞろぞろと動いて道を作り出したのを見て取った。
その道を歩いて姿を現したのは、さっきまで地上に居たはずのナレッジ。
「大丈夫。キミには生きててもらわないと困るからね」
「ナレッジさん……? それは、どういう意味ですか?」
「知らない内は好きなようにやらせてあげるつもりだったんだけど、知ってしまったからには、責任を負ってもらわないといけないからね。ただそれだけの意味だよ」
「責任……?」
「そうさ。これが何か、分かるよね?」
そう言って、ナレッジはすぐ傍に居る鎌ヘビを指さした。
「魔物……です」
「そう。で、これは何かな?」
「それは!?」
前触れもなく彼女が私に見せたのは、2枚の紙。
その紙には、私が描いた魔物の絵が描かれてる。
カマキリの魔物と蛇の魔物。
その2枚の絵を前に突き出した彼女は、唐突に、炎の魔術で絵を燃やしてしまった。
メラメラと、燃える絵。
地面に落ちて燃え続けるその紙が、ゆっくりと変化を見せ始める。
「キミは知ってしまった」
炎の中から姿を現したのは、白い体表を持った鎌ヘビの魔物。
それはまるで、私の描いた『絵』が交じり合って生まれたような、そんな姿。
「この事実を、他の皆が知ったらどうなるかな?」
他の皆。つまり、エルフ達?
エルフ達が今目の前で起きたことを知ったら。どう思うだろうか?
そんなの、考えるまでも無い。
白い魔物は自衛隊の駐屯地を襲って、住む場所を奪った。
多くのエルフの命も奪った。
悪いのは魔王軍。
そう思ってたのは、勘違い。
全部、ナレッジが仕組んだこと?
ううん。重要なのは、そこじゃない。
私の絵が、元凶なんだ。
「だからこそ、キミは私を手伝うしかないんだよ」
まるで、私の考えを全て呼んでいるように、ナレッジは言う。
私はただ、無力感と絶望感に身を任せて、涙を流すしかなかったんだ。