第6話 今の君に必要なのは
どれほど世界が変わったからと言っても、夜の街に響く遠吠えは、あまり馴染みのあるものじゃないよな。
それは俺にとってだけの話じゃなかったらしく、交差点を取り囲むように、多くのゴブリンが姿を現し始めた。
必然的に、俺が通れそうな逃げ道が無くなって行く。
「本格的におしまいだな……これは」
「オイラだけなら、逃げ出せるかもだけど」
「マジかよ。さすがだな、朧」
「まぁな……って、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「そうでもないさ。短い間だったけど、お前と過ごした数日、意外と楽しかったぜ。それじゃあ、元気でやれよ」
「おい! 本気で諦めるつもりか!?」
「じゃあどうしろって言うんだ!? 目の前には正気を失った狼人間、周りはゴブリンに囲まれてる。そんな状況で、ただの一般ピーポーである俺に、何ができる?」
「オイラは逆に、お前さんが、その一般ピーポーだからこそ、何とかなるかもしれないと思ってるけどな」
「……マジで?」
「まぁ、確実な話ってわけじゃないけど……でも、見て見ろよ、ゴブリンもあの嬢ちゃんも、もはやお前に興味なんか無いみたいだぜ?」
朧の言う通り、交差点の真ん中で俺を睨み付けて来ていた彼女は、周囲のゴブリンに威嚇をし始めている。
対するゴブリンも、少しだけ彼女の様子に警戒しつつも、多勢だという武器でジワジワと包囲網を狭めつつあった。
「まさか、弱い俺は後回しにされてるってことか?」
「簡単に言うと、そう言うことだな」
「なるほど、でもそれって、ゴブリン相手に彼女を戦わせるってことだよな? 大丈夫なのか?」
「何が?」
「あの子が怪我とかしたら、大変だろ?」
俺の言いたいことを理解したらしい朧は、周囲を威嚇している彼女に視線を投げた後、不思議そうに呟いた。
「それはそうだけど……って、そう言えば、あの嬢ちゃん火傷を負ってたよな?」
何を疑問に思ってるのかは知らないけど、とにかく、彼女1人に全部任せるのは気が引ける。
そんなことを伝えようと口を開いた俺は、直後、朧の抱いた疑問の正体を理解する。
「だからっ!……あれ?」
あの獣人の女の子は酷い火傷を負っていたはずだ。
だけど、理性を失って狂暴化している彼女の身体には、その痕跡が見当たらない。
まるで、全部綺麗に治ってしまったかのように。
「さすがというか、なんというか、ファンタジーだな」
「何言ってんだ? それより、そろそろ始まりそうだからな、心の準備は良いか?」
「そうだな。火傷については、あの子が正気を取り戻してから、聞いてみよう」
そう言った俺が、立ち上がって体勢を整える前に、彼女が動いた。
低い唸り声を上げる彼女は、赤く輝く瞳でゴブリンを見渡したかと思うと、鋭い爪と牙を武器に正面から突っ込んでいった。
同時に巻き起こるゴブリン達の絶叫と雄叫び。
瞬く間に夜の交差点とは思えない程の熱気に包まれた俺達は、目立たないように身を屈めて動き出す。
「あっちだ! ゴブリンが嬢ちゃんに注目している間に、走れ!!」
「分かってる!!」
走りながらも、俺は視界の端に暴れる彼女の姿を捉え続けた。
しっかりとは見えてないけど、彼女は俺が想像していた以上に激しく戦ってる。
襲い来るゴブリンを切り裂き、蹴とばし、放り投げる。
そうして戦ってる彼女の姿は、どこか自暴自棄にも見えるのは気のせいかな。
「考えすぎか?」
「颯斗、次は右に行け! 半開きの扉から、一旦建物の中に入るぞ!」
「分かった!」
取り敢えずまずは、自分の安全を優先しよう。
そう考えて、朧の後を追うように走った俺は、不意に何かの影が俺達に掛かったことに気が付く。
「っ!?」
影を見た瞬間、俺は咄嗟に右に飛び退いた。
結果的に言えば、それは正解だったらしい。
「くそっ……痛ってぇ」
地面を転がった際に、落ちてた石を膝で踏んでしまったみたいだ。
かなり痛い。
だけど、そんな痛みがどうでも良くなる光景が、目の前に迫りつつある。
俺を睨み付ける赤い瞳の彼女が、ゴブリンを手当たり次第に投げつけて来てるんだ。
「颯斗! 大丈夫か!?」
「大丈夫だ! 朧は先に行ってろ!!」
「でも!」
「良いから行け!!」
飛んでくるゴブリンをなんとか躱しながら叫んだ俺。
なに格好つけてんだろうな。
でも、朧まで道連れになるのは避けるべきだろ。
彼女がゴブリンを投げつけ始めたことで、周囲にいたゴブリン達の視線も自然と俺に集まり始める。
これはもう、本格的にダメなやつだな。
手にしてる傘を握りしめてみるけど、そんなことで急に戦えるようになるわけない。
ましてや、これだけのゴブリンの群れを相手にしても戦えるような獣人の女の子に、勝てるわけがない。
「今の俺に出来ることがあるとすれば、それは死に方を選ぶくらいだよな」
ゴブリンに殺されるくらいなら、まだ彼女に殺された方がマシだ。
名前も知らないような女の子相手に何を言ってんだって話だけど、この状況なら誰だってそう思うだろ?
