第56話 存在の証明
「これは、かつてのドワーフの英雄、ガランより聞いた話です」
貝殻の中から聞こえてくる澄んだ声は、そう切り出した。
「同胞のため、仲間のため、家族のため、自らのため。英雄ガランはドワーフの里を襲う悪しきドラゴンを討伐に、単身でドラゴンの巣に向かいました」
さっきまでのオドオドした感じが抜けて、はっきりとした物言いで水龍は続ける。
「彼とドラゴンの死闘は長く続き、両者ともに疲弊していく中、一瞬、ガランが気を抜いてしまった時、彼はあっという間にドラゴンによって捕食されてしまったのです。その時、真っ暗な腹の中で、彼は絶望したと言っていました」
「自分が死ねば、報復のためにドラゴンがドワーフの里を襲う。全てを投げ打って討伐に向かったというのに、彼のせいで、彼はすべてを失ってしまう。里も仲間も家族も。そんな事実に、彼は恐怖したのです」
「死を、恐れたのです」
もしかして、水龍とガランは面識があったんだろうか?
まるで直接聞いたかのような物言いだよな。
「そんな彼は、ドラゴンの腹の中で大きな魔術結晶を発見しました。そうして気づきます。ドラゴンが里の周辺を荒らしていたのは、魔術結晶を喰らうためだったのだと」
「その時の彼は、半分自暴自棄になっていました。ドワーフには、魔術結晶の魔素を操れるだけの耐性が無い。そんなことは理解していたはずなのに、彼は躊躇うことなく、それに手を出します」
「無様にも死に抗おうとするガラン。そんな彼のことを、あのお方は見ておられたのです。そうして、エピタフの籠手を授けられた。その先の話は、貴方も既にご存じですよね?」
「英雄ガランは、見事ドラゴンを倒して、里を救った?」
「その通りです」
英雄ガランについては、ざっくりとした話をバロン達から聞いてる。
だけどそれは、あくまでも言い伝えとかそういった類の話しで。
彼女のそれとは、少し性質が違うように思えた。
と、それまで黙ってたメイが、申し訳なさそうに口を開く。
「す、すみません。アタシ、良く分からなかったんですけど。あのお方って、誰の事を言ってるんですか?」
「あのお方は、あのお方です。あなた達の言葉に置き換えるとするならば、そうですね、龍神様と呼べばよいのでしょうか?」
「龍神様……」
なんとなく分かってたけど、やっぱりそうなのか。
「本当に……龍神様って、本当に居るんですか?」
「いらっしゃいますよ」
「申し訳ないですが。俺は正直、龍神様の存在を信じられていないというか。そもそも、誰も姿を見たことも無いのに、信じろと言われても」
ムリがある。そう続けようとした俺は、水龍の声に言葉を遮られた。
「姿、と言うのであれば、あなた方も見たことはあると思いますが」
「え?」
「以前、貴方がその籠手を手に入れた際、ここにドラゴンが現れましたね? あれこそがまさに、龍神様のお姿そのものになります」
「は!?」
あの白いドラゴンが、龍神様!?
確かに、神々しいと言われればその通りだけど。
と、俺のその勘違いを訂正するように、水龍が言う。
「とはいえ、姿だけですけど」
「あの、それはどういう意味ですか?」
「ドラゴンとは、龍神様より生まれたにも関わらず、かのお方の力を奪い取ろうとする不届き者のことを指します。私達はそのような不届き者の行いを戒めるために、妨げるために存在しているのです」
「かのお方の力……それってもしかして、魔術結晶?」
「その通りです。そもそも、魔素こそが、かのお方によって授けられた世界への祝福であり、かのお方が存在している証拠ともいえるもの。そういう意味では、貴方がその事実を知らないことは、不敬に当たると私は思うのです」
「俺が?」
突然の指摘に、思わず聞き返してしまった。
「はい。それだけの濃い魔素。そしてエピタフの籠手を授かっている事実。それだけ見れば、貴方がかつての英雄ガランと同じであることは明白ですから」
「それとこれにどういう関係が―――」
籠手を貰ったから、龍神様を信じろって言うのか?
それはちょっと、恩着せがましい気もするよな。
なんて不満を抱いた俺に、水龍が追撃を放つ。
「もしかして、自覚が無いのですか? であれば、はっきりとお伝えしておきましょう」
「貴方は一度、命を落としています。今こうして生きているのは、あのお方があなたに新たな命を授けたから。これは紛れもない事実なのですよ」
なぜ?
水龍の言葉を聞いた直後、俺の思考を単純な疑問が埋め尽くした。
どうして、龍神様は俺を生き返らせたんだ?