「良いぜ、色々とぶちまけたいことがあるんだろ? 俺で良ければ全部受けてやるよ。その代わり、少しで良いから、手加減してくれねぇか?」
「ガァァァァッ!!」
「ははは、そっか。全力じゃないと意味ないよな」
咆哮する彼女に、俺は思わず苦笑してしまった。
せめて、名前くらい聞いておけば良かったかなぁ。
そんなことを考える俺の視界の中で、彼女が猛然と突っ込んでくる。
振り上げられる右腕。
彼女の右腕に反応することもできないまま、俺は咄嗟に目を閉じてしまった。
「絡めとって、ドライアド!!」
死を覚悟した瞬間、聞こえて来たその声に、俺は思わず目を見開く。
そして、声の聞こえて来た頭上に視線を投げた。
「エルフ!?」
4日前にガルーダに乗って飛び去って行ったあのエルフが、俺の背後のビルの屋上に立ってる。
身に纏っている特徴的な青い服を風に靡かせている彼女は、躊躇することなく屋上から飛び降りた。
と言っても、地面までの落下途中でどこからともなく現れたガルーダに拾われて、綺麗に着地して見せたんだけどな。
そんな彼女は、無言で俺の元に歩み寄ってくると、これ見よがしに告げる。
「これで貸しは無しだよね?」
「あ、あぁ……」
「それじゃ」
呆気にとられた俺が、また何も言えないまま、エルフは飛び去ってしまうのだろうか。
だけど、彼女はそのまま飛び去るつもりは無いらしい。
隣にガルーダを侍らせたまま、地面から伸び出た無数の蔦で拘束されている獣人の女の子に歩み寄って行く。
目を赤く光らせながらも、エルフに威嚇している女の子。
彼女の周りには、ご丁寧にもゴブリンが近づけないように蔦の壁が作られていた。
そんな彼女の目の前に立ったエルフは、口を開くことも無いままにガルーダに目配せをする。
その様子を見た俺は、思わずエルフの前に飛び出した。
なぜか、とてつもなく嫌な予感がしたんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今、何をしようとしてる?」
「何って、その子は危険だから、ここで始末した方が良いでしょ?」
「いやいや、誤解なんだ。いや、誤解なのか分からないけど、少しだけ待ってくれ。頼む」
「何を言ってるの? 貴方は今、この子に殺されかけてたんだよね?」
「そうなんだけど、そうじゃないっていうか。これには深い事情があるんだよ。彼女は被害者だ。この世界の、ワケの分からない状況の、な」
「……それは、どういう意味?」
「事情は良く知らない。だけど、彼女はついさっき、とても大切な人を失ったばかりなんだよ。だから」
「……そう」
俺の懇願に、少し暗い表情を見せるエルフ。
彼女も何かしらの事情を抱えているのかもしれないな。
とはいえ、今は理性を失ってしまったこの子に集中するべきだ。
すぐに後ろで拘束されている女の子に向き直った俺は、大きく息を吐いた。
「ふぅ……マジで死ぬかと思った。でもまぁ、こうしてお互いに生きてるんだ。これは何かの縁があったってことだよな」
「グルルルル」
「まぁ、落ち着け……って言われて落ち着けるとは思えないから、一方的に話すぞ。俺の名前は茂木颯斗。ハヤトとでも呼んでくれ。弟のこと、本当に残念だ。俺、何もできなかったし、配慮が足りなくて君を傷つけたかもしれない。ごめん」
「グルル……」
「辛いよな。だけど、だからこそ思い出して欲しい。君はあれだけボロボロになりながらも、ここまで弟を抱えて来たんだろ? どうしてここまで諦めなかった? 何が、君にそこまでさせた? 家族だからか?」
「……」
「事情も何も知らない俺が、そんな踏み込んだ話を聞くのは失礼かもしれない。だけど、このまま自棄になってる君を見放すのは、君の弟に失礼な気がするんだ。俺と君がここで出会ったことは、本当に無意味だったのかって。君の弟が、君のことを心配したんじゃないかって。そんな気がするんだよ」
俺を睨む赤い瞳が、次第に落ち着きを取り戻して行く。
それと同時に、大粒の涙が彼女の頬を伝い始めた。
そんな彼女の頭を、恐る恐る撫でた俺は、ホッと息を吐き出して問いかける。
「だから、君の話を俺に聞かせてくれないか? 何があったのか、どれだけ辛いのか。多分、今の君に必要なのは、そんな時間だと思うからさ」
「うぅ……」
俯いてボロボロと涙を溢す女の子。
そんな彼女の頭から俺が手を離すと同時に、彼女を拘束していた蔦が一気に解除される。
振り返ると、エルフがそっぽを向いて立ってる。だけど、俺達の会話には、しっかりと耳を傾けているようだった。
「……メイ」
「ん? どうした?」
「アタシの……名前、メイって言うの」
「そうか、よろしくな、メイ」
「……うん」
俯いて涙を拭うメイ。そんな彼女から背後にいるエルフに視線を移した俺は、肩を竦めてみせる。
「というワケだ。なんだったら、アンタも同席するか?」
「……」
どこか不服そうな表情を向けて来るエルフ。
さすがに同席は無理か。
なんて俺が考えてメイに向き直ろうとしたところで、不意にエルフが口を開く。
「……マリッサ。それが私の名前だよ」
「そうか。ありがとう、マリッサ。それと、よろしくな」
「話を聞くだけだよね? まぁ、別にいいけど」