俺の命に何か理由があるから?
俺が蘇ることに意味があるから?
俺には分からない目的があるから?
何一つ理解できない。だからと言って、考えないワケにもいかない。
カラミティの後、目が醒めた時の俺は、頭に怪我を負っていた。
その時の傷は目覚めた時にはとっくにふさがってて、血も乾いてたから、あんまり深くは考えなかったけど。
良く考えたらおかしいよな。
手当ても受けず、意識を失った状態で1週間。
食事も水も摂らずに倒れてた?
ありえない。
1回死んでたと言われる方が、確かにしっくりくる。
姿も見えない、声も聞いたことも無い。
そんな存在の事なんて、信じる気になれない。
だけど、現にこうして、俺が今生きていることが存在を証明していると言われると。
俺はその存在を、龍神様の存在を、完全に否定することができるんだろうか?
「ハヤト……? 大丈夫?」
「あぁ、ちょっと、びっくりしてるだけだよ」
生きてる理由とか意味とか目的とか。色々考えてたマリッサに偉そうなことを言ったけど。
俺は今、あの時の自分の言葉を後悔し始めてる。
あの時の彼女も、同じような悩みを抱えてたんだろうか?
「それでは、もう貴方に用はありませんので、このまま帰ってください」
「え?」
唐突に水龍がそう言うと、見る見るうちに頭上の水面が落ちて来る。
つまり、俺達の居る水中の泡が縮んでいる。
いや、ヤバいって!!
「大丈夫です、ほんの数十秒耐えて頂ければ、地上に返して差し上げますので」
「いや、ちょっと待って」
「いいえ。待ちません。私、あまり大人数に囲まれるのは得意ではありませんので」
貝殻の中から無情な声が聞こえてきて、俺とメイが思い切り息を吸い込んだ直後、突然、頭上の水面が飛沫を上げて、何かが飛び込んできた。
「それはさすがに勝手すぎるんじゃないかな!?」
「何者ですか!?」
水を滴らせながら、貝殻の周囲を旋回しているのは、風龍とガルーダに乗ったマリッサ達。
「何者って、酷いなぁ。ボクの事、忘れちゃったの?」
「あなたは……なんだ、風龍ですか」
「なんだって、ひっどいなぁ!! でも、まぁ、そっか。覚えててくれたんだね。嬉しいよぉ」
「ハヤト! メイ!」
「2人とも! 大丈夫か!? 今、オイラ達が助けに来たからな!!」
「マリッサ! 師匠!!」
泡の中に乱入してきたマリッサ達は、ずぶ濡れにはなってるけど無事みたいだ。
それに、迫りかけてた水面も、何らかの力に遮られて留まってる。
まぁ、かなり波立ってはいるけど。これはあれだな、風龍が抑え込んでるって感じだな。
「そんなことより~。水龍、ボクが来たってのに、まだそんな貝殻の中に隠れてるつもりなの?」
貝殻の周りを楽し気に飛び回る風龍。
そんな彼女の様子に何かを感じたのか、水龍が慌てたような声を上げる。
「ちょ、風龍!? 何をするつもりっ!?」
「何って、臆病者を引っ張り出してあげるのさ! さっきの仕返しもしたいしねっ!」
「ちょ、やめっ、きゃぁぁぁぁ!!」
言うが早いか、風龍が勢いよく腕を振り上げると同時に、貝殻が大きく開かれる。
どうでも良いけど、やけに楽しそうだな、風龍。
呆れながらも、俺としては水龍の姿が気になってたから、自然と貝殻の中に視線が流れてしまう。
そこに居たのは、まさに人魚と呼ぶべき姿の美少女だった。
編み込まれた長くて美しい水色の髪と、貝殻の水着が特徴的だ。
臆病者と言われてる割に、服装は大胆なんだな。
「お、その反応、久しぶりだねぇ」
「やぁぁぁ。外、いやぁ! 早く閉じてよぉ~!!」
「あ、あれが水龍? なんか、さっきまでと雰囲気違うな」
「ハヤト……さっきから水龍のどこを見てるの?」
「は!? べ、別に変な所は見てないぞ、何を気にしてるんだ、メイは」
「ほら水龍、ちゃんと顔を合わせてあいさつしなくちゃ失礼なんだよ? ボクと一緒に外に出て、お姉ちゃんに挨拶しようよ」
「そんなのどうでも良いからぁ~ はやく閉じてぇ~ ひぃ! こ、こっち見ないでよぉ~」
俺達と目が合うと、水龍は身体を縮こまらせて悲鳴を上げる。
あれだな、龍にも、色々いるんだな。